第43話 最終節へようこそ
深夜のベルリン。
霧に濡れた石畳を、白いシュコダ・オクタビアが悲鳴のようなスキール音を立てて駆け抜ける。
背後からは、三台の黒いランドクルーザーが、獲物を追い詰める猟犬のように距離を詰めていた。
「伏せてろと言っただろう、ソングー!」
ジャック・グノーがステアリングを激しく切りながら叫ぶ。後部座席で丸まっていたカン・ソングーは、かつてマチェックから受け取ったビットコインの報酬が、今や自分の死亡診断書に変わったことを悟り、ガタガタと震えていた。
助手席の優吾は、バックミラーに映るランドクルーザーの屋根で、スティンガーの照準器が緑色に光るのを目撃した。
「ジャック、来るぞ!」
優吾の叫びと同時に、ジャックはサイドブレーキを引き、シュコダを九十度横滑りさせた。
直後、彼らが一秒前までいた空間を、白熱した光の尾が通り抜ける。
ミサイルは街路樹に直撃し、深夜の静寂を火柱が引き裂いた。
「ったく、ベルリンのど真ん中で対戦車ミサイルだと?アイツら、正気じゃねえ!多分東京で俺たちを襲った奴らだ!」
ジャックは毒づきながら、シフトを二速に叩き込んだ。1.5Lのエンジンは限界まで唸り、軽量なボディを前方へと弾き飛ばす。
かつてピッチで相手ディフェンダーを翻弄したジャックの「予測能力」は、今、ベルリンの複雑な路地裏を走破するための地図となっていた。
その頃、スタジアムの地下から命からがら脱出した北小路誠也とヴァンサンは、乗り捨てられていた古いフォルクスワーゲンを徴用し、シュコダのGPS信号を追っていた。
「セイヤ、啓吾の個人ウォレットから発信されている信号が、ベルリン中央駅の地下コンコースに集中している。……これは資金洗浄の決済信号じゃない。爆破プロセスのトリガーだ!」
ヴァンサンの顔から余裕が消えていた。北小路は、窓の外を流れるベルリンの霧を睨みつけた。
「啓吾は、優吾という『光』をスタジアムから引きずり出し、この街の象徴である中央駅で、彼と共に全てを葬るつもりだ。……あの男にとって、復讐はもはやビジネスですらない。純粋な破滅だ」
北小路は、かつて優吾が監禁されていた時に見せた、あの歪んだ兄弟愛の成れの果てを予感していた。
白いシュコダは、ティーアガルテンの森を抜け、ブランデンブルク門を横目に中央駅へと突き進む。
背後のランドクルーザーは一台に減っていたが、その執念は凄まじかった。追っ手は、優吾たちが中央駅へ向かうことを「許している」かのように、絶妙な距離で追い込んでくる。
「ジャック、駅が見えてきた……でも、様子がおかしい」
優吾の言葉通り、巨大なガラス張りのベルリン中央駅は、深夜とはいえ、異常な静寂に包まれていた。
ジャックは駅のロータリーにシュコダを滑り込ませ、フルブレーキで停車させた。
「ユウゴ、ソングー、降りろ! 地下だ。啓吾は地下にいる!」
三人が車を飛び出した瞬間、背後から迫っていたランドクルーザーが、シュコダに激突した。
衝撃で白いボディがひしゃげ、火花が散る。ランドクルーザーのドアが開き、ゆっくりと降りてきたのは、冷徹な仮面を被った「23」の構成員たちだった。
駅のコンコースへ駆け込む優吾たちの耳に、スピーカーから聞き慣れた声が流れた。
『……ようこそ、優吾。最終節へ。ここには審判もいなければ、交代枠もない』
啓吾の声だった。無機質なアナウンスが、無人の駅舎に反響する。
『お前がさっき決めたゴールは、この街への入場券だ。だが、この試合のロスタイムは、お前の命が尽きるまで続く』
優吾は、震える脚を叱咤して地下ホームへと続くエスカレーターを駆け下りた。その後ろ姿を、ジャックが苦い表情で見守る。
「ユウゴ、行け! ここは俺が食い止める。……エージェントの仕事は、契約を守ることだけじゃない。選手の未来を守ることだ!」
ジャックは、近くの清掃用カートをなぎ倒してバリケードを作り、追っ手に向かって立ちふさがった。
地下四階、ベルリン中央駅の深淵。冷たいコンクリートのプラットフォームで、優吾はついにその男と再会した。
霧が流れ込むホームの端、線路の上に立ち、手元の端末を操作している影。
「……啓吾」
優吾の声に、影がゆっくりと振り返った。そこには、サン=ドニでの惨劇を生き抜き、さらに深く冷酷な闇を纏った中嶋啓吾が、かつてないほど穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「いいゴールだったよ、優吾。お前は、僕が望んだ通りの『最高傑作』になった」
啓吾の指が、端末のエンターキーの上で止まっている。その背後、トンネルの奥からは、無人運転の貨物列車が猛スピードで接近する轟音が響き始めていた。




