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今日がどこで終わるか

 エルカディア邸の庭、その最奥に、屋根だけが設えられた場所がある。

文はそこで本を開いていた。柱は細く、四方は開けている。屋敷の中よりも風がよく通り、頁の端がわずかに持ち上がる。


テーブルの上には茶の椀が置かれていた。湯気はもう、ほとんど残っていない。


エルカディアから渡された、この国の成り立ちについての書。

今日は、前に読んでいたところとは違う章だ。


争いがどのように始まり、どこで折り合いをつけ、精霊と人がどんな距離を選んできたのか。人間の国、獣人の国、ドワーフの国。種族の違う人たちが団結した魔族との戦い。文にとってまるで物語のような出来事ばかりだ。


ふと、時間の感覚が抜け落ちていることに気づいた。

茶に口をつけると、すっかり冷めていた。


――まただ。


この世界で目覚めてから、時間の把握が難しいと感じていた。屋敷には時計が一つだけ置かれているが、自分の部屋にはない。それなのに皆がきちんと動いている。以前、食事のあとにそのことを調理人へ尋ねたことがあった。太陽の高さと、落ちる影の向きで、おおよその時間が分かるのだという。文も教えてもらった方法で、少しだけわかるようにはなっていた。


木々の葉は青い。濃さが、わずかに違う。朝と昼と夜は、確かにある。


だが、「今日」がどこで終わるのかが分からない。分からないはずはないのに、自分の中に「時間」がしみ込んで来ない。

本を閉じると、以前読んだ一節が、ふと浮かんだ。


「精霊と人は、土地を分け合い、共に生きる」


その「土地」のどこに、自分は立っているのだろう。そして、いつまでこうしてここにいられるのだろう。

文が深く考え込んでいると、風に揺れる枝の影が、足元を横切った。


「ここにおられましたか」


エルカディアが庭の小径を歩いてきた。


「風が気持ちよかったので」


文は笑顔でエルカディアに答えた。


「……あの」


エルカディアは向かいに腰を下ろす。


「わたし、ここに来てから……どのくらい、経っているのでしょう」


「あなたが目覚めてから、二十日ほどになります」


文は、椀を持つ手を止めた。


「……二十日」


もっと長くいた気がしていた。


畑に触れ、本を読み、朝を迎え、夜を過ごす。

それらは、ずっと前から続いているように思えていたのだ。


「時間は流れております」


エルカディアは庭を見渡した。


「畑の芽も、それを知っています。祭りの準備も、同じです」


文は、本の角を指でなぞった。


「皆さんによくしていただいていますし、ここが安心できる場所であることもわかっています。それなのに、時々不安になるのです」


「今が、いつなのか。どの季節にいるのか。わたしが、どこに立っているのか。そして自分が何者なのか……」


しばらく、風の音だけが続いた。


「今は、冬の一月です」


「冬の……一月ですか」


文は、その言葉を胸の中でゆっくり繰り返した。


「この国では、一年を四つの季節に分けます。それぞれ一月から三月まであり、季節が変わるとまた一月が始まります」


冬の一月。


――そうか。わたしは冬に目覚めたんだ。


自分がいる場所が、ほんの少し輪郭を持った。エルカディアはゆっくりと続けた。


「時間を気にするのは、あなたが生きてきた証です。

ここでは、それに追われることはありません」


文はずっと疑問に思っていたことを口にすることにした。


「少し、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「ええ。どうぞ」


エルカディアの声は穏やかだった。


「屋敷には時計が一つしかありませんよね。太陽や自然で時間を知るのは分かるのですが……それなのに、皆さん、迷いなく動いていらっしゃいますよね」


エルカディアは興味深そうに文の質問を受け取った。


「そうですね、私たちは時間を支配しようとはしません。ただ、その流れの中で暮らしているのです。もちろん、時間に関する約束や決まりは守ります。ただ、長命種ではあるので人間であったあなたとは感覚の違いはあると思います」


「時間は自然から判断することがほとんどですが、精霊が教えてくれる場合もあります。彼らと私たちはお互いに助け合って生きていますから」


文はエルカディアの話を頷きながら聞いていた。


「わたしにも、精霊から教えてもらえる日は来るのでしょうか」


「もちろんです。ただ、あなたはまだエルフとして目覚めたばかり。まだまだこれから吸収することがたくさんあるのです。焦ってはいけません」


エルカディアは言い終わると、立ち上がって元来た道をゆっくりと戻っていった。

文はその背中をじっと見つめながら、自分の中にわずかな動きがあることを感じ取った。


分からないことは、まだ多い。だが今日は一つ、知ることができた。この世界では、時間ではなく、自分が中心で生きていいのかもしれない。遠い記憶の中の文自身がほっと胸をなでおろしているような、そんな気がした。


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