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シンジケート  作者: Tohna
ベルリン・ワルシャワ
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第38話 誤算と転機

 9月18日、ワルシャワのスタディオン・ヴォイスカ・ポルスキエゴを包む空気は、すでに冬の訪れを予感させるほど冷え込んでいた。


 気温は13℃まで下がり、吐き出す息が白く滲む。メインスタンドの片隅で、中嶋啓吾は隣に座るマチェックの饒舌な解説を、苦虫を噛み潰したような表情で聞き流していた。


 フィールドでは、シャルロッテン・ベルリナーのカン・ソングーが、アルミア・ワルシャワの守備陣を蹂躙していた。


 一点目、そして二点目。そのいずれもが、ソングーの個人技というよりは、相手ディフェンスの「不可解な綻び」によって演出されたものだった。


「見てくださいよ、ボス。ソングーの動き、野生の勘が冴え渡っている」


 マチェックは、背後に座るパヴェウ・ジェルジンスキに向かって、己の功績を誇示するように声を張り上げた。


「今日のために、アルミア側にも十分な『仕込み』を済ませてあります。ハットトリックという大博打、必ずやモノにしてみせますよ」


 啓吾は、その言葉に激しい嫌悪感を覚えた。かつてプロとしてピッチに立っていた彼にとって、神聖であるべき勝負が裏金で汚されていくことではなく、こんな子供だましのようなイカサマしか思いつかないマチェックの低能さ加減が耐え難かったのだ。


「おい、マチェック。やりすぎだ。これほど見え透いた真似をすれば、当局の目が光る。リスクを考えろ」


 しかし、マチェックは鼻で笑った。


 「啓吾、あんたは頭が固いんだ。これはビジネスだ。掛け率は三十倍を超えている。今日、我々が手にする利益がどれほどのものか、想像もつかないのか?」


 その時、決定的な瞬間が訪れた。


 後半四十四分。ソングーが放った三本目のシュートは、決して完璧なものではなかった。


 しかし、ポーランド代表を擁するはずのアルミア守備陣は、まるで金縛りにあったかのように動きを止め、ゴールキーパーは届くはずのボールをボールウォッチャーとしてあからさまに見送った。


 ネットが揺れる。ハットトリック達成。


 スタジアムは偽りの熱狂に包まれ、サポーターはソングーの名前を連呼した。


 試合終了後、ジェルジンスキは静かに席を立った。その冷徹な眼差しは、興奮するマチェックを捉えていた。


「マチェック。お前は期待に応えた。確実な集金こそが、今の組織にとって最大の正義だ」


 ジェルジンスキはそのまま、衝撃的な通告を口にした。


「今後、ババリア地方全体のスカウト責任者は、マチェック。お前に任せる」


「ボス! ありがとうございます!」


 歓喜するマチェックの影で、啓吾は愕然とした。それは実質的に、組織内での序列の逆転を意味していた。


「ボス、正気ですか? こんな詐欺師のような男を……」


 啓吾が食い下がろうとすると、ジェルジンスキは足を止め、冷たく言い放った。


「啓吾、お前はフットボールという競技に執着しすぎている。復讐はいいが、それが組織の利益を損なうのであれば、お前の価値は無に等しい」


「そうじゃありません!目先の利益でこんな茶番を繰り返して入れば、早晩我々には捜査の手が伸びてすべてを失うリスクがあると言っているのです」


 ジェルジンスキは鼻を鳴らして、一度も啓吾と目を合わせることなく、VIPルームへと去っていった。


 9月も半ばだ。啓吾の頬を打つワルシャワの夜の風は冷たい。


 啓吾も組織も資金難であるのはそれとなく分かっていて、思えばこの間のパリの高速道路でのテロにもかなりの資金を要したが得られたものは十分とは言えず、組織トップのいら立ちもピークに達していると聞いたことを思い出していた。

 

 しかし、マチェックのような稚拙かつ強引すぎるやり方がリスクを呼ぶと、啓吾は警鐘を鳴らしたつもりだったが、ジェルジンスキにはそうは受け取られなかった。


 フットボールファンの目は肥えている。

 

 ハットトリックの発生する確率はおおよそ3%。 

 マチェックのやっていることはフットボールファンの目を欺くこととは程遠いことがフットボーラーであったからこそわかる事だ。


しかし、警鐘を鳴らした啓吾に対して、むしろ組織には忠誠を誓っていない要注意人物に指定された可能性すらあると、憤怒の裏で戦慄していた。


 やりきれない気持ちになり、ふと見た手元のスマートフォンには、フィレンツェでヘッドコーチとがっちり握手を交わす異母兄弟、優吾の笑顔が映し出されていた。


「俺に比べてこいつ(優吾)は順風満帆じゃねえか……」


 独り言ちながら、自らを振り返れば、自分はすべてを失いかけている。地位も、プライドも、世界への復讐の主導権さえも。


「ふざけやがって……ふざけやがって!どいつもこいつも!ふざけやがって!」


 啓吾の呟きは、狂喜する観客の声にかき消された。


 啓吾の瞳の奥には、蒼い炎が点っていた。自分以外はすべて敵……そんな意識が透き通っているような瞳だった。


「マチェックも、ジェルジンスキも。そして、のうのうとヴィオラのユニフォームを着ている優吾……。お前ら全員、俺の手で地獄へ引きずり落としてやる。今に見ていろ」


 ワルシャワのスタジアムの闇の中で、一人の男の歪んだ殺意が、組織をも飲み込む巨大な火種へと変わろうとしていた。

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