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旅の理由は、あとで 〜百年かけて生まれたエルフ〜  作者: こなれたタオル
第1章 始まりの森

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ここで終わらない

 夕食を終え、屋敷の中が落ち着き始めた頃だった。

廊下の灯りは優しく、足音も少ない。文は夜の時間を自分の部屋で過ごしていたが、扉の外から近づく気配に気づいて顔を上げた。


「文様」


エルカディアの声だった。


「少し、よろしいですか」


文は立ち上がった。


「はい」


「私室で話したいことがあります」


それだけ告げて、エルカディアは先に歩き出した。

文は手元の灯りを落とすと、扉を閉めてあとに続いた。


私室は廊下の奥にある。文も、エルカディアに呼ばれたとき以外は入ったことはない。扉を開けると外よりも一段、音が聞こえなくなる。静かだけれど、静かすぎない不思議な雰囲気のある部屋だ。


テーブルの上には小さな灯りがひとつ。

湯気の立つ茶の器が二つ用意されていた。


「どうぞ」


促され、文は腰を下ろした。

エルカディアも向かいに座り、器に手を伸ばしかけていったん止めた。


少しの間を置いてから話し始めた。


「村での暮らしには、もう慣れましたか」


「はい。皆さんに、よくしていただいています」


エルカディアは、すぐには言葉を返さなかった。文の顔を見てから、ゆっくりと器に手を伸ばす。ひと口飲み、それから小さく息を吐いた。


「それを聞けて、何よりです」


声は穏やかだった。だが、その奥にひとつ区切りがついたような、例えるなら温度の変化のようなものを文は感じた。


「……何か、ありましたか」


エルカディアはテーブルに視線を落としたまま、しばらく言葉を選んでいた。

やがて静かに口を開く。


「あなたのことは、以前も申し上げた通り、ネイア様から託されました」


その名を聞いた瞬間、文の呼吸がわずかに止まった。


ネイア。


女神の名だと、分かっている。そして祖母のことであることも。

だからこそ、その名を聞けば胸に浮かぶのは、あの頃の感触だ。


柔らかい声。

少し皺のある手。

名前を呼ばれた記憶。


文は視線を落としたまま、黙って聞いている。


「それは、あなたが目覚めるまでの間を見守ること。

そして目覚めた後は、この村で身の回りのことを覚え、人と関わり、自分の意志で立ち上がれるよう導くことでした」


淡々とした言葉だった。


「……そして、それができるようになったなら」


エルカディアは、ひと呼吸置いた。


「外へ出ることも、いずれは考えるように、と」


文は、静かにうなずいた。


「……そうだと思っていました」


言葉は、驚きよりも理解に近かった。


「祖母が、いえ、ネイア様が、なにも考えずに私をここに置くとは、思えませんでした。きっとなにか考えがあるのだろうと」


この村での暮らし。守られていた時間。覚えてきたこと。

それは終着ではなく、準備だったのだ。


「……この世界の中で、わたしにどんな『役割』があるのかはまだよくわかりません。しかし、それを自ら見つけることもわたしの『役割』なのだろうと考え始めているところでした」


エルカディアはその言葉を確かめるように、文を見た。


「急がせるつもりは、ありません」


はっきりとした声だった。


「ここでの暮らしが、あなたにとって支えになっているなら、それを崩す理由はないのですから」


「ただ……その前提で、ひとつだけ」


器に手を添えたまま、言った。


「あなたに、いずれ会ってもらいたい者がいます」


「今ではありませんが」


すぐに、そう付け足した。


「その存在を知らずに過ごすのと、知ったうえで過ごすのとでは、この先の感じ方が変わるでしょう」


「……分かりました。その方はどんな方なのですか」


「心配はありません。そのときになれば、分かりますよ」


エルカディアはほほ笑んだ。


――一体誰だろう……。


文は器を手に取った。湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。


急ぐ必要はない。だが、止まっているわけにもいかない。

文は静かに、その先へ続く道へ思いを向けていた。

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