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第6章:皇帝ヴィルヘルムに栄光あれ!②

「待たせたな、ジークハルト」


「遅ぇって。道に迷ってたかと思ったぞ」


 大陸暦1274年5月8日


 ヴィルヘルムは、先発していたジークハルト率いる機動戦闘団が展開する、グラウエンシュタイン大公国の首都ノイ・ヴィーン近郊へと、ついに到着した。


 彼の背後には、ノイ・ヴィーン攻略のためのエルデンライヒ軍の先発1個師団が随伴し、さらにその後方には2個師団が続いている。総兵力は実に4万以上。


 首都とはいえ、一都市を攻略するには十分すぎる戦力であった。


 彼らは作戦局長エリアスの厳命のもと、進軍途中で部隊を瓦解させぬよう徹底した統制を施され、万全の準備を整えて編成・進軍してきた部隊であった。


 そのため体制は完璧であったが、到着がやや遅れたことは否めなかった。


 もっとも――彼らが実際に戦う必要は、どうやらなさそうだった。


「また、ずいぶん派手にやったな」


「今回は首都には手を出してねぇよ。出てきた連中を相手にしただけだ」


 二人の視線の先に広がっていたのは、数日前から放置され、今では野生動物やカラスに啄まれているグラウエンシュタイン軍兵士たちの亡骸と、砲撃によって穿たれた地面が点在する平原だった。


 ノイ・ヴィーンに到着してから、ジークハルトはしばし悩んでいた。


 眼前にある敵国の首都を攻撃するべきか、それとも黙って様子を見るべきか。


 というのも、首都防衛のために配備された守備隊と思しき戦力を、すでに目視で確認していたからだ。先制攻撃を仕掛けるか、それとも相手の出方を待つか。判断は容易ではなかった。


 ノイ・ヴィーンは、かつて攻略したワルサヴィクとは比較にならないほどの大都市である。


 軍事に疎いとはいえ、さすがに首都防衛を疎かにしているはずもなく、その戦力は1個師団規模に達していた。正面から攻めるには分が悪い。


 いっそ姿を見せて示威するだけでもいい――そう考え始めた矢先、予期せぬ来訪者が現れた。


「君が、ジークハルト君だね」


 現れたのは、壮年のグラウエンシュタイン軍人だった。単身での来訪に警戒しなかったわけではないが、たった一人で攻撃などできるはずもない。


 それに、相手はジークハルトの名を知っていた。事前に相当な調査をしているのだろうと察するのに、苦労はいらなかった。


 交渉を持ちかけに来たのだろう――そう判断し、追い返そうとした彼らだったが、次の言葉は予想を完全に裏切るものだった。


「こんなことを頼まれても困るかもしれないが……もし、首都守備隊が君たちに戦いを挑んできたら……徹底的に叩きのめしてほしい」


 その申し出に、シャルロッテは啞然とした。


「え⁉待ってください、貴官はグラウエンシュタイン軍の将校……いえ、将官ですよね⁉


 どうして将軍が、自軍の兵士を叩きのめしてほしいなんて……」


 至極もっともな指摘だった。


 男もまた、その整合性の取れない願いを自覚しているのか、頭を掻きながら居心地悪そうに答えた。


「君たちの力を知らない馬鹿どもが、それでも健気に立ち向かってくる。だから本気で相手をしてほしい……というのは建前でね。


 本音を言えば――こんな国、滅んでしまえばいいと思っているんだよ」


 その激白に、ジークハルトも驚きを隠せなかった。


「……あんた、国を見捨てるのか?」


「見捨てる、か。ずいぶん露骨だな……だが、半分は正解だ。


 俺みたいな年寄りには、もうこの国の在り方を変えてやることはできない。あそこにいる連中も同じさ。栄光に飾られた“グラウエンシュタイン”という名を、まだ手放せないんだ」


