再会の夜
それから数日が過ぎた、ある夜。夕食を終え、ひと息ついたあと部屋に戻ると、すぐに文は足を止めた。机の端に、小さなぬいぐるみが座っている。
「え……ゴローちゃん」
文は思わず机へ駆け寄った。見慣れた形、見間違えるはずのない姿だった。考えるより先に、言葉が出ていた。
子どもの頃、いつも一緒だった。眠るときも、大泣きしたときもずっと……。
かけがえのない存在だったのに。
なぜ忘れてしまっていたのだろう。祖母のことはきちんと覚えていたのに。
文は、ゆっくりと近づいて確かめるように、そっと手を伸ばした。抱き上げると、軽い。記憶の中と、変わらない重さだった。
「おそかったねえ」
腕の中から、声がした。
「あるじ、寝すぎ」
文は、息をのんだ。
ぬいぐるみは、動いていない。しかし、確かに聞こえた。
「……え」
「ようやく、お目覚めか」
少し、からかうような声だった。
「やっと思い出したかと思ったら、ずいぶん落ち着いてるね」
文は、言葉を失ったまま立ち尽くした。
――本当にゴローちゃんなんだ。
子どもの頃から、ずっと話してみたいと思っていた。
返事がくることなんて、ないと分かっていても、話しかけて笑っていた。
そんなゴローと話せる日が来るなんて思ってもみなかった。文はそっと、抱きしめた。
「……ずっと、いてくれたんだ」
ゴローは少し胸を張るように背筋を伸ばした。
「まあね」
軽い返事だった。
「あるじが忘れてる間も。眠ってる間も」
その声を聞いた瞬間、文の視界がにじんだ。
この世界に来てから、初めてだった。
頬にひとすじ、またひとすじ。
声を上げることもなく、ただ、涙がこぼれた。
「……ごめんね」
「なんで謝るんだか」
ゴローは、少し呆れたように言った。
「ちゃんと目が覚めたんだから、それでいいよ」
文は、何も言えなかった。
ただ、ゴローを抱いたまま、その場に立ち尽くした。
静かな部屋に、ときおり小さく息をつく音だけが溶けていった。
文は、なかなかベッドに入れなかった。ゴローを机の端に戻し、椅子に腰を下ろしたまま、何度も話しかけてしまう。
「ねえ、覚えてる?」
「わたし、昔さ」
「……あ、これ三回目か」
「四回目」
即座に訂正が入る。文は思わず笑った。
「ちゃんと聞いてくれてるんだね」
「聞いてないと、暴走するでしょ」
「失礼だなあ」
「事実、事実」
その言い方が、あまりにも自然で、文は急に胸がいっぱいになる。
「……話せるんだね」
「今さら?」
「今さらだよ」
気づけば、夜は深くなっていた。文はベッドに横になる。
それでも、話す。
安心して。
うれしくて。
久しぶりに、心から安心して話せる相手がいる。
「……あるじ、もう寝なよ」
「まだ眠くない」
「顔が限界だよ」
「ひどい」
「あたま、痛くなるよ」
「大丈夫だって」
「まったく……しょうがないな」
どこか、慣れた調子だ。
「今日は特別ね」
「なにが?」
「眠らせる」
「え?」
問い返すより先に、空気がふわりと変わった。
温かくて重さのない感触が、頭の奥をなでる。
「ちょ、待って……」
「待たない」
「そんな……」
文の抗議の言葉は、最後まで続かなかった。
まぶたが落ちる直前。
「……ゴローちゃん」
「なに」
「そばに……いてね」
少し、間があった。
「当たり前だよ」
その声を聞いて、文は眠りに落ちた。
文の眠りに合わせるように、机の端の小さな影も静まった。




