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エルフの国で目を覚ます


 目を覚ますと、あやの視界に見覚えのない天井があった。

その天井は高く、白木の梁がゆるやかな曲線を描いている。

薄い布のカーテンが風に揺れ、深い森の匂いがした。


――ベッド、か。


そう思いながら、自分がきちんと横になっていることに気づいた。


柔らかすぎず、硬すぎない寝具。

ただ、どこなのかはわからない。漠然と自分が知っているはずの場所ではないことだけはわかった。


「……あれ、ここ、どこだ?」


声は出るし、体の痛みもない。

頭は重いが、どうにか動いている。


起き上がろうとしたが、体が動かない。

どこに、どう力を入れればいいのか分からないのだ。


文はしかたがないので動こうとするのをやめ、目だけをゆっくりと巡らせた。

肩口に、さらりと何かが触れる。


「……?」


視線を落とすと、淡い金色の髪が、胸のあたりまで流れていた。


これは、わたしの髪?

こんな色だっただろうか。

こんなに、長かっただろうか。


一瞬、思考が止まる。試すように、もう一度声を出した。


「……あ……」


返ってきた声は、高く、澄んでいた。

混乱が遅れてやってくる。


 

 状況を整理しようとしていると、扉が控えめにノックされた。


「お目覚めでいらっしゃいますか」


扉の向こうから現れたのは、長い銀髪のエルフだった。年齢は分からない。しかし、その立ち居振る舞いには、長い時を生きた者の落ち着きがあった。


「私はエルカディアと申します。このエルフの国を預かる、長老です」


深く、丁寧な礼。

その姿に、文は慌ててなんとか声を出した。


「え、あ、はい……」


エルフという想像上の存在が、今目の前で動き、自分に話しかけてくる。


「どうか、そのままで。まだ混乱されているでしょう」


エルカディアは静かに微笑み、ベッドのそばへと歩み寄った。


「ご自分で起き上がろうとなさらずに。少しだけ支えます」


そう言って、文の背にそっと手を添える。エルカディアが触れた瞬間、温かな感覚が広がった。力を加えられたわけではないのに、身体の芯がすっと安定する。


「あ……」


エルカディアの声は低く、穏やかだった。文はその助けを借りて、ようやく上体を起こした。


エルカディアはベッドのそばにある椅子に腰を下ろして、しばらく黙っていた。

文は改めて自分の周りを見回した。


部屋は広かった。ベッドの向こうには、小さな棚と丸いテーブルが置かれている。窓は大きく、その向こうには深い緑が広がっていた。穏やかだが少し冷たい風が、文の頬をなでる。


夢ではない。ここはどこなのだろう。

そんな文の疑問を察したように、エルカディアが口を開いた。


「ここは、あなたがいらした世界ではありません」


しばしの沈黙が流れる。


「あなたが今いらっしゃるのは、いのちの加護をいただく地です」


文は、言葉を失った。


頭はぼんやりしている。夢であってほしいと思いつつも、目の前のものを否定できなかった。


「命の樹の加護…」


文は無意識につぶやいた。


「あなたのおばあ様……ネイア様は、この世界で女神として在らせられます」


その名前を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。


「……え。祖母が、女神……ですか?」


「はい。ネイア様は、ご自身の血を引くあなたを、私に託されました」


どういうことだろう?


ネイア様……?


おばあちゃんは、ヤエさんでしょう。


小二の冬だった。

白い花と、線香の匂い。

背の高い大人たちの黒い服。


それだけは、はっきりしている。


女神、って……。まるで小説の中の話みたい……。


考えようとしてみても、思い出さなければならないものがモヤの中にあるようで何もつかめていない。

自分で自分の存在を把握できないような不思議な感覚だ。

だが、祖母の記憶だけはしっかり残っていた。


エルカディアは文の表情を見て声を落とし、窓の外に視線を移した。

文も、つられるように目を向ける。


「思い出せないことはたくさんあるかもしれません。しかし、そこを気に病む必要はありません」


森の奥に、巨大な樹がそびえていた。

幹は家ほども太く、枝は空を覆い、淡い光を宿している。

根元へ続く道は、遠く見えた。


「失われた記憶も、答えも――命の樹が、いずれ導くでしょう」


文は、しばらくその景色を見つめていた。


「ここで、新しいものを見たり聞いたりしませんか」


「……ネイア様もそれを望まれているはずです」


文にとって、あまりにも現実離れ、いや、今となっては何が「現実」なのかさえよくわからない。


 銀髪のエルフ。

 女神になった祖母。

 遠いモヤの中の記憶。


 混乱しているはずなのに、なぜか心は荒れなかった。


「……すみません」


 文は、ついそう言ってしまった。


「本当に……まだ、よく分かりません。あなたのことも祖母のことも」


言葉を探す。


「わたし……」


そこまで言いかけて、もう一度、温かなものに包まれた。

張りつめていた頭の奥の力が抜け、重たいまぶたが落ちる。


誰かの声がした気がした。


――ようこそ、エルフの国へ。


それがエルカディアの声だったのか、

それとも、もっと別の何かなのかは、分からない。


遠のく意識の中で、それだけが聞こえた。



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