洞窟前の騒動
クララに案内され、フィーネとセレナはそれぞれの客室へ向かった。フィーネが扉を開けると、まず目に入ったのは窓の向こうに広がる景色だった。三階にある部屋らしく、広場の様子がよく見渡せる。フィーネは窓を開けた。
祭りの準備をする人々のざわめきや、金槌を打つ音が聞こえてくる。広場の一角では、子どもたちが何人かずつに分かれ、楽しそうに飾り付けをしていた。
「みなさん、祭りの準備でお忙しそうですね」
フィーネは、部屋の中央に置かれた小さなテーブルへ、茶の椀と焼き菓子を並べているクララを振り返った。
「ええ。騒がしくて申し訳ありません。碑のことがなければ、もう少し落ち着いて祭りの日を迎えられたのですが」
クララは困ったように肩をすくめた。
「村人たちも、外から来た人たちに気を取られて、どうも落ち着かないようでして」
そう言いながら、クララはベッドのそばへ歩み寄り、毛布の端を整え、枕の位置を確かめた。
「私も、オヤリ様の碑を見るのが楽しみです」
フィーネの返事に、クララは少し意外そうに目を瞬かせた。それから、柔らかく微笑んだ。
「そうなのですね。では、夕方になりましたらお迎えにあがります。それまで、どうぞごゆっくりお休みください」
クララが部屋を出ていくと、入れ替わるようにセレナが顔をのぞかせた。
「フィーネ。私はいつもどおり隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでね」
「はい。ありがとうございます」
セレナはそれだけ告げると、静かに扉を閉めた。
フィーネは荷物を少し整理すると、リュエルからもらった小さな鞄を取り出した。洞窟へ行くときに持っていくつもりで、水筒や飴玉、小さなナイフを入れて、ベッドのそばに置いた。
準備を終えると、フィーネはベッドに横になって休むことにした。気持ちは浮き立っていたが、昨晩の野営の疲れは体に残っていたようで、すぐに眠ってしまった。しばらくして、フィーネが目を覚ますと、部屋の中は茜色の光に包まれていた。広場から聞こえていたざわめきも、昼間より静かになっている。
フィーネはベッドから下りると、窓の外を眺めた。子どもたちの姿はすでになく、大人たちが屋台や飾りの具合を確かめながら、残った木切れや縄などを片づけていた。
ひと眠りしたせいで少し乱れた髪を手で直していると、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
「フィーネさん、クララです。そろそろヘルミオ様がお出かけになるそうですよ」
「はい」
フィーネはすぐに返事をすると、用意しておいた鞄を持って扉を開けた。クララとセレナが扉の前に立っていた。
「準備はしっかりできているみたいね」
セレナは疲れが残っていないか確かめるように、フィーネの顔をのぞき込んだ。
「少しは休めた?」
「はい。もう疲れも残っていません」
「それならよかったわ」
セレナは安心したようにうなずくと、クララとともに廊下を歩き始めた。
客間に入ると、ヘルミオとアダムが向かい合って長椅子に座り、その間に置かれたテーブルには、洞窟までの道を描いた地図が広げられていた。フィルたちはその周囲に立ち、地図をのぞき込んでいる。ゴローも、いつの間にかヘルミオの隣に腰を下ろしていた。リオネルは、荷物の整理と記録をまとめるため、村長宅に残ることになっていた。
「お待たせしてすみません」
フィーネが声をかけると、ヘルミオが顔を上げて答えた。
「いいえ、問題ありませんよ。フィーネが休んでいる間に、アダムから洞窟までの道のりや、中の様子について説明を受けていましたので」
「そうでしたか。それならよかったです」
ヘルミオは地図をたたみながら立ち上がった。
「それでは、洞窟へ向かいましょうか」
一行は、村長宅を出ると、広場を抜けて北へ向かった。石造りの家が立ち並ぶ地区を抜けると、辺りは畑が広がり、その道の先には黒く尖った山が見えた。
「そういえば、アダムさん」
セレナが後ろから声をかけると、アダムが振り返った。
「昨日まで来ていた学術院の調査団に、イリス・ヴァルディア様はいらっしゃいましたか?」
「ええ。いらっしゃいましたよ」
