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旅の理由は、あとで 〜百年かけて生まれたエルフ〜  作者: こなれたタオル
第1章 始まりの森

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旅人の殻

 エルカディアの提案から三日ほどが過ぎた、ちょうど昼時だった。

文は午前中を読書で過ごし、午後はカルドの小屋へ出掛けようかと考えていた。


食事部屋にはすでにエルカディアが座って、茶を飲んでいた。


「文様、今日は人の出入りが多くて申し訳ありません。読書の妨げにはなりませんでしたか」


「いえ、特に気になりませんでした。でも、確かにいろいろな方がいらしているようですね」


「ええ。先日お話ししたヘルミオ商会の者が来ているのです」


文はその名前に、わずかに背筋を伸ばした。


外へ出るなら同行するかもしれない。そう言われた商会だ。その代表が、あいさつに来ているらしい。


「いかがでしょう。村々を巡る話はいったん置いて、まずはヘルミオと会ってみませんか。顔は、一度ご覧になっているはずです」


「そうですね。私も、この村の外に興味がないわけではありません。まずはお話を伺いたいです」


「わかりました。では、昼食後に」


エルカディアは穏やかに頷くと、席を立った。


 エルカディアに指定された部屋は、客間ではなく私室だった。

文は扉の前で一度足を止め、小さく息を整えると扉をノックした。


「どうぞ」


 落ち着いた声が返ってきた。

扉を開けると、そこにはエルカディアと、もう一人の男がいた。


エルカディアより若く、穏やかな表情と、よく通る視線。華美ではないが、隙のない佇まいだった。顔だけは以前エルカディアの執務室で見たことがある。


文の姿を見た瞬間、その男は静かに立ち上がった。

そして、ほんの一瞬だったが、文をしっかりと見つめた。

だがそれは、無礼なものではない。何かを見定めるような、そんな目だった。


文がエルカディアに手招きされ、そちらへ歩いていく。


「文様。お目にかかるのは初めてではありませんが、こうしてご挨拶の機会をいただき、光栄に存じます」


 男は一礼した。


「ヘルミオ商会の、ヘルミオと申します」


「文です。こちらこそ、お話をうかがう時間を作っていただいてありがとうございます」


エルカディアは二人に着席を促した。


「このヘルミオは、王都で一番大きな商会を経営しています。私とも付き合いは長く、信頼できる相手です。ですから、もし、文様が外へ出てみたいというご希望をお持ちなら、この者を同行させようかと思っております」


「光栄です」


ヘルミオが答えた。


「私も、文様の旅に是非同行させていただきたく存じます」


「ですが」


 そこで一度、言葉を切った。


「文様のご意思を尊重することが何よりであると、承知しております」


 そう言うと、ヘルミオは小さな鞄に手を入れた。


「こちらを、文様に」


 テーブルに置かれたのは、小さな貝殻だった。


「これは……」


「『旅人の殻』と呼ばれております。旅人の間では、お守りのようなものとして扱われているものです」


淡い乳白色の殻は、内側にわずかな光を含んでいるように見えた。

文はそっと手に取る。

思っていたよりもなめらかで、指先に触れた瞬間、ほんのわずかに力が抜ける。


「……いただいてよろしいのですか」


「ええ」


 ヘルミオは短くうなずいた。


「しかし、わたしはまだ……」


「いいえ、あなたに持っていていただきたいのです。旅に出る、出ないは関係ありません」


「そうですか……。ありがとうございます。大切にします」


文はそれを両手で包み込むように持った。


二人のやり取りを見ていたエルカディアは、一度姿勢を正すと静かに口を開いた。


「ヘルミオ、最近の村々の様子で一番気になったことを文様に」


「はい。ここから馬車で三日ほど行ったところに、カルナ村というところがあります。そこで、水に関する問題が発生しています。その問題を文様にご覧いただこうかと考えています」


文はそこまで聞くと、気になったことを聞くことにした。


「あの、本当にただ見るだけではあまり皆さんのお役に立てるとは思えないのですが」


エルカディアは首を横に振った。


「いえ、文様にご覧いただくことが重要なのです。文様は、この村で多くのことをご覧になりました。ですが、ひとつの村だけでは見えないものもあります」


「建国史にあった出来事は、確かに実際にあったことです。しかし、我々はそれをじかに見たり体験したりすることはできません。村での生活も同じです。文様は、目覚めてからこの村で、いろいろな出来事に触れ、体験をしてきました。ただ、そうはいってもこの村の中だけの知識であり、経験です」


「同じ国内といえども土地が変われば、水も、人も、暮らしも変わります。答えを出そうとなさらなくて構いません。ただ、ご自身の目でご覧いただきたいのです」


文がしばらく考えるように視線を落とした。


「……そう、ですか。不安がないわけではないのですが……」


少し時間を置いて、文は顔を上げた。


「でも、お話を聞いて、少し考え方が変わりそうな気がしてきました。明日、お返事させていただいてもよろしいでしょうか」


「ええ、問題ありません。よく考えてください」


文はエルカディアとヘルミオに挨拶すると、部屋を出た。


 なぜか自室には戻りたくない気がして、食事部屋をのぞいてみた。調理人が昼食の後片付けと一緒に夕食の仕込みをしていた。文に気が付くと、どうぞといわんばかりに目で合図してきた。


テーブルにつくと、温かな湯気の立つ茶器が文の前に置かれた。


「いい香りですね」


「ええ。なにか考え事をしたいときに、ぴったりなお茶です」


調理人はまるで見透かしたようにそう言うと、台所に戻っていった。

早速一口含んでみる。スッとするような香りと味が、もやもやした心を落ち着かせてくれる。


本当はもう、外に出てみたいのかもしれない。この村で見てきたものだけでは、見えないものがある。確かにそうなのだろう。ただ、言い知れぬ不安はつのるばかりで、なんとなくエルカディアへの答えを先延ばしにしてしまっていた。


文は右ポケットに入れていた「旅人の殻」を取り出すと、じっと眺めた。

不思議な温かさを感じた、そのとき。

小さく、貝殻が光った。


この世界へ来た日には、想像もしなかった。自分が旅人になる日が来るかもしれないなんて。


「旅人……か……」


文はお茶をもう一口飲むと、大きく息を吐いた。

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