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第2章:砲兵令嬢の結婚事情①

 とある元貴族の食卓での出来事である。


「姉さまは、いつご結婚されるのですか?」


「ブフッ!!」


 そう切り出したのは、アンネリーゼ・フォン・アイゼンドルフという元貴族の令嬢であった。未だ未婚の姉に向かって放たれたあまりに唐突な一言に、向かいで食事をしていた姉は思わず口中のものを噴き出してしまったのである。


「……汚いです、姉さま」


「アンタが突然わけわかんないこと言うからでしょうが!」


 そう言って、アンネリーゼの姉――シャルロッテ・フォン・アイゼンドルフは口元をハンカチで拭った。貴族らしからぬ粗野な振る舞いではあるが、その所作の端々には育ちの良さが滲む。シャルロッテとは、そういう人物であった。


「姉さま、私、先日婚約が成立いたしました」


「え、そうなの?おめでとう。相手は誰?ベルンハルト?それともイルムフリート?」


「……イルムフリート様です」


 ああ、フリートの方ね、と一人納得した様子の姉に、アンネリーゼは目を閉じてこめかみを押さえた。


「姉さま、私が言いたいのはそこではありません。いえ、それも無関係ではありませんが……話の本題は姉さまです」


「え、私⁉」


「はい。姉さま、いつになったら軍を退かれ、ご家庭に入られるおつもりなのか、アンネリーゼは心配でなりません」


「……またその話?別にいいじゃない。私は軍人という仕事が性に合ってるし、そもそも私たちはもう貴族じゃない。結婚して家を継ぐのも義務じゃないでしょ。アンタの結婚は本当にめでたいけど、それとこれとは別の話よ」


 シャルロッテは、何度目かになる結婚の催促にうんざりした様子で、豆のスープを黙々と口へ運び、話を打ち切った。


 実際、シャルロッテの言う通りであった。ヴィルヘルムが王位に就き、やがて皇帝となってエルデンライヒ帝国が成立して以降、貴族という旧特権階級は名ばかりの存在となった。かつてのローゼンベルク王国では、貴族は国家に奉仕する者として軍人や官僚になる義務を負っていたが、それも今はない。家系を維持することも、感情を排して考えれば固執する理由は薄れていた。


 結婚するか否か、軍人であり続けるか否か――もはやそこに縛りは存在しないのである。


 この時代では15歳で成人とされ、女性は16歳から結婚が認められていた。十代で結婚し家庭に入る女性は珍しくなく、特に貴族ではその傾向が顕著だった。17歳のアンネリーゼの婚約は標準的であり、24歳になっても未婚のシャルロッテは、旧来の貴族社会では「行き遅れ」と見なされかねない年齢であった。


 もっとも、シャルロッテとアンネリーゼには二人の兄がおり、すでにそれぞれ家庭を築いている。アイゼンドルフ家の血脈が途絶える心配はほとんどなかった。加えて、シャルロッテが仕える皇帝ヴィルヘルム自身が血統主義を重んじておらず、シャルロッテもまた血筋より個人の意志と能力を尊ぶ人物である。ゆえに彼女に結婚への焦りはなかった。


「もう!お父様もお母様も、何か言ってくださいまし!」


 埒が明かないと見たアンネリーゼは、同席していた両親に助けを求めた。


「アンネリーゼ。シャルロッテは皇帝陛下直属の部隊で重職を任されている。兄たちも立派だが、シャルロッテは中でも随一の出世頭だ。我が家としても、これほど名誉なことはない」


「そうねぇ……私としてはロッテにもお婿さんを迎えてほしいけれど、昔から言っても聞かない子だったし……」


 結局、両親は揃ってシャルロッテの肩を持つのであった。


 二人の父アルベルト・フォン・アイゼンドルフは、かつて伯爵家当主として名を馳せた砲兵指揮官である。長年に及ぶカルノヴァ=ストリェッツ共和国との戦争で負傷し前線を退いた後も、その手腕を買われ、現在は砲術学校長として後進の育成に携わっている。息子たちに幼少期から砲術を叩き込む家訓を持つ生粋の軍人であり、兄たちに混じって訓練に加わるシャルロッテを咎めなかった人物でもあった。


 母ヘートヴィヒは一族の縁者出身で、アルベルトとは幼馴染である。おっとりとした性格で社交界に積極的なタイプではなく、娘を華やかな場へ連れ出すこともなかった。そのため、礼儀作法こそ身につけているものの、シャルロッテが社交界に馴染まなかったのは、母の影響も否定できない。


 一方、アンネリーゼはその反動から、社交界に出るのが遅れたことを強く意識し、必死に礼儀作法や言葉遣いを学んだ。その結果が今の丁寧な口調であり、「貴族女性は若くして家庭に入るべき」という価値観に傾倒する理由でもあった。


