第2章:砲兵令嬢の結婚事情④
「ジークハルト、お前もいよいよ身を固める覚悟ができたのだな」
「……は? 何を言っているんだ?」
「聞きましたよ。シャルロッテ殿とご婚約なされたとか」
それは御前会議が終わった直後の出来事であった。
エルデンライヒ帝国の成立と領土確定に伴い発生した抵抗勢力の弾圧。そのための部隊派遣と分担を決める会議であり、帝都ベルデンに駐留する軍部上層部が一堂に会する、長丁場の軍事会議だった。
帝国陸軍の各軍団長、参謀本部の面々といった錚々たる顔ぶれに加え、ヴィルヘルムの虎の子である第101機動戦闘団を率いるジークハルトも、その席に列していた。
張り詰めた緊張がようやく解かれた、その一瞬。
ジークハルトは、会議の内容よりもはるかに衝撃的な言葉を、ヴィルヘルムとその副官ヨハンから浴びせられたのである。
「おや?なんだ、ジークハルトも、とうとう身を固めるのか!」
その声に反応して、第1軍団長アンスバッハが会話に割り込むと、瞬く間にジークハルトと縁のある面々が集まり、口々に祝福の言葉を投げかけ始めた。
ヘルマンもその一人であり、
「家庭を持つということは、守るものが増えるということだ。より一層励まねばならん」
と、人生の先輩らしい言葉をかける。すると、その息子であるエリアスが、
「……あんたが言えることかよ」
とぼそりと呟き、足早に会議場を後にした。
相手が、ジークハルトと親しい間柄で知られるシャルロッテであるという点もあり、周囲にとっては意外性こそ薄いものの、それでも衝撃的な“カップル成立”として、皆が素直に喜んでいた。
しかし――
「いや、待て。俺とシャルロッテが結婚?そんな話、知らないぞ」
「「「……え?」」」
当の本人は、その結婚話について、まったく身に覚えがなかった。
「はあ!? 私とジークが結婚する!? どこからそんな話が出てきたんですか!?」
時をほぼ同じくして、非番だったシャルロッテは、アーデルハイトと共に子どもたちの世話をしている最中、身に覚えのない話を聞かされ、思わず声を荒らげた。
「え……違うのですか? 陛下からそのように伺いましたが」
「ヴィルヘルム陛下が? どうして?」
「なんでも、アイゼンドルフ家の方がいらして、シャルロッテ様の御成婚のご報告に参られたとか……」
それは、シャルロッテの知らぬところで静かに、しかし確実に進行していた結婚話だった。
ジークハルトとシャルロッテのやり取りを目撃したアンネリーゼは、実家に戻るや否や、両親に姉の婚約について語っていた。最初は思い込みだろうと取り合わなかった両親も、相手の特徴を聞いた途端、父アルベルトがそれがジークハルトであることに気づく。
アルベルトは、かつて機動戦闘団の演練をきっかけにジークハルトと面識があり、彼と娘が極めて親しい関係であることを知っていた。ならば、その話は事実であり、筋も通っている――そう判断した彼は、折を見てヴィルヘルムへ報告を上げたのである。
もっとも、当人たちにまったく兆しが届いていなかったわけではない。
噂を耳にした同期生や部下たちは、それとなく二人に探りを入れていた。
「団長は、ご結婚のご予定などは……?」
「お前たち、そういう話が好きだな。だが、浮ついたことに気を取られるな」
ジークハルトはそれを、ヴィルヘルムからの例の催促の延長だと受け取り、軽くいなした。
一方シャルロッテも、
「アイゼンドルフ家の方から、そのようなお話が……」
という部下の言葉を、アンネリーゼが職場にまで結婚の催促を広めているのだと思い込み、
「気にしなくていいわ。皆騒ぎ過ぎなのよ、その程度で」
と、まともに取り合わなかった。
こうして二人は、結婚話を否定も肯定もせず、ただ日常の雑談として受け流した。その態度が、周囲には「気恥ずかしくて隠しているだけなのだろう」という妙な共通認識を生み、噂は“事実”として機動戦闘団内に広まっていった。
そして、その“事実”がヴィルヘルムのもとへ報告された時――本人たちだけが知らない結婚話が、完成してしまったのである。
「……噓でしょ。よりにもよって、ジークとなんて……」
「お嫌いなのですか? 私たちの目には、大変お似合いに映りますが」
「嫌いとか、そういう話じゃなくて……そもそも、そういう目で見たことがないというか……」
