第2章:砲兵令嬢の結婚事情⑥
はっきり言って、結婚云々にそこまで悩む必要はない。
確かに人生においてそれは重要な出来事であり、節目であり、その後の将来を決するという点で重要なのは否定しない。だが突き詰めれば、それも人間が生み出した社会契約の一つに過ぎないのだ。自然界には、そんなものは明確に存在しない。生涯を通じて特定の相手とだけ添い遂げる種もあるにはあるが、それが自然界の理ではない。そういう観点で言えば、複雑に考えるのは人間くらいなものかもしれない。
しかし、だからこそ、人間はその単純なことを複雑に考え、そこに思いを寄せ、自分たちで勝手に縛りを作っていく。それを経ることを「人生」と呼ぶのかもしれない。
そういう意味では、ジークハルトもシャルロッテも、しっかりと「人生」を歩んでいたのだ。
「なあ、シャルロッテ…今ちょっといいか?」
「な、なに?ジーク、改まって…」
二人の結婚話が公になり、少し気まずい空気の中で対面した時、いつもとは違う妙な緊張感があった。
実直で、単純。豪胆で、大胆。
そんな人柄を象徴する二人であったが、今の二人の間の空気はいつもの兄妹のような軽さではなく、独立した個人同士としてのものになっていた。
「陛下、勝手に騒ぎ立てた我々にも非はございますが、そこまでしてジークハルト殿に結婚を勧めなくてもよいのでは?」
執務室に戻ったヴィルヘルムとヨハンは、そう話していた。
「ジークハルト殿とシャルロッテ殿の関係は、士官学校の時から見てきました。兄妹――というのは些か大袈裟ですが、あくまでも親しい同期生や戦友という関係でも十分ではないでしょうか?」
ヨハンの指摘はもっともだった。個人間の問題に、周囲が口出しする権利などない。ジークハルトとシャルロッテの仲は非常に良好で、これまで支障をきたしたこともない。それを無理に別の形に変える必要はない。
「いや、ジークハルトにはぜひ家族を作ってほしい」
しかしヴィルヘルムの意志は揺るがなかった。
「…陛下、そこまで何をジークハルト殿に求められるのですか?」
ヴィルヘルムの声色には、独身の親友を気遣う優しさも、二人を無理にくっつけようとする悪ふざけもなかった。その真意は、ヨハンにも気になった。
そして、ヴィルヘルムは胸中の思いを口にした。
「ジークハルトは孤独な男なのだ」
「孤独?ジークハルト殿がですか?」
ヨハンには意外な評価だった。ジークハルトは人付き合いに不器用ではなく、人格に致命的な欠陥もない。部隊の長としての人望も厚く、気にかける者は少なくない。
「ジークハルトは他の者とは違う」
それはヴィルヘルムが、この10年近く彼と関わる中で感じた、彼の異質さだった。
「あいつは人一倍感受性が強く、世界をありのままに受け止めてしまう。それはあいつの美点だ。間違いない。しかし、それが常に良いことばかりではないのも事実だ」
ヴィルヘルムはメモ紙に大きく「148」と書き、ヨハンに見せた。
「この数字が何かわかるか?」
「いいえ、なんでしょうか…」
「ジークハルトが私と出会い、私のもとで戦い、そして――死なせてきた部下たちの数だ」
ヨハンは息を飲んだ。
「はっきり言って、150人弱の戦死者など珍しくもない。むしろ、これまでの戦いで、指揮下からたったこれだけしか死なせなかったのは偉業だ」
だが…と、ヴィルヘルムは重く続けた。
「ジークハルトはそれを全て覚えている。誰も覚えていなくても咎めはしないというのに、あいつは律儀に忘れられないのだ」
その辛さを、ヨハンは自身の想像力でさえ完全には理解できなかった。
「このままでは、あいつは壊れてしまう。優しすぎるのだ、あいつは…」
「…しかし、陛下がいらっしゃいます。陛下がジークハルト殿を気にかけているように、ジークハルト殿も陛下に信頼を寄せております」
「無論、私ができることならそれで良い。だが、全ての傷を癒せるわけではない」
それは、かつてパルミラートでジークハルトが心を痛めた時に確信した事実でもあった。
「心が軟弱なのではない。むしろ強固であるからこそ、ひびが入り、砕けた時、修復できないのだ」
帝冠に輝くダイヤモンドですら、最高硬度を誇っても、割れる時は割れるのと同じだ。
「だから、ジークハルトには確固たる心の支えが必要なのだ」
ヴィルヘルムはそれを、“家族”に求めた。
「ジークハルトの苦しみを癒し、彼を支え、そして、彼自身が支えなければならないという存在――それが私の求めるものだ」
ヴィルヘルムは淡々とそう告げた。
「…陛下はやはりお優しい方かと存じます」
「おべっかはいい、リッテンベルク。私は目的達成のためにジークハルトを必要としているだけだ。そのために必要な経費として利用する――血も涙もない男なのだ」