 両親の奔放さがシャルロッテを軍人の道へ進ませた元凶であるとすれば、この家系にアンネリーゼのような典型的な貴族令嬢が生まれたこと自体、ある種の突然変異と言えただろう。


「そんな悠長なことを言っているから、姉さまは行き遅れてしまうのです」


「アンタ、時々ほんとに辛辣よね⁉」


「いいです!でしたら、このアンネリーゼが姉さまに相応しい結婚相手を探して参ります!」


 そう宣言すると、アンネリーゼは食事もそこそこに席を立った。拗ねていながらも、退室の際にはきちんと一礼をするあたり、シャルロッテにはない貴族令嬢然とした気品がある。しかし、一度言い出したら聞かない無鉄砲さは、姉妹揃って同じであった。


「まったく……あの猪突猛進ぶりは、誰に似たのかしらねぇ」


 ヴルストにかぶりつき、黒ビールで流し込むシャルロッテの姿は、どう見ても貴族令嬢のそれではなかった。軍人家系の生まれに加え、士官学校以来の軍隊生活が彼女を男勝りにしたことは否定しようもなく、両親が密かに案じていたのも事実である。




 翌日からシャルロッテのもとには、大量の見合いの申し出や社交界への招待状、さらには当時、旧貴族階級の間で流行していた文通の手紙までが、アンネリーゼの手によって次々と集められ、シャルロッテの私室に置かれるようになった。


 それらをあまりにも無視し続けたため、アンネリーゼは次第に手段を選ばなくなり、シャルロッテが普段使っているベッドの上や、着用する軍服のポケットにまで手紙を忍ばせるようになる。連日の執拗な攻勢に、ついに根負けしたのはシャルロッテの方だった。彼女は生家に戻ることをやめ、機動戦闘団の宿舎に入り浸るようになったのである。


「やばいって、あの娘!いったいどこから、あれだけの量の男の紹介状を持ってくるのよ⁉」


 シャルロッテは酒場で、同期生のカールを相手に愚痴をこぼしていた。


「そいつは災難だな。おっ、ビールが切れた。じゃあ俺はお暇するぜぇ」


 そう言って、カールは早々に飲み干し、席を立とうとする。


「ちょっと、カール。もう少し付き合いなさいよ」


 シャルロッテの絡み酒に参ったわけではない。カールも酒に強く、彼ら同期生は普段からよく一緒に飲む間柄だった。ただ今日は都合が合わず、たまたまカールだけが付き合ってくれていたに過ぎない。そしてそのカールも、ビール一杯分だけ愚痴を聞いたところで切り上げるつもりだったのだ。


「悪いな。今日はこの後、用事があるんだ」


 そう言ってニヤリと笑うカールに、シャルロッテは要領を得ず首を傾げた。するとカールは、いかにも自慢げに言った。


「いやな、最近いい感じの女がいてさ。今夜も口説きに行く約束なんだ」


「……はあ⁉ アンタに女⁉ ありえないって!」


「失礼な奴だな!これでも巷じゃモテるんだぜ!」


 そう言って、勲章がじゃらじゃらと付いた軍服を見せびらかし、カールは颯爽と酒場を後にした。


「カールよ……お前もか」


 たった一人酒場に残されたシャルロッテは、ふっと我に返り、残っていたビールを一気に飲み干した。


「なんか……皆、結婚してるなぁ。そんなに結婚って、いいものなのかな……」


 独身である自分の境遇を嘆いているわけではない。だが、こうして酒場に付き合ってくれる仲間が減っていくのは、どこか物寂しかった。家庭や恋人のもとへ帰っていく同期たちの背中は、結婚願望のなかったシャルロッテにとっても、少しだけ羨ましく映る光景だった。


「まあ、24にもなれば、同期のほとんどが結婚しててもおかしくないか。他に結婚してない奴となると……」


 本の頁をめくるように、同期生たちの顔を頭の中で順に思い浮かべていく。そして、ある人物のところで思考が止まった。


 同じ職場で、士官学校からの腐れ縁。取っ組み合いの喧嘩をするような間柄で、背の低い灰色髪の男。


「……いや、アイツはないわ! アイツだけは、絶対に!」


「一人で何ブツブツ言ってるんだよ、軍人のねえちゃん。よかったら、こっちで俺たちと一緒に飲まないか?」


 一人で騒いでいたシャルロッテの肩に、隣の席の男たちが声をかけてきた。振り返ると、下世話な笑みを浮かべながら酒の飲み比べを持ちかけてくる。勝ったら酒代は奢るという。


 もっとも、男たちの目的が純粋な飲酒量の勝負ではないことは明白だったが、飲み相手もいなくなり、ちょうどむしゃくしゃしていたシャルロッテは、その挑発を受けて立った。


 そして――


「私より強い男がいないのが悪い!!」


 酔いつぶれた男たちを足場に、ビールを高く掲げた女軍人は、そう叫んだ。


 戦場にも勝る歓声に包まれながら、酒場の夜は更けていった。

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