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第2章:砲兵令嬢の結婚事情②

「ところでジークハルト。お前は結婚はしないのか?」


 それは、ジークハルトが幼児の子守りを引き受けていた最中に、その父親から投げかけられた言葉だった。


「お、なんだ?妻帯者の余裕か?そんなの振りかざしてる暇があったら、息子の相手でもしろよ」


 ジークハルトは、もうすぐ2歳になるヴィクトルの相手をしながら、一向に我が子と向き合おうとしないヴィルヘルムに皮肉を返した。


「まあ、おいおいな。私としては、こうして子供の世話をしてくれるお前は、良き父親になれると思っただけだ」


 そう言ってヴィルヘルムは、ジークハルトと出会ってからの日々を思い返した。


 ノッセル回廊で初めて相まみえた頃、ヴィルヘルムは成人したばかりの15歳。ジークハルトは徴兵によって先に軍務に就いていた、16歳の山岳猟兵だった。


 あの出会いから、まもなく10年が経とうとしている。その間に数多の戦場を共にし、互いに親友と呼べる関係を築いてきた。


 その過程で、ヴィルヘルムはローゼンベルク王国の国王となり、アーデルハイトを王妃に迎え、さらにはグラウエンシュタインという地域大国を打倒して、エルデンライヒ帝国を建国、皇帝の座に就いた。


 そんなヴィルヘルムには、二人の息子がいる。


 現在ジークハルトが相手をしている長男ヴィクトルは、母アーデルハイト譲りのマホガニー色の茶髪を持ち、穏やかな顔立ちをした男の子だ。


 帝国盟主大戦後に生まれた第二子は、少し奇縁があった。誕生日がジークハルトと同じ6月3日であり、髪色はヴィルヘルム譲りの澄んだプラチナブロンド。その容貌と縁にちなんで『ヴォルフハルト』と名付けられた。銀狼を思わせる出自が、狼に由来する名を選ばせたのである。


 愛称は『ヴォルフィ』。まだ母親の手を離れられない年頃で、現在はアーデルハイトの近くで預けられていた。


 二人はいずれも、ヴィルヘルムが関わった戦争の直後に生まれた子供たちである。そのため周囲は、彼の才能を継ぐ後継者となることを当然のように期待していた。


 だが、その期待を向けていなかった者が一人だけいた。ジークハルトである。


 彼にとって二人は、偉大な父のもとに生まれただけの幼子だった。冷酷に言えば、才能に恵まれている保証などどこにもない存在。だが前向きに言えば、これから何者にもなれる自由を持った存在でもあった。


 そうした態度は純粋な子供たちにも伝わるのか、二人ともジークハルトによく懐いていた。


 もっとも、それを幸いとばかりに、ヴィルヘルムは子守りをジークハルトに押し付けがちであった。理屈の通じない幼児の相手は、実の子であっても苦手らしい。


 その点においても、ヴィルヘルムはジークハルトを“自分にはないものを持つ存在”として見ていた。


 だからこそ、彼の女性関係について浮いた話をまったく聞かないことが、以前から気がかりだった。少なくともこの10年弱、ジークハルトが特定の女性に親しみを示したり、興味を向けたりする様子を、ヴィルヘルムは一度も見たことがない。


「まあ、相手がいないからな……。逆に、お前たちみたいに結婚相手を見つけてくる方が不思議なくらいだよ」


 そう言って、ジークハルトは身近な人々の結婚事情を挙げていった。


 ヴィルヘルムとアーデルハイトの結婚は、君主としての立場が色濃い政治的なもの。内務大臣エリックは幼馴染との縁を結び、旧友ハンスとソフィアは職場結婚と呼ぶべき形だった。


