土の声
文は、窓辺で本を閉じた。エルカディアから渡された、この国の成り立ちについての書。文字は丁寧で、理は通っている。それでも、どこか遠い国のことのようだ。頭では分かるのに、胸には落ちてこない。
――精霊と人は、土地を分け合い、共に生きる。
その一文を指でなぞったところで、戸口から控えめな声がかかった。
「文様。よろしければ、少し外に出ませんか」
顔を上げると、エルカディアが外套を手に立っていた。
「本ばかりでは、息が詰まりますでしょう。今日は畑に顔を出す予定なのです」
畑、という言葉に、つい先ほどまで読んでいた言葉が頭をよぎった。
精霊と、人と、土地。
本の中では整っていた関係が、実際の土の上では、どう見えるのか。
――行ってみたい。
「はい、ご一緒します」
そう言うと、エルカディアはうなずいた。
村の中を歩くのは、三度目になる。だが今日は、ただ通るのではなく、行き先があった。家々の間を抜けるたび、土と木と、乾いた草の匂いが鼻をくすぐる。
畑は、村の外れにあった。すでに何人かが作業をしている。鍬を振る手が、ほんの一瞬止まり、視線がエルカディアへ、そしてその隣の文へと向けられた。
「おはようございます、長老様」
声は、エルカディアに向けられた。文には向かない。それが却って、文にはありがたかった。
畑の縁に立つと、文は足を止めた。理由は分からない。ただ、空気が違う気がした。
土の色は悪くないし、水も足りている。だが……。
――奥が、重い。
無意識のうちにしゃがみ込んでいた。指先で土に触れる。ひんやりとして柔らかいのに、なぜか深いところが息苦しそうに感じられた。
「……浅い」
小さな呟きに、エルカディアが気づいた。
「何か、感じられましたか。文様」
文は、指についた土をそっと落とした。
「水ではありません。……精霊の通り道が、浅いように思います」
言ったあとで、文は自分でも驚いた。その言葉が、どこから来たのか分からなかったからだ。近くにいた者が、首を傾げた。
「水加減は毎日見ています。問題はないはずですが」
作業をしていた人々が、互いに顔を見合わせながら、文の次の言葉を待っているようだった。
「はい。水は足りています。ただ……踏み固められていて、流れが滞っているような」
するとこの畑の中では一番の年配と思しき男が、何やら考え込み始めた。
「最近、芽の伸びが揃わんとは思っていたが……」
エルカディアが、文に静かに問いかけた。
「どうすればよいと、お考えですか」
文は少し困ったように言いよどんだ。感覚だけで、今までの皆の作業の邪魔をしてはいけない。しかし、もし、問題が解決できるなら自分も役に立ちたいと思った。
「正しいかは分かりません。ただ、ここを……ゆるめてあげれば」
畝と畝の間を指さした。それは踏みしめられた細い道だった。若い者が鍬を入れると土が、ほろりと崩れる。そのとき、畑を撫でるような風が吹いた。
「……今のは」
誰かが呟く。文は胸に手を当てた。先ほどまで感じていたざわめきが、静まっている。
「……静かになった、気がします」
それ以上、文は何も言わなかったというより言えなかった。この感覚がどこからきたものなのか、自然と湧き上がるようなものだったからこそ、説明ができないと思ったからだ。村人たちも、深くは問わない。ただ、再び畑に向き直る。鍬の音が、どこか軽くなったように聞こえた。
帰り道、エルカディアは少し後ろを歩く文に、穏やかに言った。
「文様。初めての村との接点としては、十分すぎるほどでしょう」
「……私、何かできたのでしょうか」
文はまだなにがあったのかよくわからないまま、畑での出来事を思い返していた。
「ええ。あなたの素直な心が、精霊に光を与えました」
エルカディアは前を向いたまま、微笑んだ。
「土の声をお聞きになったのだと思いますよ」
――土の声……。
文は、小さく息を吐いた。
指先には、まだ土の感触が残っている。自分も少しだけ、この世界の一部に触れられたのかもしれない。そんな気がしていた。




