第2章:砲兵令嬢の結婚事情③
「……いや、お前いくつだよ」
「はぁい!シャルロッテ・フォン・アイゼンドルフ!24さいでぇす!」
舌もろくに回らないほど酔いつぶれた同僚を回収すべく、行きつけの酒場へ足を運んだジークハルトは、店の片付けと仕込みに追われる主人に申し訳なさそうな顔を向けつつ、問題の元凶を肩に担ぎ上げた。
「昼まで酔いつぶれやがって。お前のせいで、ヴィルヘルムのところからわざわざ来る羽目になったんだぞ」
「ごめんってば、ジーク~。怒らないでよぉ」
足元も覚束ないシャルロッテに肩を貸し、とりあえず二人の職場である機動戦闘団本部庁舎へ連れて行くことにする。放っておけば、その辺で野垂れ寝ていそうだったからだ。
「ったく……ここまで飲むなんて、何か嫌なことでもあったのか?」
「そうなのよぉ! ねぇ聞いてジーク! アンネリーゼってばねぇ――」
泥酔するまで飲み明かした理由と延々続く愚痴を聞かされながら、ジークハルトはシャルロッテを伴ってベルデン市内を歩いた。
「今のお前を見たらな、そりゃ家族だって心配するさ」
「ほんっと失礼しちゃうわ! 私だって、もう立派な淑女なのに!」
「今のお前に、そんな面影は欠片もねぇよ」
そんなやり取りを続けるうちに、ジークハルトはふと、先ほどヴィルヘルムと交わした話と同じ話題に行き着いていることに気づいた。
「……けど、やっぱ結婚って、した方がいいもんかね」
「なあに? ジークも結婚するの? あんたを好きになる女の人なんているの~? ……あ、ヘルティは抜きでね」
「馬じゃねぇか。そういう話じゃない。さっきヴィルヘルムに言われたんだよ。結婚する気はないのかって」
「はぁ~、ほんっと皆お節介よねぇ。どんだけ結婚させたいのよ」
「まったくだ。そもそも相手がいないってのにな」
「そうそう!」
そんな独身男女の他愛ないやり取りを、実は傍から眺めていた人物が二人、存在していた。
「……アンネリーゼ、やはりやめないか。お姉さんのことに首を突っ込むのは」
「駄目です、イルムフリート様。姉さまには、きちんとした結婚相手を見つけて、女性としての幸せを掴んでほしいのです!」
実家から逃げ出したシャルロッテを探すため、婚約者を伴ってベルデン市内を訪れていたアンネリーゼは、偶然にも酔いつぶれた姉と、それを介抱する一人の男性の姿を見つけた。そして、二人に気づかれぬよう、その後を追っていたのである。
結婚を頑として拒むシャルロッテを案じ、アンネリーゼは婚約者イルムフリートや社交界の人脈を頼り、年頃の独身男性の紹介状を集めてきた。しかし、その中に姉の好みに合う人物がいなかったのではないか――そう考えた彼女は、ならば姉の職場である軍隊にこそ手がかりがあるのではないかと思い至ったのだ。
幸い、シャルロッテは容姿も悪くない。男社会の軍であれば、引く手数多で選び放題に違いない。あるいは、すでに想いを寄せる相手がいて、その人物に振り向いてもらいたくて軍に居座っているのではないか――アンネリーゼはそんな仮説まで立てていた。
そして、その仮説を裏付けるかのような光景が目の前に現れた瞬間、アンネリーゼの胸は、まるで恋愛物語を眺めているかのような高揚感で満たされた。
「姉さま……やはり意中のお相手がいらっしゃったのですね!……ただ、姉さまの旦那さまにするには、もう少し身長が欲しいところですが」
「アンネリーゼ、よしなさい。男というのは、そういうところを気にするものなんだ」
「イルムフリート様も、そうなのですか?」
「……男には、いろいろあるんだよ」
イルムフリートの言葉は、すべての男性に当てはまるとは言えないにせよ、多くの共感を得るものではあるだろう。男らしさを求められているわけではなくとも、人はどう見られているかを気にするものだ。特に身長のような身体的特徴は、見た目という尺度によって安易に評価されがちである。それが人の本質を示すわけではないと分かっていても、無縁ではいられない世知辛さが確かにあった。
かくいうイルムフリートも背丈は平均的で、他の面においても男としての自信に満ち溢れているわけではない。女性と同じように、男性にも人知れず気にしていることはあるのだ。
