旅先の寝間着
セレナが夕食の準備ができたと扉をノックしたのは、それから一時間ほどたってからだった。椅子に座って外を眺めているつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。フィーネは慌てて立ち上がると、セレナの後について食堂に向かった。
食堂は最初に案内された応接間のすぐ隣にあった。すでにテーブルにはたくさんの皿が並んでいる。ヘルミオもすでに席についていた。
ハルドはすぐにフィーネに気がつくと、椅子を引いて手招きした。
「フィーネさん、こちらの席へどうぞ」
フィーネが席に着くと同時に、サリアは盆から湯気の立っているスープの器をテーブルに置いた。
「カルパのスープです。体が温まりますよ」
「カルパ……」
聞き慣れない名前に、フィーネは器を覗き込んだ。
「湖にいる鳥ですよ。この辺りでは、よく食べられているんです」
ハルドがそう説明した。透き通ったスープから、やわらかな香草の香りが立ちのぼっている。
「いただきます」
フィーネは初めて口にするスープと、焼き立てのパンの香りを楽しんだ。口に運ぶたび、どこか懐かしいような、体の緊張がほどけていくような、そんな感覚を覚えた。
窓の外では、ときおり人影が動いていた。
「あなたの護衛はいつもしっかり仕事をしていますね」
ハルドが食後の茶を飲みながら、ヘルミオに話しかけた。
「そうですね。我々は大事な商品を運んでいますが、もっと大切なのはそれを扱う人ですからね。今回は特に」
そう言って、ヘルミオはフィーネをちらりと見た。当のフィーネは、サリアとパンの焼き方について楽しそうに話している。
「なるほど、そうですな」
ハルドは頷くと、台所で作業している女に声をかけた。
「メルさん、外の方たちにお茶をお持ちして」
「はい」
女は返事をするとすぐに茶の準備を始めた。サリアもそのやりとりを聞いて、立ち上がった。
「今日はね、お客様がいらっしゃるから、少し手伝いを頼んでいるの。私の幼馴染のメルよ。私もセレナさんにお茶を持っていこうかしら」
メルと呼ばれた女は、フィーネのほうを振り返ると、小さく会釈した。
それからしばらく皆で会話を楽しんだあと、ヘルミオとハルドは「少し話がありましてな」と席を立った。
フィーネもそこで部屋へ戻ることにした。
部屋に戻ると、すでに灯りが用意されていた。ベッドの上には真新しい寝間着が置いてあった。きっとサリアが用意してくれたのだろう。せっかくなので、フィーネはそれに着替えてみることにした。肌触りのよい布でできている。
エルカディアの屋敷で用意してもらったものとは、また別の感触だ。織り方が違うのかもしれない。旅に出れば、こうした小さな違いにも出会うのだと、フィーネは袖口をそっと撫でた。
それからふと、自分の鞄の中を覗き込んだ。夕食のために部屋を出るまでいたはずのゴローがいない。たぶんほかの護衛の人と一緒なのだろう。
ベッドに腰を下ろしたところで、扉がノックされた。
「フィーネ、私よ」
「どうぞ」
セレナが扉を開けた。
「セレナさん、入ってください。何か話があるのでしょう」
「ええ」
セレナは短く答えると、部屋に入ってドアを閉めた。
「明日の予定よ。ヘルミオ様が村の広場で商品の受け渡しをするから、その間フィーネはどうする?もし、村の中を見たいなら、私が護衛で行くわ。ヘルミオ様の商売の様子が見たいなら、すぐ近くで見ていればいいって」
「そうですね、ヘルミオさんの商売はもちろん見たいです。でも、できるなら湖も見てみたいです」
「わかったわ。ハルド様にも相談してみるわね。今日は疲れたでしょ。しっかり休んでね。何かあったら私は隣の部屋にいるから、すぐに駆け付けられるわ。心配しないで。それじゃ、おやすみ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
セレナを見送ったあと、フィーネは灯りを消してベッドに入った。
初めての場所ですぐに眠れるのだろうか……。だがそんな不安はすぐに消えた。ほどなくしてフィーネの意識は途切れた。初めての場所に対する緊張よりも、体の疲れのほうが大きかったのかもしれない。
窓から差し込む月明かりは、静かに部屋の床を照らしていた。




