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シンジケート  作者: Tohna
ベルリン・ワルシャワ
38/46

第38話 紫色の咆哮

 フィレンツェの象徴である「ヴィオラ(紫色)」に染まったアルテミオ・フランキ・スタジアムは、地鳴りのような熱狂に包まれていた。イタリア一部リーグ、クラッセAの名門フィレンツェCCの本拠地におけるイタリア一部リーグ、クラッセA第5節キエーボ戦。


 フィレンツェCCは第4節までを全勝と幸先のよいスタートを切っていた。

 

 昨年リーグ10位の体たらくで終わったシーズンとは対照的だった。


 しかし、第3節では決定力に欠き、アタランタに辛勝しており、この決定力のなさをどう打開するかをフィレンツェのサポーターは気を揉んでいたのだ。 

 

 試合は後半15分、前半開始10分で双方が上げた1点ずつからスコアは膠着状態にあった。


 ベンチに座る優吾の視線の先には、三十八歳の大ベテランとなったフランシス・リベリーノがいた。


 フランス代表の伝説的ストライカーである彼は、今もなおチームの顔として君臨しているが、この試合も含め決定的なチャンスに絡めていない。


(俺の出番はまだか)

 

 こうした膠着状態をいつも打開してきた優吾の矜持がイライラを募らせていた。


 そんな時だった。

 

「すぐにアップだ。10分後には出すぞ、ユウゴ」


 ヘッドコーチのフィリップス・ダマンが、フランス語で鋭く問いかけた。


「アップならハーフタイムで終わっている」


 そううそぶく優吾に指揮官は冷ややかに笑った。


 「ゴールに言葉はいらない。お前の魂を見せてこい」


 フィリップスはかつて優吾に「手加減はしない」と断言した男だ。その彼が、後半25分という勝負所で優吾をピッチへ送り出す決断を下した。


 ついに優吾は、かつて日本代表が世界の強さを思い知らされたバスティアンも立っていたこの神聖なピッチに、ついに公式戦の舞台として立った。


 ピッチの感触を楽しむ暇もなく、サポーターたちからの熱狂的なチャントが優吾を包んだ。


 優吾は気が遠くなるような感覚に見舞われた。


「俺にチャントだと……」


 実際にフィレンツェのサポーターは試合に出ていなくても練習の様子などで優吾への期待を募らせていた。


 自然発生的に優吾のチャントは既に出来上がっていたのだ。



 一方、スタンドの一角では優吾のエージェント、ジャック・グノーが、愛弟子の背中を見つめていた。

 

 ジャックはエージェントとして、この試合の結果が優吾の市場価値をどれほど高めるかを計算していたが、その眼の奥には、一人のフットボーラーとしての純粋な期待が宿っていた。


 自分のチャントを聞いて正直浮足立ってしまった十数秒間の後、すっかり落ち着きを取り戻した優吾を、リベリーノが不敵な笑みで迎えた。

 

 「オレにアシストならさせてやる。来い、小僧」

 

 かつて練習で優吾を「ヒャッホゥっ!」と翻弄しボールを奪っていったあの男が、今は頼もしい相棒として隣にいる。


 ファーストタッチの機会はすぐに訪れた。


 優吾はツートップの右側に位置し、ミッドフィルダーからのパスを受けてはペナルティエリアに侵入を試みる。


 スカウティングがしっかりしているのか、相手ボランチがしっかりと対応してきて、相手センターバックと二枚のディフェンスを背負う羽目になった。


 転がされ、ファールをアピールするも主審には早く立ちなさい、と促される始末だった。


 その後も何度かボールを受け、リベリーノにラストパスを送ったがリベリーノへの対応もアタランタはそつがなく、得点には結びつくことがなかった。


 しかし試合終了間際、その時は訪れた。


 中盤の底でボールを奪ったディフェンシブハーブのマクガイヤから、鋭く長い縦パスがリベリーノへ通る。リベリーノは、ドリブルで突っかけて相手ディフェンスをつり出し、そのディフェンスのいたスペースにノールックで緩いパスを出した。


 そこには、練習で何度も反復した鋭い動き出しでスペースへ飛び込む優吾の姿があった。優吾は迷わず左脚を振り抜いた。ボールは綺麗なカーブを描き、ゴールネットの右隅に突き刺さった。

 

 スタジアムが爆発したような歓喜に揺れる。優吾は叫びながらコーナーフラッグへと走り、リベリーノとがっちり抱き合った。

 

 その光景を、テレビ画面を通じて見つめる男がいた。ベルリンのアジト。中嶋啓吾は、初陣における成功の絶頂にいる義弟の笑顔を、憎悪の籠もった瞳で凝視していた。


「……ヴィオラか。よく似合っているよ、優吾」


 啓吾の傍らには、ワルシャワでのハットトリック工作によってパヴェウ・ジェルジンスキから絶大な信頼を勝ち取ったマチェックが立っていた。


「ボスも仰っていましたよ、啓吾。実益をもたらす者こそが正義だと」


 マチェックは、バイエルン地方全体の責任者に昇格した自信から、以前にも増して啓吾を軽んじるような口を叩く。


 一方、地下組織「23」の活動は、サッカーの枠を超えてその質を変えつつあった。


 かつてのポーランド系移民の解放を訴えたテロリズムは、今やネオ・ナチズムを信奉する新たな層を加え、大規模なテロリズムへと変貌を遂げている。


 啓吾が関与したサン=ドニでの惨劇は、単なる暴力ではなく、捜査を撹乱するための精緻な計画の一部であった。ジェルジンスキが率いる「23」は、八百長による資金調達システムを構築し、欧州全域にその触手を伸ばしている。


「マチェック、次の仕事だ」


 啓吾は低く、地を這うような声で言った。


「カン・ソングーをもっと上手く使え。奴に教え込んでやれ。本当のハットトリックは、ピッチの上だけで完結するものではないということをな」


 何を言ってるんだ、という表情でマチェックが言葉を返す。


「啓吾、お前の指図はもう受けない。ボスが言っていたことを聞いていなかったのか?お前はもう俺の監視役ではない」


 そう言われて啓吾は少し恨めしそうな顔をした。


「ああ、そうだったな。まあせいぜい足りない頭で一人で考えてやってみろ。俺はもうお前の監視はしないが、助言もしない」


「ああ、最初からお前の助言など役に立たなかったから願ったりかなったりだがな」


 マチェックは尊大にもそう言って笑った。


 今夜のフィレンツェの夜空に響く称賛の声は、啓吾の心には響かない。


 単なる恨みへの火薬の追加にしかならなかった。

 

 今晩の、優吾のこの華々しい初陣が、兄弟をめぐる血塗られた運命の歯車を、より残酷な速度で回し始めたことだけは確かだった。

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