日記帳の一頁
皆でパイと炭酸水を楽しんだあと、フィーネとセレナは一旦部屋に戻ることにした。サリアとメルは夕食の支度を始めるという。部屋に戻ると、ゴローが丘を登ってくるのが見えた。どうやら、用事は済んだらしい。ベッドに腰をおろして一息ついていると、ふわっと長椅子の上にぬいぐるみのゴローが姿を現した。
「おかえり、ゴローちゃん」
「うん。ただいま」
「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
ゴローは首を傾げた。
「なに?」
「炭酸水をどうやって冷やしているの?さっきみんなで飲んだのだけど、すごく冷たくてびっくりしちゃった」
「ああ、あれは僕の魔法。鞄の中広いからさ、小さな空間を作って、そこを冷気でいっぱいにしてあるんだ。あるじがいつでも飲めるようにしておいた方がいいかなと思って」
フィーネは思わず鞄の方を見た。あの中に、そんな場所まであるとは思ってもみなかった。
「ゴローちゃん、すごいね。そんなこともできるのね」
「まあ、本当はあるじにもできるはずなんだけどね」
「え、そうなの?」
フィーネは驚いて、思わず大きな声を出してしまった。
「これからの練習次第だと思うけど」
「それ知りたい。ゴローちゃん教えてよ」
「ダメだよ。これはけっこう難しいほうのだから」
少し不満げにフィーネが口を尖らせた。
「そうなの?じゃあどうしたら?」
「セレナに初級の火魔法でも教えてもらいなよ。まずは力の制御を覚えないとね」
「そうか。そうだね。野営の時にでも挑戦してみるよ」
立ち上がって、鞄に手を伸ばそうとしたフィーネはもう一つ驚いたことを思い出した。
「あ、そうだ。もう一つ、びっくりしたことがあったのだけど」
「なに?」
「ミナの実ってすごく貴重なものなんだね。わたし全然知らなくて……」
ゴローはさも当然のことと言わんばかりの表情で頷いた。
「あの村でしか採れないしね」
「エルカディアさんも調理人さんも一言もそういう風には言ってなかったし、飲みたいってお願いしたらすぐに出してもらえたから、まさかそんな高級品だなんて思ってなくて」
「あるじだからだよ」
小さく肩をすくめた。
「それ、長老にもらった日記帳に書いておいたらいいんじゃない。あと、あるじが作った食べ物のこととかも」
「うん。そうだね。早速書いてみるよ」
フィーネはテーブルの上の鞄に手を伸ばした。出発の日にエルカディアから渡された日記帳だ。ラーデ村で見たこと、知ったことを書き留めておかなくてはならない。特に、自分の能力については、未知だからこそだ。
フィーネは日記帳を開いた。とにかく書いてみようと、真新しいページに日付を書いた。
カルパと湖のこと。
タベリーの実のこと。
灯葉茶のこと。
醒葉茶のこと。
ミナの実が高価なものだったこと。
女子会で聞いた話。
そして、自分が作った飴玉のはなし。
思いついたことをただ羅列しただけでも、ずいぶんあった。それを一つずつ丁寧に書いていく。すべてを書き終えたころには、窓から入る光の角度が少し変わっていた。
「どのくらい経った?」
「四十分くらいかな」
「そう。思っていたより書くことがたくさんあって、集中して書いたけど意外とかかったかも」
「そんなことないよ。書いてるあるじ、けっこう楽しそうだったし」
「そう……かな」
「うん。そうだった」
フィーネは日記帳を閉じると、大きく伸びをして立ち上がった。
「ねえ、この家の周りを散歩したいんだけど」
「いいよ。僕が一緒に行く」
「いいの?」
「うん。でも、セレナに一声かけないとね」
ゴローはそう言うと、黒髪のエルフに姿を変えた。
フィーネは部屋を出て、隣の部屋のドアをノックした。
