還る場所、帰る場所
ヘルミオに会った日の夜。文はベッドに入っても、なかなか眠れずにいた。
「ねえ、ゴローちゃん。今日ね、ヘルミオさんっていう人に会ったんだ。もし私が外に出るなら、一緒に行ってくれる予定の人なんだけどね」
ゴローは机からぴょんと飛び降り、ベッドの上に来ると、文の頭のそばに腰を下ろした。
「うん」
「なんとなくなんだけど、想像できたんだ。ヘルミオさんと一緒に旅をすることが」
「ふうん」
「わたし、迷っているって思ってるだけで、もう決めているのかもしれない。ただ、ちょっと不安なだけで」
「あるじは慎重だよ。でも、一度決めたら早いんだよね、あきれちゃうくらい」
「え、そうなの?」
「そうだよ。ここに来てからは、少し足が止まってただけ」
ゴローは小さく笑った。
その通りなのかもしれない。目覚めてから、ずっと立ち止まっていた。この世界のことも自分のこともよくわからないまま、ただ与えられたものを受け取ってきただけ。
「それはそうだよ。何も覚えてないし、姿も変わってるし……ぬいぐるみは動くし」
文もわずかに笑って、ゴローを抱き寄せた。
「大丈夫だよ。あるじは進める。ずっと見てきた僕が言うんだから」
その言葉に、文はすぐには答えなかった。
腕の中の重みを確かめるように、そっと抱きしめる。
「あるじ?」
「……うん。ありがとう」
小さく息を吐いて、文は言った。
「わたし、決めたよ」
体を起こし、ゴローを右腕に抱いたまま、窓辺へ歩く。
夜の森は深く、音も少ない。
その奥で――命の樹が、淡く光っていた。
エルフの命の根源であり、還る場所。
文にとって、今の自分を支える大きなよりどころだ。
冬の一月に目覚めてから、いろいろなことがあった。エルカディアと出会い、自分がエルフになったことを知った。畑仕事をしたり、薪を割ったり、お菓子を作ったり。
思い返せば、そのどの場面にも、村のみんなの笑顔や声があった。優しく見守ってくれた人たち。心配そうに声を掛けてくれた人たち。その温かな時間が、今も心の中にはっきりと残っている。
初めは知らない場所だったのに、今では、この村は一番落ち着くところであり、「帰る」場所なのだと思えるようになっていた。
だからこそ、村の外へ出て、まだ見たことのない景色を見て、いろいろな人に出会ってみたい。そんな機会があるのなら、一歩踏み出してみてもいいのではないか。そう思えた。
文は命の樹が放つ光を見つめたあと、目を閉じた。
心のどこかに残っていた迷いは、もう形を持っていなかった。
代わりに残っていたのは、外に出てみたいという気持ちだけだ。
外に出たらなにがあるのかはわからない。見たくないもの、知りたくないものにも出会ってしまうかもしれない。それでも、歩かなければ見えないものがある気がした。
焦らず、自分の目で見て、自分で考え、自分で選ぶこと。
エルカディアが教えてくれたことを忘れずにいられれば、きっと旅は素晴らしいものになるに違いない。
「行こう」
誰に向けたわけでもない、小さな声。
しかしその声は、力にあふれたものだった。
明日になっても、きっとここから見える景色は変わらないだろう。だが、文の中で確かになにかが変わっていた。
ゴローはそんな文を見上げると、安心したように小さくあくびをした。
文は思わず笑みをこぼし、そっとゴローの頭をなでる。
ベッドへ戻ると、不思議なほど心は静かだった。
先ほどまで眠れなかったことが嘘のように、文は穏やかな眠りへと落ちていった。