 だから――と、将軍は続けた。


「ここで手も足も出ずに徹底的に叩きのめされて、しがみつく気力ごと奪ってほしい。それが本音だ」


 その目には、悲壮な覚悟が宿っていた。


 ここまで必死に国に尽くし、戦ってきた壮年の軍人が、それでもなお「このままではいけない」と悟り、あまりにも高すぎる代償を払ってでも国の在り方を変えようとしている――そう気づいたとき、ジークハルトはそれ以上、何も訊かなかった。


「承知した。その時は本気で相手してやる。ただし、約束はできねぇ。こっちにも都合がある」


 その返答を聞いた男は、満足そうに笑った。


「それでいい。それでこそ若者だ!じゃあな、若者よ。また会えたら、その時にな!」


 そうして、祖国を捨てた男は颯爽と去っていった。


「愉快なおっさんだったな」


「ただの変人だと思うけど?」


「そう言ってやるな……そういえば、もう半分の理由を聞いてなかったな」


 ジークハルトは、すでに見えなくなった背中を、いつまでも気にかけるように見つめていた。


 彼が国を去る、もう半分の理由――


「グラウエンシュタインでは戦えなくなったが、他所なら存分に戦ってみせるさ。エルデンライヒの若者たちよ!その時こそ、互いに死力を尽くそうじゃないか。ヴィルヘルム、ジークハルト、そしてカールよ!!」


 ジークハルトの耳には届かぬ、遠い場所で――彼はそう叫んでいた。


 そして、その将軍の言葉どおり、ほどなくしてノイ・ヴィーンから首都守備隊が出陣した。


 彼らは市民から熱烈な壮行を受け、これから戦場へ向かうとは思えぬほどの賑わいの中、音楽と歓声に包まれながら軍靴を高らかに鳴らして進軍してきた。その光景は、まるで凱旋パレードのようですらあった。


「あいつら……もう勝ったつもりでいるのか?」


「違うわ。“首都を狙う悪しき敵軍からノイ・ヴィーンを守る英雄”として送り出されているだけよ」


「数は多いが……まあ、あのおっさんの頼みでもある。相手をしてやるか」


 こうして、ジークハルト率いる機動戦闘団と、ノイ・ヴィーン防衛のため出撃した首都守備隊との戦闘が始まった。


 機動戦闘団の兵力は千名弱。それに対し、首都守備隊は約1万5千名。数の上では実に10倍以上の差があった。


 さらに彼らは、首都防衛用の巨大な要塞砲を備えており、ノイ・ヴィーンに近づきすぎるのは明確なリスクを伴っていた。


 ゆえにジークハルトは、首都への接近を極力避けた。


 むしろ機動力を活かし、揺さぶりや陽動を繰り返して敵を誘い出し、要塞砲の射程圏外で各個撃破することを主眼に置いたのである。


 首都守備隊の任務は、エルデンライヒ軍をノイ・ヴィーンに近づけさせないこと。


 一方、ジークハルトに課せられた最大の任務は、後方から進軍してくる主力軍の到着を待つことだった。


 彼らの主眼に置く役目は、本来なら一致しているはずであり、それに従えば戦闘など起こりようもなかったはずであった。


 しかし、首都守備隊はその誘いに乗った。


 先遣隊である機動戦闘団を撃破すれば政治的勝利を得られる――その焦りと慢心が、彼らを前進させたのである。


 兵力差は圧倒的。要塞砲という火力支援もあり、何より自分たちは精兵だという自負があった。


 ジークハルト程度の部隊など、容易に蹴散らせる――彼らは疑いもしなかった。


 だが、現実は期待を裏切った。


 首都守備隊は、後退する機動戦闘団の追撃に夢中になるあまり、いつの間にか要塞砲の射程外へと誘い出されていた。その結果、十分な砲撃支援を受けることができなかったのである。