「そうだったんですか……。もう一日早ければ、お会いできたのに」
セレナは肩を落とし、小さくつぶやいた。
「セレナさんのお知り合いの方なのですか?」
フィーネは少し後ろを歩くセレナを振り返った。
「ええ。昔から、とてもお世話になっている方なの。ああ、本当に残念。久しぶりにお会いしたかったのに」
セレナは息をつくと、再び前を向いた。しばらく歩くと、途中でつるはしや、大きな籠を背負った鉱夫たちとすれ違った。皆、ヘルミオの姿に気づくと、丁寧に挨拶をしていく。
十五分ほど歩いたところで、一行は山の中腹に大きく口を開けた洞窟の前へ到着した。だが、洞窟の入り口では、数人の男たちが大声を上げていた。
「だから、俺たちは王都のギルドに登録された冒険者だと言っているだろう!」
どうやら男たちは、王都のギルドに登録された冒険者であることを理由に、碑を調べさせろと迫っているようだった。しかし、洞窟は現在、立ち入りが禁じられている。アダムが手配した二人の警備兵が入り口を守っていたが、相手は五人だった。押し返そうとした警備兵たちは男たちに突き飛ばされ、地面に膝をついた。
「警備兵を襲うとは何事だ! 今すぐ武器を捨てなさい!」
アダムが前に出て、男たちに毅然と言い放った。
「はあ、なんだあんた」
ニヤニヤと笑いながら、男たちは警備兵を地面に押さえつけた。
「お前たち、手を離せ」
ラウディスはアダムを後方へ移動するよう促すと、低い声で男たちに呼びかけた。するとリーダー格の男が振り返った。
「なんだ、なんだ、おっさん」
男はラウディスたちを見回すと、鼻で笑った。
「俺らは王都のギルドでも上位に登録されている冒険者だ。こういう遺跡や洞窟を調べるのが仕事なんだよ。何か見つけたって、価値を判断できるのは俺たちみたいな人間なんだ。商人みたいなおっさんたちとは違うんだ」
そう言って、男は冒険者登録の証らしい小さな金色のメダルを、誇らしげにラウディスへ突き出した。
「確かに、上位冒険者のようですね。しかし、それが村の規則を破ってよい理由にはなりませんよ」
ラウディスの隣に立ったフィルが、静かに言った。
「何を偉そうに言ってやがる。おい、こいつらを先に片づけるぞ。後ろの女たちは傷つけるなよ。人質に使える」
男は、警備兵を押さえつけている仲間たちへ声をかけた。
「冒険者の女もいるじゃねえか。こいつは面白くなってきたな」
仲間の一人が、セレナを見ながらにやりと笑った。先頭の男は剣を抜くと、ラウディスへ斬りかかるように踏み込んだ。だが、その切っ先が届くより先に、男の周囲に風が渦を巻いた。
「吹き飛べ!」
放たれた風が、フィーネたちに向かって一気に押し寄せた。
「フィル!」
ラウディスに名前を呼ばれるより早く、フィルは手を前へかざした。さらに強い風が渦を巻き、迫ってきた風魔法を真正面から打ち消した。
「ちっ、気づいたのかよ」
リーダー格の男は舌打ちすると、再びラウディスへ斬りかかった。剣筋は鋭い。だが、ラウディスは冷静に受け流し、一歩も引かない。
「なら、これでどうだ!」
男が剣へ魔力を込めて振り抜くと、刃から風をまとった斬撃が飛んだ。ラウディスが静かに手をかざすと、目の前の地面が盛り上がり、分厚い土壁が斬撃を受け止めた。土壁の表面は大きく削れ、細かな土煙が舞った。
セレナは、警備兵を押さえつけている二人の男の足元に、火球を立て続けに打ち込んだ。炎を避けようとした男たちは、たまらず警備兵から手を離す。そのすきに警備兵は立ち上がり、態勢を整えた。だが、冒険者たちもすぐさま武器へ手を伸ばした。
「次は外さないわよ」
セレナが再び火球を生み出そうとした、そのときだった。もう一人の男がフィーネに向かって切りかかってきた。フィルは別の男の剣を受け止めており、すぐには動けない。フィーネは思わず息をのんだ。
ヒュッ
一本の矢が男の剣を弾いた。フィーネも男も、思わず矢が放たれた方向へ顔を向けた。少し高い岩場の上に、ゴローが立っていた。その手には、淡い光で形作られた弓が握られている。男は弾き飛ばされた剣を拾おうと、慌てて身を翻した。
「フィーネ、大きな火球!」
セレナの声に、フィーネは指先へ意識を集中させた。思い浮かべたのは、炭焼き職人の窯で燃えていた火だ。生み出された火球は大きさを保ったまま、青白い光を放ち始めた。