シャルロッテにとって、ジークハルトは異性ではあっても、遠慮のいらない“男兄弟”に近い存在だった。
彼女には年の近い兄が二人おり、両親は兄妹の上下関係を強く意識させない教育方針だった。そのため、兄妹というよりも、気安い同輩のような関係の中で育ってきた。
一方で、年の離れたアンネリーゼは、そうした近しい兄妹関係の中では育っていない。だからこそ、兄妹には明確な上下があるものだと、どこかで認識しているのだろう。しかしシャルロッテにとっては、兄も同期生も、その延長線上にある存在だった。
士官学校の同期生たち――そしてジークハルトもまた、そうした感覚の中にいた。
それは、男社会である軍隊の中で、女性であるシャルロッテが不和を生まず、自然に馴染めていた理由でもある。だが、今回はその感覚が、思いがけず裏目に出た。
「……やっぱり、想像できません。ジークと夫婦になるなんて……」
「シャルロッテ様も、元は貴族の御出身。望むにしろ、望まぬにしろ、結婚はある種の義務として受け止めてこられたのでは?」
「それは……いつかは、どこかの貴族と結婚するんだろうな、とは思っていました。でも……いざ、自分が結婚するとなると……」
シャルロッテは、想像の中でジークハルトとの結婚生活を思い描いてみる。
異性として意識してこなかった同僚と夫婦になり、同じ屋根の下で暮らし、男女の関係となり、やがて子を成し、家庭を築く――慎ましくも穏やかな幸福。
確かに、それは幸せそうな光景だった。だが、どうしても現実味が伴わなかった。
「……やっぱり無理です。私は、普通の女の人とは違うし、いい奥さんにもなれないと思います。軍人としての生き方は辛いことも多いですけど、性に合っていますし……限界が来るまで続けたい。だから、結婚して家庭に入るというのは……」
これまで真剣に結婚を考えたことがなかったからこそ、その先がまったく見えない。
想像できない未来に足を踏み入れること――それが、シャルロッテには何よりも怖かった。
「……シャルロッテ様。私の言葉が、どこまでお役に立つか分かりませんが……」
真剣に悩む彼女の表情を前に、アーデルハイトは慎重に言葉を選んだ。
「良い家庭人になろうとしなくても、良い妻であろうとしなくても……よいのではないでしょうか」
それは、アーデルハイト自身がヴィルヘルムの妻として生きる中で辿り着いた考えだった。
「私と陛下は、いわゆる政略結婚です。夫婦である以上、一般の関係以上に求められるものがありました。それが重圧で……私に務まるのか、私が私でいられるのか、とても不安でした」
その本音を口にするのは、これが初めてだった。
「ですが陛下は、私が私らしくあることを決して止めませんでした。むしろ、私が望むことを叶えようとしてくださる、良き夫でいてくださっています」
「……陛下は、本当に良い旦那さまなのですね」
「ええ。そして、それはジークハルト様にも言えることだと思います」
アーデルハイトは、ヴィルヘルムが最も信頼する側近の姿を思い浮かべる。
「あの方は、無頼な口調とは裏腹に、とても愛情深い方です。そして、人をよく見ておられる。ヴィクトルのことも、ヴォルフィのことも、いつも細やかに気にかけていらっしゃいます。そこには、後継者として期待する周囲の方々とは異なる――“その者個人を見ようとする、公平すぎるほどの眼差し”があるのです」
「……公平すぎる眼差し?」
「はい。陛下のお言葉をお借りするなら、あの方は、まるで狼のような方です」
「狼……それって、野獣という意味ですか?」
「いいえ。そうではありません。
ただ静かに相手を見つめ、肩書や立場を剥ぎ取ったその先で、“目の前にいる一人の人間”だけを見ようとする――そんな瞳を持っている、という意味です。
だからこそ、あの方はシャルロッテ様個人を、きちんと見てくださる方だと思うのです」
アーデルハイトの穏やかな眼差しに、シャルロッテの胸の奥にあったわだかまりが、少しずつほどけていくのを感じた。
「一度、きちんと話してみてはいかがでしょう。軍人としてでも、同僚としてでもなく……一人の人間として」
その言葉は、かつてアーデルハイト自身がヨハンからかけられた言葉と、どこか重なっていた。
誰かの背中を押せる存在になれたことを、彼女は静かに、誇らしく思った。




