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第5章:忠実なる警告者①

 事の始まりは、帝国西部に設置された内務省管轄――統治行政総監部西方支部に、一人の降将が赴いたことに端を発している。


「リュッケン大尉、本日はどのようなご用向きでしょうか?」


 応対したのは、折よく現地に赴任中であった内務相エリックであった。彼は内務相であると同時に統治行政総監の職にあり、その指揮下には帝国西方軍警予備隊も含まれている。ゆえに、その指揮官の一人であるフロリアン・フォン・リュッケン軍警大尉が面会を求めてきたとしても、違和感はなかった。


 本来であれば、現在のエリックに課せられている職務の範疇を外れる案件である。しかし人格者として知られる彼は、多忙の中にあっても現場指揮官からの面会要請を無碍にするような人物ではなかった。


「グルーバー総監殿。本日は折り入ってお願いしたいことがあり、参りました」


 エリックよりやや年長の、旧正統ルガルディア帝国の貴族であった男は、覚悟を決めた表情でそう切り出した。


「どのような件でしょう。私にできることであれば、力になりたいと思いますが」


 エリックもまた、切実にその申し出に向き合った。フロリアンのように、かつてエルデンライヒと剣を交えた旧敵であっても分け隔てなく応じること――それこそがエリックの人格的魅力であり、彼の人望と統率力によって統治行政はこれまで円滑に機能してきたのである。


 しかし、今回のフロリアンの申し出は、さしものエリックをして返答に窮させるものであった。


「どうか、我々の軍に加わっていただきたい!」


 そう言って深々と頭を下げるフロリアンに対し、エリックはその「我々の軍」が何を指しているのかを理解するまで、わずかな時間を要した。


「……ええと、西方軍警予備隊のことであれば、私はすでに予備役の身です。残念ながら参加することはできません」


 それは表面的で、既定事実に基づく回答であった。エリックが、その言葉の裏にある“別の意味”に気づかなかったわけではない。だが、それを自ら口にすることはできず、どうか自分の思い過ごしであってほしいと内心で願っていた。


 しかし、いくら目を背けようとも、現実がそこに現れてしまえば受け止めざるを得ない。そして今のエリックは、それに対して何らかの判断と回答を求められる立場にあった。


「いいえ、エルデンライヒ帝国ではございません。我々――『正統ルガルディア西方諸侯連合』に、でございます」


 その申し出が意味するのは、すなわちエルデンライヒ帝国からの離反、そして敵対であった。


「……リュッケン大尉。それは、些か承服しかねる申し出です」


 無論、エリックの答えは最初から決まっていた。皇帝ヴィルヘルム率いるエルデンライヒ帝国から離反する意思など、彼には毛頭なかった。


「ですが、なぜそのようにお考えになられたのか……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 だからといって、即座に処断を命じるような拙速な男でもない。


「極端な道に走らずとも、別の解決策が見いだせるかもしれません。もしそうであれば、私も全力で皆さんのお力になれるはずです。ですから――」


 そう言って、エリックは自ら頭を下げた。


「どうか、私に皆さんを助ける機会を与えてください」


「……っ!」


 この行動に、フロリアンはさすがにたじろいだ。これから離反し、剣を交えようという相手に対し、頭を下げ、解決策を探す機会を与えてほしいと願う行政長官など、常識では考えられない。


 本来であれば、その場で拘束されてもおかしくはなかった。だがエリックはそうせず、まず彼らの言い分に耳を傾けようとした。その姿勢こそが、彼が内務相として慕われ、統治行政総監として各地の統治を円滑に進めてきた理由であった。


「……我々には、もはやエルデンライヒ帝国に身を寄せる場所がございません」


 しばしの沈黙の後、フロリアンはそう吐露した。


「そのようなことはありません。皆さんは先の大戦を経て、すでにエルデンライヒの民となりました。リュッケン大尉のお働きぶりも、私の耳に届くほど優れたものだと承知しています」


 実際、エルデンライヒ帝国に降った後のフロリアンは、帝国西方地域において軍警予備隊の部隊を指揮する立場として治安維持や反乱鎮圧に尽力し、優れた成果を挙げていた。彼が帝国陸軍に正式に編入され、正規軍の将校として遇される道は、もはや既定のものとなりつつあった。