「セレナさん、いますか」
「ええ、いるわよ。どうぞ」
ドアを開けると、セレナは弓の手入れをしていたようだった。テーブルの上には分解された弓と矢筒が置かれている。
「この家の周りを少し散歩しようかと思って」
「わかったわ。ちょっと待ってて」
セレナがすぐに立ち上がろうとしたので、フィーネは慌ててそれを止めた。
「あ、いえ、ゴローと行くので」
「そうなの?じゃあ、私、ちょっと広場で買い物してくるわ」
「はい。わかりました」
「夕食の前にはちゃんと戻るから」
「はい、では行きますね」
フィーネはドアを閉めると、食堂のサリアにも声をかけて玄関を出た。
夕食までにはまだ時間がある。フィーネはゆっくりと歩いた。広場の方を見てみると、ヘルミオやフィル、リオネル、ラウディスも一緒に買い取った商品や商談用のテーブルと椅子を片付けていた。
「ヘルミオさん、仕事終わったみたいだね」
「うん」
「初めて仕事をしているところを見たけど、本当に迫力があったな。商人としてのヘルミオさんと職人さんの間に、お互い譲れない何かがある気がしたよ」
「真剣勝負だからね」
「ゴローちゃんも、誰かと話してたよね。誰と話してたの?」
ゴローはなんとなく、視線を空の方へ移した。
「ああ、昔からの知り合い。この村に来ると会って話すんだよ」
「ふうん、そうなんだ」
――ただ、知り合いと話してるって感じじゃなかったんだけどなあ。
「ねえ、そうだ。わたしの瞳のことなんだけど」
「うん」
「セレナさんが、金色じゃなくて、黒に見えるって。ゴローちゃん、何かしてくれたの?」
「うん。でも、基本的にはあるじが自分の魔力で黒く見せてるって感じかな」
思いがけないゴローの言葉に、フィーネは思わず立ち止まった。ゴローも一緒に歩みを止める。
「え、わたしなの?」
「そう。僕は入り口を作ってるだけ。あるじは魔力量が多いから、ほとんど気にならないはず」
「うん。全然気がつかなかった……」
ゴローは、少し笑いながら肩をすくめた。
「昨日この村に到着した時の、村の人の挨拶を覚えてる?」
「ああ、なんか村の皆さんが丁寧にお辞儀してくれたこと?」
「そう。あれはね、あるじが特別なエルフだって知られてるから。このラーデ村は隣村だし、あるじに関する情報はかなり広がってるみたいでさ」
「そうなんだ。それでみんな、ああいう風に挨拶してくれたのね。まあ、それはそうか。前国王様の屋敷に住んでいた人なんてかなり特別な感じがするものね」
フィーネは昨日のことをさらに思い出そうとした。
――馬車だ。
「え、じゃあさ、昨日村に来る途中、すれ違う馬車がみんな待っていてくれたじゃない。あれもゴローちゃんなの?」
「そうだよ。動物は精霊の存在に敏感だからね。僕、精霊と言っても、実は高位精霊だからね」
ゴローは胸を張って得意げにフィーネを見た。
「ゴローちゃん、本当にすごいんだねえ。それに比べたら……」
「ダメダメ、比べない。そもそも、比べても意味ないよ。エルフと精霊だし。僕、すでに百年ここで生活してるんだよ」
「そうだね。ついね、なにもできないのに、特別だって思ってもらうのが歯がゆくてさ」
「いいんじゃない、それくらいで。偉そうにしてるより、そういう気持ちを持ってるほうがよっぽどいいよ」
フィーネは曖昧に微笑むと、また歩き出した。大きな木の下までくると、そこで腰を下ろした。ゴローも隣に腰を下ろした。遠くで牛の鳴き声が聞こえる。
「この村とも明日でお別れか」
「そうだね」
「ハルドさんもサリアさんもいい人達でよかった。もっといろいろな話をしたかったな」
フィーネが夕焼けに染まり始めた空を見上げた。その横顔を見ながらゴローが言った。
