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シンジケート  作者: Tohna
ベルリン・ワルシャワ
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第44話 記憶の中の爆弾

 ベルリン中央駅、地下四階のプラットフォーム。そこは鉄とコンクリートが作り出した巨大な墓標のようだった。


 地上での喧騒やランドクルーザーとの死闘が遠い幻覚に思えるほど、この場所には冷徹な静寂が支配している。

 

 深夜の冷たい風が、列車の来ないトンネルから不気味な唸りを上げて吹き抜け、優吾の頬を刺した。


 無機質な照明の下、プラットフォームの端で中嶋啓吾は待っていた。


 その姿は、かつて仲が良かった頃に比べ、今の彼が纏っている空気は、当時よりもはるかに濃密で、そして透き通るような純粋な狂気に満ちている。


「啓吾、もうやめてくれ! スタジアムで何が起きてる? あのソングーという男に、お前たちは何をした?」


 優吾の声は震えていた。だがそれは恐怖からではない。


 自分の中に流れる血の半分を共有するこの男が、なぜここまで破滅を急ぐのかという、痛切な悲しみからだった。


 啓吾は手元の端末を、まるで玩具のように軽く振ってみせた。液晶の青白い光が、激務と執念で削げ落ちた彼の頬を不気味に浮かび上がらせる。


 「ソングーか。彼はただの数字、僕たちの再会を彩るための『ノイズ』に過ぎないよ。優吾、お前はフィレンツェで、名声という名の幻想を追いかけてきた。だがな、お前がピッチでゴールを決めるたびに、僕はこのベルリンで、本物のハットトリックを準備してきたんだ」


 啓吾は一歩、線路の縁へと歩み寄った。その足元は、死の深淵まであと数センチしかない。


「一つ目は、お前の『社会的死』だ。今この瞬間、お前のウォレットからは組織の裏金に関与したと見せかける捏造された記録が、欧州中のメディアに拡散されている。明日の朝、お前は英雄から希代の詐欺師に変わる。二位という『銀色の栄光』が、泥にまみれる瞬間だ」


「そんなこと……誰も信じない!」


 優吾は叫んだが、啓吾はそれを冷笑で受け流した。


「信じるさ。大衆は英雄の墜落を何よりも好む。そして二つ目は、お前の『精神的死』だ。ジャック・グノーもお前を疑い始める。


 彼が守っているのは『卯月優吾』という商品であって、犯罪者の汚名を着た男ではない。


 リベリーノも、お前の無実を証明するために自分のキャリアを賭けると思うか? 人間の絆なんて、デジタルデータの書き換え一つで崩壊する脆いものなんだよ」


 啓吾の指が、端末の画面上で複雑なコードをなぞる。背後のトンネルの奥から、無人運転の貨物列車が空気を押し出す轟音が響き始めた。


「そして三つ目……これが最終的なゴールだ。物理的な死だよ。優吾、お前はここで僕と一緒に消える。それが、僕たち兄弟が完成させる、完璧な終止符だ」


 その時、コンコースの階段を転げ落ちるようにして、北小路誠也とヴァンサンが駆け込んできた。


「啓吾、そこまでだ!」


 北小路の叫びがホームに反響した。彼は手元の端末を啓吾に向け、心臓の鼓動をキーボードに叩きつけるようにして介入を試みる。


「中央駅のインフラ制御権は奪い返した! 爆破シーケンスは停止させたぞ。これ以上、お前の思い通りにはさせない!」


 ヴァンサンもまた、荒い息を吐きながら叫びを上げた。


「啓吾、お前がこの一年間何をやってきたか全て把握済みだ。ジェルジンスキはお前を切り捨て、今頃インターポールがスタジアムへ向かっている。……お前が食い破ったあの男、マチェックと同じ末路だ。お前ももう『ノイズ』なんだよ!」


 ここで初めて優吾は、啓吾が「マチェック」という男を陥れ、組織そのものを内部から破壊して乗っ取ったことを知る。


 啓吾はヴァンサンを一瞥し、くすりと笑った。


「あんた、ずっと俺を追ってきたパリ市警のの刑事かい?ずいぶんと正義感が強いな。でも、デジタルな世界に執着しすぎて、本質を見失っている。俺が仕掛けた『爆弾』は、電子回路の中にはないんだよ。……それは、人の『記憶』の中にある」


 啓吾は優吾に向き直り、端末を線路へと放り捨てた。もはや、彼にデジタルな道具は必要なかった。


「優吾、知っているか?『完成された作品には、必ず一点の傷が必要だ』。俺にとって、その傷はお前だった。光を浴び、自由に走り回るお前が存在する限り、僕の闇は完成しない」


 貨物列車の巨大なライトがトンネルの出口を白く染め、凄まじい風圧がホームを駆け抜けた。


 列車の咆哮は、世界の終わりを告げるラッパのように響き渡る。啓吾は吸い込まれるように、線路の縁へと身を乗り出した。


「来いよ、優吾。最後はピッチの上じゃない、この鉄路の上で決着をつけよう。僕とお前の、血塗られた物語の幕引きだ」


「啓吾、やめろ! 行かせない!」


 優吾は無我夢中で手を伸ばした。


 かつて代官町で襲撃された時、自分を救い出してくれたのはジャックやヴァンサンだった。


 だが、監禁された電気自動車のあの暗闇の中で自分を「生かしていた」のは、啓吾という歪んだ、だが唯一無二の執着だったのではないか。その思いが、優吾の足を前に進ませた。


 列車がホームに突入する。その時、啓吾は優吾の手を掴むのではなく、その胸を、ありったけの力で、かつてないほど優しく突き飛ばした。


「……お前は、まだ光の中にいろ。地獄は、俺一人で十分だ。……さよならだ、優吾」


その瞬間、啓吾の体は銀色の巨大な鉄の塊に飲み込まれた。


「啓吾――!!」


 優吾の絶叫が、金属と金属が擦れ合う凄まじい走行音にかき消される。


 北小路が優吾の体を背後から羽交い締めにし、二人はホームの床に叩きつけられた。


 列車の風圧が、優吾の涙を乾かしていく。


 列車が通り過ぎた後の静寂は、あまりにも残酷だった。立ち込める霧と、焦げ付いた鉄の匂い。


優吾は手が震えながら、啓吾が消えた暗い線路を見つめた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 地上では、ジャックが傷だらけになりながらも、ソングーを組織の残党から守り抜いていた。


 すんでのところで、パトカーの青いライトがベルリン中央駅を埋め尽くし、組織の野望は、啓吾という異分子の暴走によって内側から自壊した。


 優吾は膝をつき、冷たいコンクリートの上で嗚咽を漏らした。


 ハットトリック。


 社会的、精神的な死は、北小路たちの介入によって防がれたのかもしれない。


 だが、啓吾が自らの消滅と引き換えに完成させたその「呪い」は、優吾の魂に、決して消えることのない刻印を刻み込んだ。


「ヴィオラの咆哮」は、ベルリンの地底で、悲痛な鎮魂歌へと変わっていた。

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