命の樹との契約
文がエルカディアの私室のドアをノックしたのは、それから少ししてだった。
「失礼します」
エルカディアは文に座るよう促す。
「体調はいかがですか」
「もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「よいのです。私が、あの場に文様をお誘いしたのですから」
文はうなずくとためらいがちに問いかけた。
「あの儀式はどういうものなのでしょうか?」
エルカディアは少し考えて答えた。
「とても古い儀式です。命の樹と私たちエルフの契約、と言えばいいでしょうか」
「契約……?」
「ええ。私たちエルフは命の樹から生まれ、命の樹に還ります。どんなエルフであろうとも。その流れを決して止めてはいけない。しかし、その流れには時々『よどみ』のようなものが生まれます」
エルカディアは一度大きく息をしてから続けた。
「その『よどみ』は土地だけでなく、我々の心にも影響を及ぼします。
喜怒哀楽は生活にとって不可欠なものでしょう。ですが、時にそのような感情は過多になる傾向があります」
「するとそこに、妬みや嫉み、猜疑心などが生まれ、やがてそれは戦いを引き起こしてしまうこともあるのです」
「争いは突然生まれるものではありません。小さな不満や妬みが積み重なり、やがて誰にも止められない争いへと変わっていきます」
「ですから、その『よどみ』を浄化するために、我々は祈りと祝詞を命の樹に捧げるのです」
文はエルカディアの話を聞いて、午前中に見た、あの命の樹の輝きを思い出した。
「長年失われていた、祝詞の一部を文様に読んでいただいたおかげで、今年は数百年ぶりに完全な祝詞をあげることができました」
「私は、なぜエルカディアさんも読めない字が読めてしまうのでしょうか」
昨日、書庫に行った時から少し違和感はあった。
全く知らない、意味さえわからない言葉と文字。
だが、読めるという感覚。
「そうですねえ。私にもそれはわかりません。しかし、しいて言うならばネイア様のご加護、でしょうか」
「あなたは、本を読むのがお好きなようですね。私がお渡しした建国史もよく読んでおられる。若い人にとってあの本は、内容が難しいというより退屈なものなのでしょう。現に、孫のシオンも未だにあの本を読むのは大変そうです」
「一方で、あなたはとても楽しそうに読んでおられる。これは私の想像でしかありませんが、前にいらした世界で、言語に興味をお持ちだったのかもしれませんね」
エルカディアは、テーブルに置いてある茶の器を手に取ると静かに口に運んだ。
「よく覚えていませんが、そうなのかもしれません。本を読んだり、なにかを書いたりするとき、とても楽しい気分になるのは確かです。もしかしたら、人間だったときの記憶の一つなのかもしれません……」
文はなんとなくしんみりした気分になった。だが、それを振り払うように顔を上げた。
「ともかくお役に立ててよかったです」
「まだ、昼食をとっていらっしゃらないでしょう。食事の用意がしてありますので、食事部屋にいるリュエルに声をかけてください」
「はい。ありがとうございます」
文はそう言うと、立ち上がった。エルカディアに一礼すると部屋を出た。
——エルフと命の樹との契約。
目覚めて以来、自分がこの世界にやってきた理由をずっと考えていた。もちろん、それは祖母であるネイアが関係している。だが、人間ではなくエルフとして生まれた意味を、ほんの少しだけ知ることができたのかもしれない。
文の中で何かが一つ、開いた。




