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旅の理由は、あとで 〜百年かけて生まれたエルフ〜  作者: こなれたタオル
第1章 始まりの森

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2/24

いたいと思えた場所

 ――なんだか、いい気分だな


文が目を覚ますと、昨日と同じ天井が、そこにあった。


――夢、じゃなかったんだ。


体を起こしてみようと、腕を伸ばすと昨日と同じ寝具の感触があった。


喉が乾いた。

お腹も空いている。


その事実に、文はほっとした。

 

大丈夫だな。うん、大丈夫……。


昨日までの出来事。

エルフの国、女神になった祖母。

どれも信じがたい話だった。


そもそも自分は一体いつからこの国にいるのだろう。

というより、祖母といたはずの世界のわたしはどうなったのだろう。


いや、ダメだ。それを考え始めたら、前に進めない気がする。

全部を理解するのは、まだ無理だ。目の前のものから確かめなければ。


文は周囲を観察することにした。

ベッドの脇に、衣服が置かれていた。

淡い緑色の、簡素な服。触ると柔らかく、軽い。


これ、わたしの……だよね。


問いかける相手はいない。

ただ、布の感触だけが、確かなものとして指先にあった。


そういえば、今は何を着ているんだろう。文は自分の腕や腹のあたりをまじまじと見た。寝間着なのだろう。柔らかな生成り色の布で作られていて、袖もゆったりとしている。ただ、不思議なくらい肌触りがよかった。


文はその寝間着を脱いで、傍らにある服を着てみることにした。

恐る恐る袖を通してみると、布はすんなりと腕を包み、違和感なく落ち着いた。

サイズも、ぴったりだった。


――ぴったり、すぎない?


文はふと、部屋の隅に置かれた姿見に気づいた。しばらく迷ってから、そっと近づいてみることにした。うまく歩けるだろうか。なにしろ、昨日は体を起こすこともままならなかったのだ。文は躊躇しつつもベッドから立ち上がってみる。そして、一歩踏み出した。


拍子抜けするくらい、文は普通に歩けた。鏡の前にたどり着くと、そこに映っていたのは、見覚えのない誰かだった。


淡い金色の髪が、肩から背にかけて柔らかく流れている。

肌は明るく、整った顔立ちはどこか現実感が薄い。


「……誰」


思わず、声が漏れた。

そして、視線が目に向いた瞬間、息をのむ。

瞳が、金色だった。


光を宿したような、澄んだ金。

宝石めいたその色に、しばらく瞬きすら忘れる。


――こんなの、見たことない。


綺麗だ、と。

そう思ってしまったことに、自分で戸惑う。


視線がもう一度、輪郭をなぞる。

その途中で、ふと、引っかかるものがあった。


――耳。


髪の隙間から覗いているそれは、見慣れた形よりも、少し長い。

先が、なだらかに尖っている。そっと触れてみた。


……エルフ?


