名をもらう日
文の旅の出発まであと、三日になった。朝食後、部屋で荷物の確認をしている文にエルカディアが声をかけた。すぐに私室に来て欲しいという。文は返事をすると立ち上がって、部屋を出た。
「失礼します」
エルカディアが手招きしたので、文は促されるままに席に着いた。
「今日は旅に出る前に、とても大切な話をします」
「はい」
エルカディアは、一枚の羊皮紙を取り出した。そこには「ルフィネリア」と書かれていた。
「あの、これは……」
「これは、先日私が命の樹より授かった、あなたの名前です」
「わたしの名前ですか」
「ええ。あなたには『文』という名前があります。しかし、それは以前のあなたの魂が持っていたものです。あなたの魂は、この世界でエルフを器として生まれ変わりました」
「わたしにエルフとしての名前が必要なんですか」
「もちろんです。あなたの存在は特殊です。細かいことはまだ申し上げられませんが、文という名前のまま過ごすことにも危険が伴う可能性があります」
「危険……。どういうことでしょうか」
「あなたの名前は、我々の世界では聞き慣れないものです。その容姿と名前も相まって、どこに行くにも目立ってしまう可能性が大きい。あなたの力を目当てに、争いが起こることもあり得るのです。なによりも命の樹が、あなたに名前を与えるべきだと私に告げました」
文は黙り込んだ。新しい名前……。
自分には、争いを招くほどの何かがあるのだろうか……。
「命の樹はあなたに『ルフィネリア』という名をお与えくださいました。しかし、この名前は、よほどのことがない限り他人に教えたり、記してはいけません。名前には力があります。あなたの名前には私が想像もつかないほどの力があるでしょう」
「ですから、誰かに聞かれたら『フィーネ』と名乗ってください。そうすることであなたとあなたの名前は守られることになります」
「……すみません。その……。実感というか、なんというか……。そんな力が自分にあるなんて、とても思えないのです」
エルカディアは、羊皮紙を近くにあった鍵のかかる箱にしまうと、文に向き直った。
「いいえ、あなたは大いなる力をお持ちです。その使い方をまだご存知ない。しかし、私はなるべくその力を使っては欲しくないと思っています。なぜなら、あなたの体に負担がかかりますし、魂への負荷も大きいからです」
「もちろんあなたは回復できます。その助けとなるようゴローも精霊としてあなたに遣わされました」
エルカディアはここまで言うと、一息ついた。
「これから旅に出るにあたって、あなたの力について話さなくてはなりません」
「力……。もしかして、わたしは魔法が使えるのですか」
「ええ。今までも、無意識に何度か使っておられます」
文は信じられない思いで、両手の手のひらを見た。
「そう……なのですか。気がつきませんでした」
「覚えておられませんか。共生の儀の際、あなたに絡んできた男のことを」
「はい……」
「あの時、あなたは無意識に魔法を使いました。彼を本来の落ち着いた状態へ戻したのです」
「え……。あれは、わたしが?」
「ええ。あなた自身には自覚がありませんでした。だからこそ、制御を学ぶ必要があるのです」
エルカディアは小さく笑うと、懐から透明な青色の小石を取り出した。
「これは魔石です。魔力を貯めておくことができます。これに触れてみてください」
文は石を受け取ると、右手の手のひらにのせた。数秒で淡い光を発し始めた。
「なにか光っています。あ……、それからじんわり温かさを感じます」
「それが、あなたの魔力です。今、その石はあなたの魔力に反応しています。ほら、光りながら、青色が濃くなったでしょう。これがその証拠です」
「あなたの魔力は生まれつき膨大で、私にも一体どこくらいあるのか見当がつきません」
「そんなに……」
エルカディアは手を差し出して、文から石を受け取った。
「その力を目当てに、どんな輩が近付いてくるやもしれません。ですが、今回の旅では、この森の周辺を巡る旅になりますので、よほどのことがない限り安全です」
「わたしは、自分の意志で力を使えるようになるのでしょうか」
「もちろん、できます。今回の旅の途中で、護衛の者それぞれから文様に魔法の使い方をお教えすることになっています。私たちは、通常一人につき一つの魔法属性を持っていますので」