「ゴロー殿、防御を!」
ヘルミオが叫ぶと、ゴローは小さくうなずいた。
「フィーネ、放って!」
セレナの声に、フィーネは指先を剣を拾おうとしていた男へ向けた。次の瞬間、辺りに激しい音が響いた。青白い光が地面を走り、男たちの足元で稲妻が枝分かれするように跳ねた。
剣を握っていた男たちは、腕に走った衝撃に悲鳴を上げ、次々と武器を取り落とした。金属の鎧を身につけていた男は、全身を大きく震わせると、その場に崩れ落ちた。
「まったく、あなた方は運がいい」
ヘルミオは倒れた男たちを見下ろした。
「ゴロー殿が、私たちには防御を、あなた方には命を落とさない程度に雷が届くよう調整してくださったのです。そうでなければ、今頃こうして呻いていることすらできなかったでしょう」
アダムは警備兵に指示を出した。
「その者たちを拘束してください」
程なくして、雷鳴を聞きつけた村人や鉱夫たちが、鍬やつるはしを手に次々と山道を上がってきた。中には、村に滞在していた冒険者の姿もあった。
「皆さん、もう危険はありません。どうか落ち着いてください」
アダムは駆けつけた人々を落ち着かせるように、声を張った。警備兵と駆けつけた冒険者たちが男たちを拘束すると、アダムは山を下りるよう命じた。だが、男たちの中にはしびれで立てない者もおり、警備兵に引きずられるようにして山道を下っていった。
「みなさん、ありがとうございました。フィーネ殿、危ない目に遭わせてしまい、申し訳ありません」
アダムは深く頭を下げた。
「いえ、わたしは大丈夫です……」
フィーネはそう答えたものの、まだ先ほどの戦闘の興奮が抜けきらず、どこかぼんやりとしていた。そんなフィーネの様子を横目に、ヘルミオが口を挟んだ。
「アダム。王都へ使いを出して、警備兵の増援を頼んだほうがよさそうですね」
アダムは山道を下っていく男たちへ目を向けた。それから肩を落とし、ヘルミオを見た。
「実は……村人たちからも、同じことを言われていました。しかし、祭りが終われば、見物半分で訪れる者も自然と減るだろうと思い、しばらく様子を見ることにしていたのです」
「ですが、今日の件で、判断を変えるべきだと感じたのではありませんか」
アダムは唇を引き結ぶと、ゆっくりとうなずいた。
「はい。おっしゃるとおりです。私の考えが甘かったと言わざるを得ません。今夜のうちに、命の樹の便りで王都へ増援を要請します」
「それがいいでしょう。必要であれば、私からも一言添えますよ」
ヘルミオが穏やかに言うと、アダムはもう一度深く頭を下げた。
「ヘルミオ様にまで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「さあ、そろそろ洞窟の案内をお願いしますよ。碑がある場所くらいは見ておきたいですからね」
ヘルミオがそう言うと、アダムは気を取り直したようにうなずいた。
「フィーネ、ほら。行くわよ」
セレナに声をかけられ、フィーネははっと顔を上げた。
「あ、はい」
いつの間にか皆は洞窟へ向かい始めていて、フィーネは慌ててその後を追った。ラウディスが洞窟の入り口で警戒にあたり、アダムを先頭に一行は中へ入った。奥へ進むにつれて、空気がひんやりとしてきた。数メートルおきに設置されたランプの魔道具が、足元や壁を明るく照らしている。
しばらく進むと、大きな石の扉が現れた。人が一人通れるほどの隙間が開いている。中へ入ると、そこは小さな部屋になっており、奥にはこじんまりとした石碑が立っていた。その足元には、何枚もの石板が積み重ねられている。
フィーネは石碑に近づいた。部屋の奥までは灯りが届かない。フィーネは前の野営で練習したときのように、指先に意識を集め、小さな炎を灯した。炎は揺らぐことなく、指先の上で静かに燃えている。
「いいわね」
隣で見ていたセレナが、満足そうにうなずいた。
「小さな火なら、もうずいぶん安定して出せるようになったみたいじゃない」
フィーネは小さく笑うと、炎を碑文へ近づけた。見たことのない文字だった。だが、じっと見ていると、なんとなく意味が頭に浮かんでくるように感じた。
――これは……読めるかもしれない。