「また来ればいいじゃない。酸味のあるタベリーの実のパイ食べに」
「うん」
しばらく黙ったまま、二人は心地いい風に吹かれながら、それぞれ思い思いに村を見ていた。家々の煙突からは夕食の支度を知らせる煙が上がるのが見え始めた。それを見てゴローが先に立ち上がった。
「さあ、僕たちも戻ろうか」
「そうだね」
ゴローが手を出すと、その手につかまってフィーネが立ち上がった。
「だいぶ、板についてきたんじゃない?」
「え、なにが?」
「護衛されるお嬢様」
ゴローは言いながら吹き出した。
「もう。ゴローちゃんてそういう性格だったの?ぬいぐるみ姿の時は本当にかわいいのに」
フィーネは慌てて手を離すと、先に歩き出した。
「あるじ、それ褒めてないよね?」
「どうだろうね」
ゴローは苦笑いしながら、その後を追った。
食堂へ戻ると、すでに夕食の支度が整っていた。香草の香りが食欲を誘う。
サリアが笑顔で迎えてくれた。メルはフィーネが席に着くと、すぐに灯葉茶を淹れるためにポットを手にした。
「今日は少し早めにしました。明日は出発ですからね」
サリアがそう言うと、続けて、先に席に着いていたヘルミオが口を開いた。
「夕食をとったら、そのまま明日の旅程の確認をします。セレナもその時には同席しますので」
「はい。わかりました」
夕食は穏やかに進んだ。牛の煮込みの味付けの話や、昼間に食べたタベリーの実のパイの話。村の人たちがフィーネを見て驚いていたこと、ある若者はフィーネに声をかけようとして、あわてて村の大人たちに止められたことなど、話題は尽きなかった。
食事を終えると、サリアとメルは片づけをするために、台所へ向かった。入れ替わるように、セレナとラウディス、ゴローがやって来る。
ヘルミオは地図を広げると、「ラーデ村」と書かれた文字を指さした。
「我々は今、ここにいます。次の目的地であるカルナ村までは、馬車で二日かかります。ですから、明日は野営をすることになります」
「はい。野営ですね」
「どう、フィーネ、ちょっと不安?」
セレナがフィーネの肩に手を置いて言った。
「楽しみ半分、不安半分でしょうか」
「そうね、でも大丈夫よ。ねえ、ヘルミオ様」
ヘルミオは頷くと話の続きを始めた。
「以前、エルカディア様のお屋敷で説明した通り、このエルカディアの森には野営地が整備されています。井戸や石炉もありますので簡単な調理もできます」
「そうなの。だから、あまり心配しなくても大丈夫よ」
「そうですね。それならよかったです」
フィーネの表情が少しやわらいだ。
「ああ、それからヘルミオ様。フィーネに魔法を教える話、明日から始めていいですか」
「ええ、かまいません。野営地には広い河川敷がありますから、魔法の練習にはうってつけでしょう」
「よし、じゃあフィーネ、明日からまずは火の魔法からやるからね」
「はい、よろしくお願いします」
「それから明日の護衛配置だが」
ラウディスが口を開いた。
「明日からは少し配置を変える。フィーネの馬車にはフィルを付ける。セレナはリオネルと二台目の馬車だ」
「交代ですか?」
セレナが首を傾げた。
「野営地では私とお前が見回りに出る可能性があるからな。フィルには一台目を任せる」
ラウディスはそう言うと、一度ゴローの方を見た。ゴローは何も言わず、小さくうなずいた。
「なるほどね、わかりました」
セレナは納得したように笑うと、フィーネに顔を向けた。
「明日はフィルに任せるけど、魔法の先生はちゃんとやるからね」
「はい。よろしくお願いします」
それからすべての予定を確認すると、その日の話し合いは終わった。
明日は早い。
フィーネは皆に挨拶をして、自室へ戻った。