 最近耳にするカールの恋愛事情は、彼の自慢癖と、それを裏付ける勲章の山に惹かれた女性たちとの交遊にあるらしい。


 意外にもヨハンは女性からの人気が高く、アーデルハイトが設けたお茶会をきっかけに、旧貴族令嬢との婚約が決まったという。


 エルンストにはすでに故郷に妻子がおり、今は離れていた時間を埋めるように過ごしている。


 妹も村の若者と結婚し、士官学校の同期や機動戦闘団の仲間にも家庭を持つ者は珍しくなかった。


 帝国成立を境に、落ち着こうとする者は確かに増えていた。


 恋愛も結婚も、その形は実にさまざまだった。


 だが、それらすべては、ジークハルトにとって縁遠い話であることに変わりはなかった。


「……あれ、待てよ?そういえば、アイツもまだ結婚していないのか」


 列挙していた顔ぶれの中で、いつもつるんでいる女軍人の存在を、ジークハルトは思い出した。


「アイツとは?」


「シャルロッテだよ。前にも話したが、軍人を続けたいから結婚はしないんだとさ」


「ん?結婚しても軍人は続けられるだろう」


「女だと、そうはいかないんだろ。誰が好き好んで、女房を戦場に送り出す旦那になるんだよ」


「そう考えると妙な話だな。夫を戦地に送り出すのは良くて、妻を送り出すのは駄目だというのは」


「それを言い出すと身も蓋もねぇよ。そもそも体力差もあるし、身重になったら戦場なんて無理だ。男はそういう心配はないしな。それに……」


 ジークハルトは、わずかに言葉を詰まらせてから続けた。


「女が戦場にいるってだけで、厄介な問題が起こりかねないんだろうさ……」


 それは歴史的にも、女性が軍人として前線に立つことを阻んできた要因だった。戦場という極限状態において、女性であること自体が彼女たちの身の安全を脅かしかねない。


 そのためエルデンライヒ帝国では、女性が軍務に就くこと自体は認められていても、実戦部隊への配置には慎重な姿勢を取っている。ソフィアのように後方勤務の女性兵は珍しくないが、シャルロッテのように前線で戦う女性兵は極めて稀な存在だった。


「なるほど……確かに、アイゼンドルフの夫になる男には鉄の心臓が必要だな」


「そんな奴いねぇよ」


 即座に否定するジークハルトに、ヴィルヘルムは試すように言った。


「ならば、貴様らが一緒になればよいのではないか?」


「は?」


「軍人を続けたいアイゼンドルフと、それを了承できる鉄の心臓を持つお前が夫婦になればよい」


 ジークハルトは、一瞬だけシャルロッテと結婚した自分の姿を思い浮かべ――そして即座に切り捨てた。


「いや、アイツはキツいだろ」


 肩をすくめて可能性を否定するジークハルトに、ヴィルヘルムは理由を尋ねる。


「普段の関わりを見ている限り、そこまで不釣り合いとも思えんが。性格の相性が問題ではないとすると……容姿か?それとも年齢か?」


「なんで真っ先に性格が除外されるんだよ。そこだよ、そこ。俺とアイツは取っ組み合いをする腐れ縁で、仲良く夫婦になるなんて想像もできねぇ。それに、互いになんとも思ってない」


「それはどうだろうな。夫婦になってから関係が変わる例は、決して少なくない」


「お前とアーデルハイトみたいに?」


「……私たちのことは持ち出すな。一般論だ」


「はいはい。聞いたか、ヴィクトル?お前の父親は、俺とシャルロッテを結婚させようとしてくるんだぞ。自分たちのことは棚に上げてな」


「子供に余計なことを吹き込むな、ジークハルト」


 二人が他愛もない会話を続けていたその時、扉がノックされた。


「入れ」


 許可を得て、来訪者が静かに扉を開く。


「お話し中、失礼いたします。陛下」


 ヴィルヘルムの副官、ヨハンであった。彼はひどく申し訳なさそうな表情で報告する。


「実はその……ベルデンの酒場にて、シャルロッテ殿がひどく酔いつぶれているとの通報がありまして……」


「「は?」」


 その一言に、ヴィルヘルムとジークハルトは揃って口を開けた。


「なんで市中で酔いつぶれてるアイツの話が、ここまで上がってくるんだよ。それとも何か?この皇帝様にはベルデンの出来事が全部筒抜けなのか?」


「いえ、そういうわけではありません。問題なのは彼女の立場です。陛下直属、中央軍隷下部隊の副責任者が警察や憲兵の厄介になるのは、さすがに看過できません」


 ヨハンは、酒場で酔いつぶれたシャルロッテを回収するため、身内から誰かを寄越せという不名誉な要請を受けていた。そして、それを皇帝ではなく、非番だった同期生ジークハルトに託すため、この部屋を訪れたのだった。


 もっとも、彼の申し訳なさそうな態度は、ジークハルトに雑務を押し付けることよりも、ヴィルヘルムから子守り役を借り出す点にあった。


「子供の子守りの次は、酔っ払いの世話かよ……」


 ぶつくさと文句を言いながら、ジークハルトは部屋を後にする。


「よくやった、リッテンベルク」


「……え?ヴィクトル様のお相手をなさりたかったのですか?」


「違う、そうではない」


 後に振り返れば、機動戦闘団の団員にではなく、同期生として気安い関係にあったジークハルトにこの雑務を託しに来たヨハンの選択こそが、運命の歯車を動かし始めた瞬間であった。


 しかしその時点では、当の本人がそれを知るはずもなく、ヨハンはなぜか成り行きで子守り役を命じられ、困惑するばかりであった。

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