「でも、彼は背丈こそ小さいけれど、体つきはがっしりしている。さすが軍人さんだね」
「そうなのですか? 私には、他の男性とあまり変わらないように見えますが……」
「見るところが違うのかもしれない」
二人がジークハルトについて小声で話している最中、思わず聞き耳を立ててしまう言葉が鼓膜を打った。
「じゃあ、私と結婚する? アンタ、なんだかんだ優しいし」
その一言に、跡をつけていた二人は息を呑んだ。直前の会話は聞き取れなかったが、確かにシャルロッテの方から男に求婚したのだ。
「えっ……!? 姉さまから、ご求婚を……!?」
「しっ、聞こえてしまうよ」
あまりの衝撃に、アンネリーゼはぽっと頬を赤らめた。つい先日、同じ帝国内の領地となった芸術の都ノイ・ヴィーンを訪れ、本場の舞台演劇を観てきたばかりだったのだ。
実力派女優カトリンが演じる、男に媚びず自由に生きる破天荒な貴族令嬢。その生き様に惹かれた男性が想いを寄せる恋愛物語――そうした物語に心を奪われやすい年頃のアンネリーゼは、すっかりその世界の虜になっていた。舞台だけでなく、小説や吟遊詩人の語りにまで手を伸ばすようになったのも、その影響である。
そして今、その物語の中でしか見られないような場面が、現実として目の前に繰り広げられている。興奮せずにはいられなかった。
「……そうだな。じゃあ、他に相手がいなかったら、そうしよう」
男性はそれを受け入れた。それはもはや婚約が成立した瞬間であり、その場に立ち会ってしまったことが、さらにアンネリーゼを高揚させた。劇的な演出はない。だが、何気ない日常の中で唐突に差し込まれる場違いな一幕だからこそ、そのギャップが強烈だった。
「やった! これで私、お嫁さんね! じゃあ、旦那さま! 私をおぶりなさい。歩くの疲れた!」
「はいはい」
そう言ってシャルロッテを背負ったジークハルトの姿を目にした瞬間、アンネリーゼはその場で卒倒した。
「アンネリーゼ!?」
「姉さま……積極的すぎます……」
この時代、公衆の面前で男女が手を繋ぐことですら、恋人であることを示す最大限の表現だった。差し出す側も、受ける側も、互いの同意がなければ成立しない慎ましい貞操観念の時代である。
アンネリーゼとイルムフリートも婚約者同士ではあったが、人前で手を繋ぐことなど、恥ずかしくて未だにできていなかった。それなのに、姉はその一線を越え、男性の背におぶられている。その光景は、アンネリーゼには刺激が強すぎた。
「……イルムフリート様」
その影響もあったのだろう。
「今日は、手を繋いで帰りませんか?」
アンネリーゼは勇気を振り絞り、婚約者に手を差し出した。
「え、あ……俺で、いいのか?」
「はい……イルムフリート様になら……」
「……じゃ、じゃあ、失礼して……」
こうして二人は、初めて人前で手を繋いだ。ベルデンの人々は、微笑ましく見守る者と、見てはいけないものを見てしまったような気分になる者と、半々だったが、若い男女の不器用な愛情表現を不快に思う者はいなかった。
「「……」」
二人は終始無言のままだったが、繋がれたその手だけは、決して離されることはなかった。
「ごめん、ジーク……吐きそう……」
「おい、ふざけんな! 降りろ、この酔っ払い!」
ロマンティックな空気を生み出した張本人であるはずの二人は、到底そんな甘さとは無縁のやり取りをしていた。
それを目にしたベルデンの人々は、皆一様に同じ感想を抱く。
――ああ、また、いつもの二人だ。
ジークハルトとシャルロッテは、もはや帝都ベルデンではすっかり名物と化していた。男女で肩を組んで歩こうが、背中におぶろうが、結婚だの何だのと、恋人同士でしか交わさぬような会話をしていようが、そこに特別な意味を見出す者はいない。
二人の関係は、どう見ても男女のそれではなかった。むしろ、気の置けない兄妹と形容した方が、よほどしっくりくる。
そして皮肉なことに、あまりにも自然で揺るぎないその関係性こそが、「この二人以上に相応しい相手はいない」という空気を周囲に生み、結果として、どちらにも言い寄る異性が現れない理由になっていたのだった。




