頃合い
文にとって、畑での作業がいつの間にか「午前の仕事」になっていた。
朝、支度を整えて外に出る。畑へ向かい、挨拶を交わし、手を動かす。土の具合を見ることにも、迷いがなくなっていた。
区切りの声がかかり、道具をまとめていると、同じ畑に入っていた者が声をかけきた。
「文様、午後は薪割りをお願いできますか」
以前の文なら、自分のことは後回しにして、すぐに「はい」と返事をしていたかもしれない。しかし、今では自分の体調や気持ちにも目を向けられるようになっていた。
文は少し考えて答えた。
「はい。行けます」
昼食を終えると、文は約束通り薪割り場に向かった。薪割り場は、村の外れ近くにある。積まれた木が冬に備えるように整えられている。
文は外套を脱ぎ、近くの杭に掛けた。斧を手に取る前に、刃先を見る。わずかな曇りがあった。
「先に、刃を見てもいいですか」
近くにいた年配の男に声をかけた。
「お願いします」
砥石を手に取り、水を含ませる。刃の角度と、力の入れ方。
以前村で刃物を扱う者に教わった通りに、文は刃を当てた。
動きを揃え、音を確かめながら同じ動作を繰り返す。
砥石を動かしていると、ふとカルドの小屋が頭に浮かんだ。
水のそばに置かれた道具。
使われた時間がそのまま残る柄。
研ぎ終えた斧を差し出すと、受け取った者が刃先を確かめた。
「これでいいでしょう」
文は斧を持って持ち場に戻った。振り下ろすと、木は迷いなく割れる。
音は澄み、割れ目は揃っている。隣で作業していた男が、思わず手を止めた。
「今日は、仕事が進みますな」
そんな声がどこからともなく上がった。
作業を終えて屋敷に戻ると、台所では保存食の支度が始まっていた。調理人が火の様子を見ている。その脇で調理人の妻が瓶を拭き、孫のリュエルが籠を並べている。今日は、調理人の妻も台所に入っていた。
「文様、ご一緒にいかがですか」
「保存食の支度ですね。ぜひ、教えてください」
文は答えると、指示された台へ向かった。
野菜を切り、塩を量り、籠に並べる。
その中に、薄く切った干しりんごがあった。
「朝に出すと、あの人、必ず一切れ取るんです。
あまり食べられない時なども、これは口にするんですよ」
調理人の妻がそう言うと、すぐ近くで、調理人が小さく咳払いをした。
「余計なことを言うな」
「あら、本当のことじゃないですか」
二人のやり取りを見て、リュエルが口元を押さえて笑っている。
文もつられて笑った。
籠の中で干しりんごが行儀よく並んでいる。
朝の静かな食卓。温かい飲み物。
体が重い日でも、これなら食べられた記憶。
文の手が、ほんの少しだけ止まる。
「……自分で作るのは、初めてです」
調理人の妻は、うなずいた。
「ぜひ、覚えてください。文様のお体にあうはずですし。ご自分で作ることができれば、安心ですよ」
文は包丁を動かし、並べ、籠を替える。何度か繰り返しているうちに、手順もわかってきた。
「それで、よろしいですよ」
調理人の妻が、自分の手を止めて時々、文の作業を確認してくれる。
作業は滞りなく続いた。瓶が棚に並び、台所の音が、少しずつ落ち着いていく。
作業をすべて終えたところで、思い出したように調理人の妻が言った。
「そうそう、前に文様がお作りになった、牛乳と卵で作る蒸し菓子がありましたよね。うちの人もいただいたみたいですけど」
「ああ、みなさんにお配りしたものですね」
「ええ、それです。実はね、マルエナが野菜を届けに来た時教えてくれたんですよ。あの蒸し菓子を食べた後、みんながいつもより元気に働けたんだそうです」
「元気に?」
「なんでも、作業の後の体がとても軽かったらしいですよ。それで、もしかしたら、文様の蒸し菓子のおかげなのかもしれないと、村の中で噂になっているらしくて」
「まさか。そんな効能はありませんよ。ただのお菓子です」
「そうなのかもしれませんけど、あとで、作り方を教えていただけませんか。みんなあの味が忘れられないみたいなので」
「わかりました」
文は、自分の作ったものが、そんなふうに話題になっているとは思っていなかった。
気を遣って食べてくれたのではなく、本当に好んでもらえていた。
それが、心からうれしく思えた。
廊下の向こうから、エルカディアが文と調理人たちの様子を見ていた。
畑。
薪。
道具。
保存食。
文は、屋敷と村の生活の中に、自然に組み込まれている。
エルカディアは何も言わず、視線を外した。村の外では、すでに文の噂が流れ始めている。文のこれからについて考え始める頃合いが来ているのだろう。
台所からは文の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。エルカディアは思わず笑みをこぼすと、そっとその場を立ち去った。