「ですが、それは――かつての同胞を、我々自身の手で討って得られた功績です」


 フロリアンは、その働きそのものに強い不満を抱いていた。


 そして、その指摘は決して的外れなものではなかった。


 帝国陸軍上層部、特に参謀本部の立案により、新たに帝国領となった地域での反乱鎮圧は、現地に設置された軍警予備隊を主戦力として投入する方針が採られていた。いかに強大な軍事力を誇る帝国陸軍であっても、すべての反乱蜂起に正規軍を差し向けるのは手間も費用もかかり、非効率である。


 加えて、軍警予備隊での働きを通じて帝国への忠誠心と実務能力を見極め、真に有能かつ信用に足る者のみを帝国陸軍に編入する――そのような合理的判断に基づく政策であった。


 確かに、それは実に効率的で合理的な方法である。しかし同時にそれは、フロリアンの言う通り、「帝国で居場所を与えられるためには、かつての同胞を討て」と命じることと同義でもあった。そして、その任に当たる将兵たちが、何の不満も抱かずにいられるはずがなかった。


 この問題は、エリックにとっても以前から懸念事項であった。だが、これに代わる有効な手段が存在しないことも、また残酷なまでに事実であった。


 旧正統ルガルディア帝国の諸侯は、つい最近まで敵であった存在である。同じ帝国民となったからといって、即座に信用され、同等に扱われるわけにはいかない。実際、編入交渉の過程では、エルンストが相手方から無益な抵抗や見当違いな要求を突きつけられ、交渉が幾度も長引かされた例もあった。


 また、実力主義を標榜する帝国において、“かつて貴族であった”という身分が、そのまま有能さを証明するものではない。能力を見極めぬまま正しい評価や適切な役職を与えることなど、不可能なのである。


 それはエリックも、参謀本部も、そして何より皇帝ヴィルヘルム自身が共有している認識であった。ゆえに、この政策が強権的で、人々に圧迫と過酷な労力を強いるものであると理解しつつも、“合理的”という名の下に承認され続けてきたのだ。


 さらに言えば、いずれ不満を露わにするであろう不穏分子を早期に炙り出し、排除する好機になる――そのような冷酷な発想も、帝国上層部には存在していた。


 ボレニアやカルノヴァで統治行政の成果を挙げてきたエリックであっても、それを遥かに上回る広大な領土と人口がもたらす問題すべてに、適切に対処できるわけではない。実際、このやり方に思うところはありながらも、一定の成果を上げていることは否定できなかった。


「リュッケン大尉のお気持ちは、もっともなものです。ですから、私から陛下に直接奏上いたします。どうか、それまで軽挙は控えられますよう」


 エリックはこれまでにも、同様の反乱の兆しを幾度となく見てきた。そしてその多くは、事が大きくなる前に収めることができていた。今回もまた、そうなるはずだと信じていた。


「グルーバー総監のお言葉、誠に痛み入ります。やはり、貴方にお話ししてよかった」


 フロリアンは一応は納得したかのように応じた。だが、続く言葉はその空気を一変させる。


「ですが、我々の我慢も、もはや限界にございます。非力で愚かな身であっても、貴族として、領主としての意地がある。ならば――たとえ弾圧の手に屈しようとも、皇帝の軍に一矢報いねば、死んでも死にきれません」


 フロリアンの眼差しは、紛れもなく本気であった。


「リュッケン大尉、どうか今一度冷静になってください。仮に離反が成り、西方諸侯連合が国家を打ち立てたとしても、その国はエルデンライヒとサンテルランに挟まれた、ただの小国に過ぎません。


 それはすなわち、いずれ二つの大国に食い尽くされる運命にあるということです。その結末は、皆さんが掲げる理想のために支払うべき代償として、果たして見合うものでしょうか?」


 それは、軍の指揮官として教育を受けてきた者ならではの、冷徹な現実認識に基づく指摘であった。


 帝国から離反し、新たな国を築く――それは確かに人々に希望を与える夢のような話である。だが、理念や理想は、それを守るだけの力を伴わなければ意味を持たない。力なき理想は、野に放たれた家畜の群れと同じだ。やがて血に飢えた肉食獣の餌食となるだけで、交渉の余地すらない。


 正統ルガルディア帝国の時代であれば、あるいは別の可能性もあったかもしれない。しかし彼らは、その時代においてすら有効な対処を成し得なかった。それよりも脆弱な連帯で、どうして成し遂げられるというのか――エリックは、その見通しの甘さを指摘せずにはいられなかった。


 しかし、いくら言葉を尽くしても両者の見解が交わることはなく、やがてフロリアンは別離の言葉を残して、エリックの前から姿を消した。

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