文はそれを聞いて、すぐにエルカディアに質問した。
「あの、わたしは、どんな属性なんでしょう」
「そうですね。実は、文様は全属性をお持ちです」
文は座っている椅子から思わず身を乗り出した。
「ぜ、全属性ですか。そのようなことが、あり得るのでしょうか……」
「はい。大変例外的ではありますが。そうはいっても、文様ですからね。私は驚きませんよ。ネイア様からは、火・水・風・土の基本的な四属性はもちろん、音や光の適性もあるとうかがっています」
エルカディアは、驚きで固まったままの文に話を続けた。
「ただ、一番強いのは『調律』です」
「『調律』ですか……。わたしには見当もつかないものですが、どんなものなのでしょう」
文は初めて聞いた言葉に首を傾げた。
「そうですね。これは我々エルフに与えられた特別な力の一つと言えるでしょう。しかし、私もすべてを説明することはできません。端的に言うと、『調律』とは物事や現象、存在を本来あるべき姿に戻す力です。乱れた魔力や、穢れにあった精霊は土地や人に悪影響を及ぼす可能性があります。ですから、それらをきちんと元に戻すといったところでしょうか」
「しかし、この『調律』という魔法を完全に制御し、使うことができる者はほとんど存在しません」
「そんなにすごい魔法を使えるなんて、なんだか信じられません」
エルカディアは首を横に振った。
「いいえ、あなたは無意識に周囲へ影響を与えてしまうことがあるのです。ですから今回の旅で、様々な人や者、土地に出会うことで、心身の安定を図りつつ魔法の制御や無意識の発動を抑える術を学んでいただきたいのです」
あまりにたくさんの新しいことを一気に聞いたことで、文の返事は必然的に遅くなった。頭の中を整理していく。今まで、生活してきた過程で多少違和感を覚えたことはあった。それらは、たぶんこの自分の属性や使える魔法に関わっていたのだろう。
エルカディアがこのことを早くに教えなかった理由も、少しわかる気がした。なにもわからない自分に、膨大な力があると告げられていたら、それだけで重荷になっていたに違いない。
「……わかりました。お話を伺って、今までなんとなく私の中で感じていた、『何か』がわかったような気がします。護衛の皆さんにもいろいろ教えていただけるようで安心しました」
フィーネは小さく息を整えると、まっすぐエルカディアを見た。
「それで、いつからフィーネと名乗るのがよいでしょうか」
「旅の当日からではとまどうこともあるかもしれません。明日の朝からでいかがですか」
「はい。そうします」
「そうそう、あなたに渡すものがありました」
エルカディアは、部屋の隅にある棚の上から鞄を持ってきた。
「これを、あなたに。先日、私がヘルミオに頼んで王都の店で購入したものです」
「ありがとうございます」
文が鞄を手に取ると、それは見た目に反して不思議なくらい軽かった。
「森鹿の革でできています。柔らかく手になじみやすいので、長旅にはもってこいでしょう。あなたの相棒も入れますよ」
「え、でも、ちょっと小さい気がするのですが……」
文は鞄をあけて、中を覗き込んだ……つもりだった。
「あれ、これはどういう……」
「この鞄には空間魔法と時空魔法が施されています。鞄の大きさ以上に物を収納したり、保存したりすることができるということです」
「ああ、それから、私の魔法もほんの少しかけてあります。そうですね、あなたの道中の身分を証明するようなものだと思ってください」
「こんなに素晴らしい鞄をいただけるなんて、本当にうれしいです。ありがとうございます。村のみなさんからいただいたものをこの中に入れて行けそうです」
見た目は普通の鞄なのに、中には見た目以上の空間が広がっているようだ。今まで旅に出ることに少しばかり緊張していたはずなのに、鞄を受け取ったことですっかり文の心は弾んでいた。
「失礼します」
文はエルカディアに一礼すると、いつもより足早に私室を出た。
まずは、ゴローちゃんを入れてみないといけないな。
あとは、もらったナイフとか保存食とか、カルドさんの石も入れなくちゃ。
文はそんなことを考えながら、廊下を歩いていった。




