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命の樹との対面

 文がこの場所で目を覚ましてから、いくつか朝が過ぎていた。その日の朝も、目覚めは静かだった。


――頭、痛くない。


いつものように確かめてから、息を吐く。耳鳴りもない。光も、刺さらない。

最近はそれが当たり前で、体調も安定してきた。


この国に来た当初は、なぜか朝起きると頭痛がするかどうかを確認する自分を不思議に思っていた。エルカディアに相談してみると、人間として生きていたとき、頭痛に悩まされていたのではないかという答えをもらった。魂の中に刻まれているものとは、切り離せないものだ、とも。


エルフは、丈夫で、長生きで、病とは無縁の存在だ、と確信もないのに理解していた。理由は分からない。それでも、そういうものだと思えていた。だからその点においては少しばかりがっかりした。どうやら自分はそれには当てはまらないらしい。


身支度を整えて食事部屋に行ってみると、すでにエルカディアが席についていた。

木のテーブルに並ぶのは、温かなスープと、やわらかそうな果実。

昨日とよく似ている。

だが、一口飲んで文は瞬きをした。


「……あ」


味が、違う。


おいしくないわけではない。むしろ、昨日よりさらに身体に染み込む感じがした。

香草の香りが控えめで、塩気も抑えられている。口に含んだ瞬間、頭の奥がすっと静かになる。


「……今日の、これ」


思わず言葉にすると、エルカディアが首をかしげた。


「何かありましたか?」


「いえ……ただ、昨日より……」


――体調に合ってる。


そう言いかけて、文は言葉を飲み込んで代わりに、こう言った。


「すごく、落ち着きます」


「それは、よかった」


エルカディアは満足そうに頷くと、湯気の立つ茶器を手に取った。


「今日は、文様を特別な場所へお連れしたいと思います。このエルフの国の住人にとってとても大切な場所です」


「わかりました」


たぶん、あそこだろう。文は、そこがどこなのかすぐにわかった。


「少し、緊張します」


「問題ありません。文様が近づける範囲でかまいませんので」


文は傍らのパンを手に取ると、小さくちぎって口に入れた。麦の甘味がふわっと広がる。


「ゆっくり召し上がってください」


エルカディアはそう言い終えると、席を立った。


 食事を終えたあと、文はエルカディアに案内されて、村の奥へと向かった。いつも屋敷の窓から見ている石畳の道を抜け、木々が少しずつ大きくなっていく。


空気が、変わる。


音が、減る。


やがて、視界の先に――


「……」


言葉が、出ない。

巨大な樹が、そこにあった。


命の樹。


遠くから見ていたはずなのに、近づくにつれて、その存在感が現実の重さを持ち始める。怖さも、圧迫感もない。


ただ――


見られているような気がした。何かしらの力が自分に向けられている。


「近づきすぎないよう、お気を付けください」


エルカディアの声が、後ろから届く。


「触れても、いいですか」


エルカディアは、軽く首を縦に振った。


「どうぞ。ただし……少しだけ」


文は、ゆっくりと歩み寄り、幹に手を伸ばした。


触れた瞬間。


温度でも、感触でもない。

――「気配」が、流れ込んできた。


映像はない。

言葉もない。


ただ、重なり合うような感情。


守る。

待つ。

育てる。


そして、まだ、早い。


その感覚に、文は思わず息を詰めた。


――知っている。わたしはこの感覚を知っている。


同時に、手が自然と幹から離れていた。


「……今は、そこまでです」


文は、何も言わずにうなずいた。あたたかさと強さが体中を巡る。そんな感覚が文の中で目覚めたような気がした。

文は視線を上げ、枝のあいだからのぞく空を見た。


 午後になり、文は部屋で過ごしながら、ふと考えた。


朝食。

命の樹。

体調に合わせたような、すべて。


「……過保護だなあ」


小さく呟いて、自分で少し笑った。

誰に向けた言葉でもなかった。


返事も、ない。


その夜、文は途中で目を覚ますことなく眠った。


 

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