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共に在る、という約束

 午後の村の調理場では、いくつもの鍋が静かに火にかけられていた。文は、壁際の低い椅子に腰を下ろし、調理人の手の動きを眺めていた。話しかけられるわけでも、手伝いを求められるわけでもない。ただそこにいて、鍋の音を聞いている。 しばらく忙しそうにしていた調理人が、ふと手を止めて言った。


「今夜は、人が集まりますよ」


「……何か、行事ですか」


「共生の儀です」


それだけ言って、調理人は鍋に視線を戻す。


「……どんなことをするんでしょう」


「誓う者がいて、集まる者がいる。それだけです」


説明とも言えない答えだった。


 「端で様子を見るだけでも、いかがですか」


後ろから声がして振り向くと、エルカディアが立っていた。


「共生の儀とは、人生を共にする二人が誓いを立てるものです」


「ああ、結婚式ですね」


「なるほど。そうでしたね。ネイア様にうかがったことがあります」


突然ネイアの名前が出てきて、文が目を丸くした。


「祖母にですか」


「ええ。あなたを見守り育てる為に、人間として生きていた世界の常識や生活水準、考え方などいろいろな事をネイア様から学びました。あなたの魂はその中で形成されてきたのですから、その前提を知らないわけにはいきません」


「そう……だったんですか」


文は言葉が出なくなってしまった。まさか、そこまでエルカディアが自分のことを考えてくれているとは思ってもみなかったからだ。もちろん、いろいろな配慮をしてくれていることはわかっていた。確かに、エルカディアにとっても、人間の魂を持つエルフの面倒を見るなど、想定外の出来事だっただろう。


「ちょうどいい機会です。文様に、我々エルフがどのようにして、生まれるのかをお教えしましょう」


エルカディアは、調理人にお茶を運ぶよう頼むと、文に私室へ移動するよう促した。


 私室へ入り、エルカディアと向かい合って座る。


「今まで一度も、エルフがどのように生まれるのかをお話ししたことはありませんでしたね」


「はい」


「私たちは、文字通り命の樹から生まれます」


「樹から生まれるのですか?」


文は思わず聞き返した。


「ええ。精霊王と命の樹が呼応すると、一枝に一つの実がなります。それが私たちの始まりです。ゆえに、我々にはそれぞれの血のつながりはありません。ただ、共生の儀を経た者たちには、命の樹に子供を願う資格を得ることができるのです」


「しかし、そうは言っても、すべての願いが叶うわけではありません。あなたもお気付きではありませんか?この村にあまり子供がいないことに。長命種である私達の営みは、実に緩やかなのです」


「確かに少し気になっていたところでした。村ではあまり子供に会う機会がなかったので。そうですか……実から生まれる。……つまり、わたしもそのように生まれたということですか」


「その通りです。しかし、文様の場合は一般的なエルフの誕生とは異なります。精霊王が承諾なさっているとはいえ、命の樹に外から魂が預けられた例は、少なくとも記録には残っていません」


あの圧倒的な気配は、命そのものだったのかもしれない。

文は改めて、命の樹の偉大さに感心した。


「我々は、あの樹から生まれ、やがてあの樹に還るのです」


文はエルカディアの言葉を、かみしめるように受け取った。


 祝宴は、夕暮れから始まった。

村の中央の広場には、灯りがいくつも吊るされていた。命の樹からは、少し離れた場所だ。


人々の話声に、果実酒の甘い匂いと焼き菓子の香ばしさが混じっている。


 ――共生の儀


生涯を共にする、と誓う儀式。

この世界でも、それは「永遠」ではない。


いつかは、命の樹へ還るまで。

それまでの時を、ともに歩く。


静かで、控えめで。

だからこそ、確かな重みを持つ約束。

 

エルカディアは主賓として、文から少し離れた席にいた。

文は、さらにそこから少し離れた所に座っていた。

誰かの影にいるわけでもない。かといって、独りでもない。


周囲の人たちは、自然に声をかけてくる。


「寒くはないか」

「この果実酒は、少し甘いが……」


文は、その一つひとつに、丁寧に答えた。

どうやらこういう場に、少しは慣れてきたのかもしれない。皆の幸せそうな顔を見ながら、手渡された果実酒に口をつけた。


 ――これが結婚式なんだな。


人が人と、未来を分け合う場。文の胸の奥に、かすかな痛みが触れる。

思い出そうとしたわけではない。ただ、自分の中のどこかに似た空気があった。


「おい」


背後から、少し乱れた声がした。振り向く前に、分かってしまう。身体だけが、先に強張った。


「長老様のそばにいるってことは、あんたがそうなんだな?」


若いとは言えないが、成熟しきってもいない男。酒の匂いが、強い。


――嫌だ。


一瞬、身体が固まる。それでも、文は立ち上がった。言葉も、視線も、強さもない。


だがその瞬間、

何かが、正しい位置に戻った。

自分の周囲の空気が浄化されたような不思議な感覚だ。


音が、遠のく。

灯りが、にじむ。


酔った男は、言葉を続けようとして、止まった。


「あ……?」


喉の奥で、声が詰まっているようだ。


理由は分からない。誰かに怒られたわけでも、拒絶されたわけでもない。

ただ、ここにいてはいけないと、彼の身体が理解した。


「……なんだ、俺……」


彼は、ふらりと視線を逸らし、そのまま、別の輪へと離れていった。

不思議なことに誰も、騒がない。年長の人々も、何も言わない。

ただ、風向きを読んだように話題を変えた。


文はしばらく動けずにいた。手がわずかに震えている。


でも。


倒れていない。

縮こまってもいない。

逃げてもいない。


「……大丈夫」


誰に向けた言葉か、分からないまま文は、そう呟いた。

そのとき、器が差し出された。


温かい飲み物。

香草と果実の、穏やかな香り。


「少し、休みましょうか」


調理人だった。いつも通りの声に文の緊張がほどける。文は器を受け取り、うなずいた。


「ありがとうございます」


一口飲むと、体にじんわりと熱が戻った。


祝宴は続いている。


笑い声。

音楽。

寄り添う影。


エルカディアは、何も言わずに文の様子を見守っていた。

手にしていた杯を置くと、縁にわずかな波紋が広がる。


村を渡る風は、何事もなかったように吹いていた。



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