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シンジケート  作者: Tohna
ベルリン・ワルシャワ
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第41話 開いた地獄の釜

 スタジアムが優吾のゴールによって震災のような歓喜に揺れていたその時、防弾ガラスで仕切られたVIPルームの空気は、絶対零度の静寂に支配されていた。


「何をやっている、あの小僧は……!」


 マチェックは窓ガラスに顔を押し付けんばかりに身を乗り出し、掠れた声で毒づいた。


 彼の視界の先では、自らが「23」の威信をかけて仕込んだカン・ソングーが、まるで幽霊でも見たかのようにピッチに立ち尽くしている。


 計画では、ソングーの「劇的なハットトリック」によってシャルロッテンが勝利し、ブックメーカーのオッズを根底から破壊して莫大な利益を得るはずだった。


 だが、優吾の放った地を這うような三発目の一撃が、その青写真を無慈悲に引き裂いた。


「マチェック。ソングーのシュートに賭けられた数百万ユーロは、今、紙屑になったぞ」


 背後から響いた冷徹な声に、マチェックは総毛立った。ソファに深く腰掛けたパヴェウ・ジェルジンスキが、手元のタブレットを叩きつけている。


 画面には、ブックメーカーの異常検知システムが作動し、シャルロッテンへの賭けが一時停止されたことを示す赤い警告灯が点滅していた。


「ボ、ボス、これには理由が! あの日本人が予想外の……」


 「言い訳は不要だ。お前は私に、ソングーは『完璧な駒』だと言ったな。だが現実はどうだ? お前が彼を脅すために使った手法も、私的な着服の証拠も、全て私の手元にある」


 ジェルジンスキが視線を向けたのは、マチェックの隣で影のように佇んでいた中嶋啓吾だった。


 啓吾は、自分を「足りない頭」と嘲笑い続けてきたマチェックの横顔を、憐れむような、それでいて深い悦びに満ちた瞳で見つめた。


「マチェック。お前が暗号資産の一部を自分の隠しウォレットに流していた記録、そしてニール・フスの事故を独断で引き起こして当局の注目を集めた失態……。それら全てをボスに報告したのは私だ。お前の言う通り、私はお前の『監視役』ではない。お前を『排除する役割』だったんだよ」


 マチェックの顔から、一気に血の気が引いた。


 啓吾はすでに、マチェックが構築した八百長システムの脆弱性を突き、組織のデジタルな支配権を自分の個人ウォレットへと密かに移行させていたのである。


「お前の役目は終わった。啓吾、後を頼む」


 ジェルジンスキが静かに席を立った瞬間、背後に控えていた二人の大男がマチェックの腕を掴んだ。


「待て! 啓吾、お前……! ボス、こいつは危険だ、こいつは……!」


 マチェックの悲鳴は、スタジアムの全照明が消灯する「バタン、バタン、バタン」という鈍い音と、闇に包まれた群衆の怒号にかき消された。


 一方、一般席の喧騒の中にいた北小路誠也とヴァンサンは、手元の端末が発する異常なアラートに息を呑んでいた。


「セイヤ、見ろ。大口の送金権限が書き換えられた。マチェックのアカウントが凍結され、全ての資金が……中嶋啓吾のウォレットに集約されている!」


 ヴァンサンの叫びに、北小路は戦慄を覚えた。


「啓吾がマチェックを食い破ったんだ。奴は組織の中枢を乗っ取った……それだけじゃない。このシステムダウン、非常用電源の切り替え速度が異常だ。奴はスタジアムのインフラそのものを手中に収めている」


 北小路の懸念は的中していた。啓吾がジェルジンスキに提示した「次のプラン」は、八百長のような小細工ではなかった。


 スタジアムという閉鎖空間を巨大な「実験場」とし、パニックそのものを利用して証拠を隠滅、捜査当局を翻弄。一般の観客も巻き添えにするという、かつてのサン=ドニ以上の惨劇を狙ったものだった。


 すでに最前列の席に移動していた啓吾は、薄暗い非常灯の下、ピッチの優吾が、自分と血の繋がらない弟が、闇の中で惑い、震える姿を凝視した。


「……優吾。お前が手に入れた『ヴィオラの光』が、どれほど脆いものか。今から教えてやるよ」

 

 センターサークル付近にいた優吾に向かって日本語で叫んだ。


「……優吾。そんなに高く登れば、落ちる時の衝撃も大きいだろう?」


 そう言うと、啓吾は手元の端末を操作し、スタジアムの外縁に待機させていた三台のランドクルーザーへ信号を送った。霧の向こう側で、はやぶさ4号を撃墜したあの電子音が、再び殺意を帯びて鳴り響き始めた。


 そう。この三台の乗員こそ代官町で優吾を狙って襲撃をし、警視庁の車両を大破し、ヘリコプターを撃墜した犯人グループであったのだ?


 VIPルームにいるジェルジンスキは、満足げ言った。


「実益をもたらす者こそが正義だ。行け、啓吾。お前の『復讐』という名のビジネスを完結させろ」


 マチェックという重石を外した啓吾は、もはや誰にも止められない狂気となって、ベルリンの夜へ解き放たれた。


 彼にとって、優吾のゴールは復讐の終焉ではなく、血塗られた幕開けの合図に過ぎなかった。


 スタジアムの地下深くでは、ヴァンサンが北小路を制止した。


「セイヤ、待て。メインサーバーへのアクセスが遮断された。……いや、これは違う。啓吾が意図的に俺たちを『ここ』へ誘い込んでいる!」


 二人の背後で、重厚な防火扉が静かに閉鎖された。


 ベルリンの霧は、スタジアムを完全に飲み込み、その中では数千の運命が交錯し、引き裂かれようとしていた。

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