夜の手当
部屋に戻ったとき、文はもう限界だった。
共生の儀の余韻。
人の声。
久しぶりのざわめき。
それらが遅れて、一気に押し寄せてきた。
「……あたま、いた……」
――あれ。
こんなふうになるものだっただろうか。答えを探すほどの余裕はない。吐き気はないが、視界の奥がきりきりと軋む。長椅子に腰を下ろしたところで、ノックの音がした。
「失礼します」
調理人だった。手には小さな杯。
「こちらを。今夜用です」
「……これ、水ですか?」
「ええ。『眠るための水』です」
味は、ほとんどしなかった。ただ、飲み下した瞬間、肩の力がすとんと抜ける。
「……ありがとうございます」
「今夜は、何も考えずに」
調理人は、それだけ言って去っていった。
文は着替える余裕もなく、そのままベッドに倒れ込む。
頭が、重い。
意識が、沈む。
――あ、これ、だめだ。
そう思ったところで、眠りに落ちた。
どれくらい経ったのか、分からない。文の寝息は浅く、眉がわずかに寄っている。
「……まったく」
小さな声。
誰に向けたとも知れない、少し呆れたような、しかし優しい響きだ。
「しょうがないな」
何かが、ベッドのそばにいる。
重みはなく気配だけがある。
触れない。
抱かない。
ただ、そっと。
額の奥。
こめかみの奥。
ずれて絡まった糸を、指でほどくように。
光はない。
詠唱もない。
治す、というより「戻す」に近いのだろうか。
「……全部は、やらないよ」
独り言のような声。
「あんまり元気になったら、目が覚めたあと、またすぐ無理するからね」
痛みだけを、少し遠ざける。代わりに、体の重さはそのまま残す。
それは無理をしないための、重さだ。
「今日は、ここまでだから」
そこまですると、その気配はそれ以上何もせず、静かな存在になった。
翌朝。文は、ゆっくりと目を覚ました。
「……?」
体は、重い。昨日の疲れが、しっかり残っているようだ。
だが……。
「……頭、痛くない」
口に出してから、文は少し遅れて気づいた。
部屋の空気が、すでに整っている。
窓際の椅子に、エルカディアが腰を下ろしていた。いつからいたのかは、分からない。
「まだ、整いきっていません」
エルカディアは体を起こそうとする文を制止するように言った。
「いえ、大丈夫です。……頭も痛くはないですし」
「それはよかったです。しかし、痛みがなくなったことと、回復したかどうかは別です」
エルカディアは、文を諭すように言った。
「はい」
文は横になったまま、再び目を閉じた。
そんな文の様子をしばらく眺めてから、エルカディアは満足したように立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。
エルカディアがドアを閉めた音が聞こえると、文はそっと起き上がってみた。
あれだけの痛みがあったのに、視界は揺れないし、こめかみを押してみても、あの嫌な脈打ちはない。
「……あの水のおかげかな」
昨夜の杯を思い出す。
それとも、ただ、眠れただけだろうか。
わからない。
不思議なことに、なぜか心の奥に安心感だけが残っていた。
文は深く息を吸うと、今日の始まりに身を任せた。




