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扉があいた日

 屋敷はまだ眠っている時間だった。

空はようやく白み始めたばかりで、鳥の声もまばらだ。


眠ったはずなのに、夜を越えた実感がどこか薄い。

文は起き上がってはみたものの、ベッドに腰を下ろしたまま、しばらく動けずにいた。


こういう朝が、数日続いている。なにか戻りきらない感じがする。

体は重いのに、思考は澄んでいた。それが余計に大きなズレのように感じられた。


何かが痛むわけでもない。

不安が暴れているわけでもない。


ただこのまま部屋にいても、息苦しくなってしまいそうな気がした。

理由はわからない。外の空気を吸わなければならない。それだけだった。


 文は立ち上がり、扉の前に立った。以前は、ここから外へ出ようとすると、扉が開かなかった。鍵が掛かっているわけではない。手をかければ、確かな手応えはある。それでも、先へは進めなかった。


今日は……。


文は深く考えず、扉に手をかけた。木の扉は、抵抗もなく静かに開いた。

引き留める気配はないようだ。廊下から外の空気が、すっと流れ込んでくる。


文は、思わず息を止めた。


閉じ込められていた、というより留められていたのだと、今になって分かる。

そして今日は外に出たほうがいいと、どこかで判断された。

そんな感覚が体に流れ込んでくる。文は、何も言わずに外へ出た。


 一歩。

 

文は、足音を殺しながら、そっと回廊を抜けた。


誰にも会いたくなかった。話したくも、説明したくもない。

とにかく、一人になりたかった。


 屋敷の門を出ると、冷たい空気が頬に触れる。深く息を吸うと、胸の奥に残っていたざわめきが、少しずつ少しずつほどけていくのが分かった。


村は静まり返っている。家々の影が、低い朝の光に溶けはじめていた。

文は、村外れへと続く小道を歩く。畑の向こう、わずかに高くなった場所へ。


風の通るところ。


そこに着くと、文は立ったまま景色を見渡し、それからゆっくりと腰を下ろした。

草はまだ冷たく、夜の名残を含んでいる。そのまま、背中を倒す。

視界いっぱいに、淡い朝の空が広がった。


文は、両腕を体の横に投げ出し、小さく息を吐いた。


「……はー」


声にならないほどの、ただの呼吸だ。


草が、風に揺れる。遠くで命の樹の枝が、かすかに鳴った。

以前、土に触れたときの感触が、指先の奥にふとよみがえる。


今日は、何もしない。

何かを確かめる日ではない。


朝と夜の境目。

光と影が、ゆっくりと入れ替わる時間。


何かを考えなくてもいい場所に来た気がした。


――これでいい。


そう思えた。


ふと、背後に、わずかな気配を感じる。


振り向いても、誰もいない。

足音も、衣擦れの音もない。


どうやら完全な孤独、というわけでもなかったようだ。


風向きが変わって草の揺れが、わずかに流れを変えた。

それを合図にするように、文は体を起こした。


草を払って立ち上がり、来た道をゆっくりと戻る。

屋敷の屋根が見えたころ、空はすっかり朝の色になっていた。


音もなく、出来事もなく、一日はもう始まっていた。


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