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第2章:砲兵令嬢の結婚事情⑤

 ジークハルト自身も、シャルロッテとの結婚について考え始めていた。周囲には致命的な誤解や事実の行き違いがあったが、説明を済ませ、一応の納得は得られた。しかし、彼らの発した言葉が、ジークハルトを深い思考の海へと漕ぎ出すきっかけとなった。


「この際、シャルロッテと本当に結婚してしまえばいい」


 その無責任とも言える言葉に、ジークハルトは衝撃を受けた。


「そんな軽く言うな。相手にとっては重要なことだろうが」


「…だが、お前自身はどうなんだ。シャルロッテと結婚することに、お前はどう向き合うんだ」


 問いかけに、ジークハルトは即答できなかった。本気で考えたことがなかったからだ。


 シャルロッテとの結婚――それは、これまで同期や同僚としてしか見てこなかった人物を、女性として意識し、生涯の伴侶とすることを意味していた。


 ジークハルトの結婚観を言えば、夫婦とはお互いを深く愛し、平穏で幸福な日々を共に過ごすことが前提であった。それは固定化された価値観に縛られたものではなく、一種の“憧れ”であった。


 幼少期、彼は父を亡くしている。猟師であった父は、仲間をかばって崖から滑落し命を落とした。その後、母は女手一つでジークハルトと妹を育て上げた。父の人望と仲間思いの性質は、集落の人々による手厚い支援をもたらし、ジークハルトもまた、無頼な言動とは裏腹に、温かみに信頼を置き、仲間想いで責任感の強い人格を育むことになった。しかし、父の不在は彼の価値観や願望に微かな欠損として影響を残していた。


 父のいない家庭を不幸だと思ったことはない。集落は温かく、彼は同年代の中でリーダー的存在として頼られ、孤独感とは無縁だった。だが時折、考えてしまうことがある。自分が結婚し、父親となったとしても、軍人として生涯を戦い抜き、家族を残して去ったとき。家族に、自分と同じ、あるいはそれ以上の悲しみと喪失感を抱かせるのではないか――という恐怖である。


 ジークハルトは現在、軍人をやめるつもりはない。


 ヴィルヘルムから、なぜ皇帝になりたいか、何を成したいかを聞き、その言葉に高揚と感動を覚えたことを忘れられなかった。それが彼の生きる理由であり、軍人を続ける理由でもあった。


 しかし、それは個人の我儘である。たとえその信念に殉じ戦死したとしても、残された家族にとっては関係のないことかもしれない。家族にとっては、平穏に生き続けてくれることこそが望ましいかもしれないのだ。


 ぶっきらぼうだが、人一倍情に厚く、責任感の強い自分が、信念だけに従って家族を顧みずに生きられるだろうか――その自己への恐怖もあった。


 さらに、家族を持つことで自分自身が変わり、夢に向かって走り続けられなくなるのではないかという恐れもあった。そう考えたとき、彼は結婚をせず、家族を作らず、ただ一人で我儘を貫く方が良いのではないかと無意識に思っていたのかもしれない。


 ジークハルトは、意志の強さゆえに、孤独な優しさも内包する人物だった。


「そんなまどろっこしいこと考えないで、一回結婚しちまえばいいんだよ」


 故郷からの旧友ハンスの言葉を、ジークハルトはふと思い出した。酒場で、酔った勢いで投げかけられたその台詞だった。


「いいか、ジーク。それはお前が勝手に“相手のことを考えてます”っていう押し付けの優しさだ。もちろんそれはお前の優しい所ではあるが、こと結婚に関して言えば、それは“自分勝手”ってもんだぜ」


「…遊び人のお前から言われると、身に染みるよ」


「お生憎様、今は女房一筋なんでね。もうすぐ子供も生まれるし、立派に父親して見せるさ」


 ソフィアと結婚したハンスは、すっかり家庭人になっていた。昔は武骨な一兵士で、刹那的な暮らしを楽しみ、飲みに付き合い、酒場の女給にちょっかいをかけるような悪友だった。だが今は、仕事が終われば真っ先に家に帰り、以前ほど酒に付き合うこともない。将来のために勉強し、士官選抜試験を受け、指揮官となり、給料を上げて家族を養うことすら考えている。


 結婚は、人を変えてしまうものなのかもしれない。ジークハルトはそのことを、改めてハンスの存在を通して感じた。


「相手もしっかりしてるんだ。お前だけが家族のこと全部抱え込む必要はないだろう」


「それはソフィアだからだ。アイツほどしっかりした女もいない」


「まあな。ソフィアは確かにしっかりしてる。俺も教えられてばかりだ。だがな――」


 ジークハルトに、明確な結婚観を与えたのは、もしかするとこの幼馴染の言葉だったのかもしれない。


「お前にやりたいことがあるように、相手にもやりたいことがある。考えた気になってるだけじゃなく、しっかり相手の話も聞け。そして、何かあったら、その時はその時だ。状況に即応して、その時の最大限で戦え。いつだって俺たちはそうしてきただろう?」


「…ふっ、お前に教えられる日が来るとはな」


「へん!こちとら結婚に関してはお前より先輩なんでね。なんなら夜のこととか教えてやろうか?女がどうすれば喜ぶかとか」


「そういう話をするな。台無しになるだろうが」


 そんなやり取りも確かにあった。


「…下世話なお節介だと思っていたが、まさかこういう時に役立つとはな…」


 ジークハルトは、一人でそのことを思い出し、小さく苦笑した。

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