いつも通り
ここ数日、朝の森は静かだった。その朝、いつもより早く文は目を覚ました。
身支度を整え、廊下に出る。窓の外では、木々が朝の光を受けていた。風はあるが、葉擦れの音は静かだ。しばらく、窓の外を眺めていると、食事部屋の台所の方からかすかな音が聞こえた。
鍋が火にかけられる音。
布が擦れる音。
文は、自然とそちらへ向かった。
台所に入ると、薪の火の匂いがした。それは朝の空気と混ざり、どこか爽やかだった。調理人が鍋の前に立っていたが、文に気がつくと手を止めずに声をかけた。
「おはようございます」
「おはようございます」
少し間があって、調理人は鍋に向き直った。中を確かめ、火をわずかに落とす。
「文様、作業されますか」
「はい」
調理人は、洗い終えた野菜を差し出した。文は、それを受け取る。
調理台の端に置き、包丁を手に取った。
刃が、まな板に触れる音がする。一定の速さで、同じ音が続いていく。
調理人は、ただ静かに火を調整している。
文も手を止めない。刃を入れる角度を変え、切り口をそろえ、同じ動きを、繰り返す。しばらくして、調理人がまな板のそばに来た。
「こちらを」
差し出された器に切りそろえた野菜を移して、文は包丁を置いた。
やかんから、湯気と一緒に甘い香りが立ち上った。
「この香り…」
「ミナの実ですよ」
調理人は棚に置いてある小さな壺を手に取ると、文の前に差し出した。
赤い小さな実がぎっしり詰まっている。
「これは、命の樹の近くに昔から自生している『ミナ』という木の実です。秋に収穫して、こうして壺に入れて保管するのです。不思議なことにこの実は腐ったりしません。伝承では命の樹の力をいただいているからではと言われていますが、定かではありません」
「とてもいい香りですね。好きな香りです。どんな味なんですか」
「そうですね。甘味もありますが、酸味もあります。好みが分かれる類の味ですが、エルカディア様がお好きなのでいつも用意しています」
「今日は、私にもいただけませんか」
「ええ、かまいません」
調理人はそう言うと、やかんの火を止めて皿を並べ始めた。文は手を洗い、調理台から一歩引いた。
いつの間にか、台所に射し込む光が変わっている。
調理人が皿を運ぶ。文が席に着くと目の前に、今しがた文が切った野菜やスープが並べられていく。そして、最後にミナの実の茶が器に入れられてやってきた。
文は香りを嗅ごうと、大きく息を吸った。甘くて、その奥にわずかな酸味を感じる香りが鼻孔をくすぐる。少し冷ましてから一口飲んだ。その味は文が想像していたよりも甘く、それでいて酸味を感じる果実の風味が口の中に広がった。
案外エルカディアは甘党なのかもしれない。文は思わず笑ってしまいそうなのを抑えながらもう一口飲んだ。
「わたしも、このお茶大好きです。今まで出していただいたお茶の中で一番好きかもしれません」
「そうですか。それはよかった。これからは文様にも頻繁にお出ししましょう。冷たくしてもおいしいとエルカディア様がおっしゃってましたので、次はそちらでいかがですか」
「お願いします」
文は、焼きたてのパンを手に取ると、その香りを味わうように大きく息を吸った。これもまた朝の香りだ。
今日も一日が始まる。