昨日の記憶が、遅れて浮かんだ。長老エルカディアの横顔。

銀の髪と、同じ形の耳。


そういえば、と文は思う。

あのときから、頭のどこかで分かっていたのかもしれない。


――ほんとに、エルフなんだ。


そんな実感が、ようやく追いつく。

しばらく自分の姿を鏡で眺めていると、ノックの音がした。


「起きていらっしゃいますか」


続いて、扉が静かに開く。

昨日と同じ銀髪のエルフ、エルカディアが穏やかな表情で立っていた。


「おはようございます、文様。お体の具合はいかがでしょう」


「あ……はい。大丈夫、です。その……」


文は言葉を探しながら、そっと自分の頬に触れた。


「……これ、わたし、ですよね?」


エルカディアは、文に視線を向ける。


一瞬。

ほんのわずかに、間が空いた。文は我ながらなんて間抜けな質問をしてしまったのだろうかと、後悔した。


「ええ。間違いありません」


文のおかしな質問にエルカディアは丁寧に答えた。


「この瞳の色は……?」


「この国でも、滅多に見られません。ネイア様から受け継がれたものでしょう」


文は、思わず鏡にもう一度目を向けた。


「祖母もこのような瞳なのでしょうか」


「ええ。我々の世界には、エルフのほかに人間や獣人族、ドワーフ族などがおりますが、金の瞳をお持ちなのはネイア様とあなた様だけでしょう」


文はまじまじと鏡の中の自分の顔を見た。


綺麗すぎる。

自分の顔なのに、落ち着かない。


「……ちょっと、綺麗すぎませんか?」


「ええ」


エルカディアは、否定しなかった。


「ですから、しばらくは私の目の届く範囲でお過ごしください」


その言葉に、文は小さくうなずく。


「……はい」


エルカディアは、安堵したように微笑んだ。


「朝食をご用意しています。よろしければ、ご一緒に」


 案内された先は、私的な居室に隣接した、小さな食事部屋だった。

木のテーブルと椅子。窓の向こうには、森が広がっている。


その奥に巨大な樹が見えた。

朝の光を受けて、淡く輝いている。


文は、しばらく言葉を失った。

圧倒されるほど大きいのに、不思議と怖くはない。

見下ろされているとも、見守られているとも違う。


――近づけない……。


理由は分からない。ただ、そう感じた。

触れてはいけないのではなく、今は行くべき場所ではない。

そういう線が、自然に引かれている気がした。


 文が席に着くと、湯気の立つ椀が静かに前へ置かれた。

エルカディアが穏やかに言う。


「お口に合うかどうか分かりませんが」


文は椀を手に取った。


「ありがとうございます」


そう言いつつも、文はスプーンを手にしたまま椀の中の液体をじっと見ていた。

エルカディアはそんな文の様子に気が付いた。


「心配することはありません。確かにあなたは眠っておられましたが、食事をとることに問題はありません。今のあなたの体の状態に合わせたものですから、ぜひ、お召し上がりください」


「はい」


文は頷くとスプーンで椀の中の液体をくるりとまぜてからそっとすくい、口に運んだ。


熱すぎない。

やわらかな塩気が、すっと喉を通る。


――あ。


温かさが、ゆっくりと腹の奥へ落ちていく。


そこで初めて、自分が強く肩に力を入れていたのだと気づいた。


もう一口。


今度は、味が分かる。なんて優しい味なのだろう。


隣に置かれたパンをちぎる。

軽く焼けた香ばしさがふわりと広がった。


しばらくはそのパンの香りを楽しんでいた。

だが、半分も食べないうちに、急に体が重くなった。

眠い、というより力が抜けていくようだった。


エルカディアは黙ってその様子を見ていた。

しばらくして、文に声をかける。


「お疲れのようです。部屋に戻られますか」


「はい。……ごちそうさまでした」


どのくらい眠っていたのかはわからないが、急に食べたので、体が追い付いていないのかもしれない。文は残っていたスープを飲み干した。器を静かに置いて、椅子から立ち上がった。


 自室に戻ると、もう一度、姿見の前に立った。金色の瞳が、こちらを見返していた。


「……ほんとに」


小さく呟く。

朝と同じ姿だ。

分かっているはずなのに、慣れない。

鏡から離れ、ベッドに腰を下ろした。


まぶたが重い。

少しだけ横になる。そのつもりだった。だが次の瞬間には、意識が途切れていた。


 目を覚ますと、窓から差し込む光の角度が変わっていた。

ずいぶん、時間が経っている。思っていたより、ずいぶん長く眠ってしまったようだ。


体を起こしてみると、午前中のあの重さはもうなかった。

不思議なくらい、落ち着いている。


小さな丸テーブルに、ポットと器が置かれていた。

誰が置いたのかは、考えなくても分かる。


そっと注いでみると、まだ、ほんのり温かかった。


一口飲む。


「おいしい」


お茶の一口飲むごとに、頭の中がすっきりしていくのを感じた。

ベッドに腰を下ろして、午前中のエルカディアとのやり取りを思い出した。


何から考えればいいのか分からない。

頭の中が、まとまらない。

とにかく、よく分からない。


――今は、無理だ。


小さく息を吐く。そこへノックの音がした。


「お目覚めでしょうか」


エルカディアの声だった。


「はい」


扉が開く。


「夕食のご用意ができています。よろしければ、いらっしゃいませんか」


文は、少し迷ってからうなずいた。


食事部屋の灯りは、朝よりも落ち着いている。

窓の外を見ると、森はすでに薄暗い。

文はエルカディアに促されるように席に着いた。


温かいスープとパンが用意される。

文はためらいなく手をのばした。朝食で食べたパンよりも、さらに柔らかさが増していて、手に取っただけで、癒される気がした。


ゆっくりと時間をかけて食べてみる。

今度は、途中で疲れを感じることなくきちんと食べることができた。

しばらく静かな時間が流れる。


文はスープを飲み終えると、顔を上げた。

エルカディアと視線が合う。


考えをまとめてからうまく言おうと思っていたが、未だ自分の状況に混乱している文には、思っていることを言葉にするのさえ難しく感じた。


「正直に言うと……頭が追いついていなくて。何を考えるべきかも、よく分かりません」


エルカディアは、黙って聞いている。


「考えたほうがいいのだと思います。でも……今は、考えられなくて。記憶も曖昧ですし」


少しの沈黙。


「ただ、ここにいたいと……そう思いました」


「……しばらく、いさせてください。お願いします」


それは決意というより、確認に近かった。

エルカディアは、うなずく。


「ええ。それでよいのです」


その言葉は、思っていたよりも軽く、だが確かだった。

文は、湯気の立つ器を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


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