 砲撃の名手シャルロッテによれば、


「ノイ・ヴィーンの要塞砲は大きいだけの旧式。発射音と炎の派手さの割に射程は短く、精度も悪い」


 とのことで、実際、戦局に大きな影響を与えることはなかった。


 対する機動戦闘団は、あらかじめ火力集中地点を定めた攻撃陣地を構築し、首都守備隊を巧みにそこへ誘導した。そして容赦のない砲撃と機構銃の斉射を浴びせたのである。


 数で劣っていても、有利な地点で火力を集中させる各個撃破は極めて効率的だった。首都守備隊の戦力は、着実に、そして確実に削られていった。


 その戦い方が果たして本気と呼べるものなのか、先刻までのジークハルトとグラウエンシュタインの将軍との約束を知る者であれば、疑念を抱かずにはいられなかっただろう。


 だが、ジークハルトにとっての“本気”とは、常に“勝利を得る”ことを意味する。その勝利を確実にするために採られたこの戦術は、彼にとって疑いなく本気そのものであった。


 致命的だったのは、グラウエンシュタイン側が“戦力の小出し”と“分散投入”という愚策を、最後まで正しく認識できなかったことだ。


 小規模部隊が壊滅すれば、次は中規模部隊を――そんな対応を繰り返し、ようやく誤りに気づいた時には、もはや戦局を覆すだけの余力は残っていなかった。


 首都守備隊は、確かに高い練度を誇る精兵ではあった。


 だがそれは、実戦を想定しない教練によって磨かれた精兵であり、ジークハルト率いる、実戦に裏打ちされた精兵とは本質的に異なっていた。


 結果として彼らは、“経験の差”という埋めがたい現実の前に、ほとんど敗北と言ってよいほどの損害を被り、ついにはノイ・ヴィーンへと引き下がり、二度と野戦に出てくることはなかった。


 それは、グラウエンシュタインにおける「損耗を出さないこと」を重視しすぎた人事評価制度が生み出した弊害でもあった。


 無計画な戦力の小出しと、挽回の見込みもないまま下された温存判断――その帰結として、ジークハルトはノイ・ヴィーンを一切直接攻撃することなく、その抵抗力を事実上封じ込める戦果を挙げたのである。


 以降、グラウエンシュタインはほとんど主体的な行動を取らないまま、ヴィルヘルム率いるエルデンライヒ軍主力の到着を許すことになった。


「なるほど……首都守備隊を温存したい、か。まだ腹を決めきれていないということだな」


 経緯を聞いたヴィルヘルムは少し考えた後、率いてきた師団に命じた。


「ノイ・ヴィーンを包囲する形でクルーフ砲を展開せよ。そして一定間隔で砲撃を行う。ただし、実包を使う必要はない。空砲で十分だ」


 その命令に砲兵たちは笑ったが、受ける側のグラウエンシュタインにとっては悪夢だった。


 昼夜を問わず響く砲声に市民は怯え、政権中枢も、次はいつ総攻撃が始まるのかと神経をすり減らしていった。彼らにとって砲声を実際に耳にするのは初めての経験であり、その衝撃と恐怖は、たやすく彼らの精神を蝕んだ。


 グラウエンシュタインにも、要塞砲さえあれば勝機があるのではないかと考え、試みた者が皆無だったわけではない。


 だが、ノイ・ヴィーン周辺に展開するエルデンライヒ軍の砲兵隊は、騎馬運用の限界にあるシャルロッテの軽砲兵隊ではなく、野戦を主軸とした射程・威力ともに十分な野戦砲部隊であった。


 威嚇の一発として放たれた砲弾の発射地点すら特定できなかったことで、要塞砲の運用者たちは理解した。


 砲撃戦においても、もはや勝算は存在しない――と。


 徹底抗戦を主張していた者たちは、一日も経たぬうちに会議の場から姿を消した。


 そして翌9日。


 グラウエンシュタイン外務大臣テオドールが使者としてヴィルヘルムに面会を求め、手渡された国母エリザーベトからの書簡を読み終えたヴィルヘルムは、二人の人物を呼び寄せた。


「女主人からの招待だ。“ヴァイスリヒト宮殿”へ向かう。私についてこい」


 そう告げて、ヴィルヘルムはノイ・ヴィーンへと歩を進めた。


 一人は腹心ジークハルト。


 もう一人は、グラウエンシュタインを裏切った外交官――エルンストであった。

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