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第5章:五十日間戦争⑦

 大陸暦1274年4月23日、グラウエンシュタイン大公国領アルトグレーツ


 かつて、大陸を呑み込まんとした軍事的天才――シャルル騎士王を迎え撃った地である。勝利こそ得られなかったものの、その粘り強い持久戦は騎士王に「攻め落とすのは時間の無駄」と言わしめた。アルトグレーツは、そうした評価を与えられた数少ない栄誉ある古戦場であった。


 その広大な平原に、ローゼンベルク軍を中核とするエルデンライヒ軍と、グラウエンシュタイン軍を主体とする正統帝国軍が相対して集結していた。


 だが、正統帝国軍総司令官オットー3世の眼前に広がっていた光景は、当初の想定とはあまりにもかけ離れていた。


「どういうことだ、ライヒェナウ少将!聞いていた話と違うぞ!どこが“一部の部隊”だ! 我々に匹敵するほどの大軍ではないか!」


 激昂するオットー3世の声も、ライヒェナウの耳にはほとんど届いていなかった。彼自身、目の前の光景に言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすほかなかったのである。


 本来の算段は明快であった。


 グラウエンシュタイン軍を主体とする正統帝国軍が局地的決戦を挑み、エルデンライヒ軍から決定的勝利をもぎ取る。そして、その勝利を足掛かりとして外交交渉の席で戦争を終結させる――それがライヒェナウの描いた筋書きであった。


 そのために、彼は敵戦線を構成する“一部”の部隊に対し、圧倒的な数的優位をもって戦いを挑むつもりでいた。前線に残る戦力をアルトグレーツに集結させ、さらに後方に控えていた予備戦力のほとんどを動員した結果、正統帝国軍は総勢21万に達していた。


 いかに軍事力に秀でたローゼンベルク軍といえど、この規模の大軍を限定的戦力で打ち破ることは不可能――ライヒェナウは、そう確信していた。


 しかし、目の前の光景はその前提を根底から否定していた。


 敵は戦線の一部などではなかった。


 エルデンライヒ軍の主力と見られる中央集団だけで、14万以上。


 左翼にはカルノヴァ方面から進撃してきたアンスバッハ東部方面軍、5万。


 右翼には、つい先日まで西部戦線に展開していたはずの西部方面軍、3万。


 合計22万を超えるエルデンライヒ軍が、なぜか正統帝国軍の正面に布陣していたのである。


 ――圧倒的数的優位をもって敵部隊を撃破し、それを契機に外交交渉で勝利を掴む。


「……馬鹿が」


 ついにライヒェナウの口から、抑えきれぬ本音が漏れた。オットー3世の前で取り繕う余裕など、もはや残っていなかった。


「そんなこと……できるわけがない」


 彼の声には、明確な動揺が滲んでいた。


「いくら何でも早すぎる……奴らは軍事馬鹿ではあるが、無尽蔵に兵が湧いてくるわけじゃない。戦線に動員できる兵力には、必ず限界がある……そのはずだ。そのはずなのに……」


 ライヒェナウは必死に、この異常な状況の裏にある絡繰りを読み解こうとした。しかし、いくら思考を巡らせても、答えには辿り着けなかった。


 それも無理はない。


 そもそも、グラウエンシュタイン軍という枠組みに身を置く彼の思考には、この状況を可能にする“発想”そのものが存在しなかったのである。


 この大戦の勝因を技術的観点から分析するならば、それは疑いなく「大規模な鉄道動員」と「新技術であった電信の活用」に集約される。エルデンライヒ軍は、これら二つの技術を体系的に運用することで、戦場を、ひいては戦局そのものを支配したのである。


 ヴィルヘルムは早くから鉄道の持つ動員力に注目していた。徒歩行進や騎乗移動と比べ、鉄道は圧倒的に迅速かつ大量の人員・物資を輸送でき、しかも生物的疲労という制約を受けない。


 その基盤となったのが、かつて共和国軍で不遇をかこっていた工兵将校、カジミェシュ・シモンスキが立案・推進した『シモンスキ・プラン』である。鉄道、幹線道路、橋梁といった交通インフラを軍用に耐え得る水準へ引き上げ、それらをエルデンライヒ大同盟全域に網の目のように張り巡らせる――その構想は未完成ではあったが、彼を慕う多くの協力者の尽力により、この1年で急速に実用段階へと到達した。


 各国境線、すなわち各戦線の直前まで延伸された鉄道路線は、この時点で10本に達していた。これらは戦時体制下でフル稼働し、前線部隊の戦闘継続能力を絶えず支え続けた。無論、敵国領内にまで鉄路を敷設することはできないため、終着駅以降は従来通り馬車輸送に頼らざるを得なかった。しかし、それでも補給線全体の距離と時間を大幅に短縮できた意義は計り知れない。


 この輸送能力は、物資に限られたものではなかった。他戦線に展開していた部隊や装備を、短期間で主要戦域へ転用する――いわゆる『戦略的機動戦』を可能にしたのである。西部国境地帯で敵軍に決定的打撃を与え、戦線が事実上終息したと判断するや否や、西部方面軍の戦力は僅か数日で南部の対グラウエンシュタイン主戦線へと移送された。


 だが、この鉄道運用は机上の理論のみで成立したものではない。度重なる改良、修正、反復演練による運用練度の蓄積――それら地道な努力の末に、初めて実戦で通用する段階へと到達したのである。


 最新技術とは、それ自体が万能の魔法ではない。それを使いこなす制度と意思があってこそ、初めて力となる。


 そして、この巨大な輸送・動員能力を支えたもう一つの要素が『電信』であった。


 それまでの情報伝達は、伝令や伝書、手旗信号、狼煙など、いずれも時間と範囲という制約から逃れられなかった。その“時間”こそが、戦場における情報価値を著しく劣化させてきた最大の要因である。


 電信はそれを根本から変えた。電気信号によって符号化された情報は、電線を介して瞬時に遠隔地へと伝達される。エルデンライヒは交通網の整備と並行して電線敷設を進め、ベルデン中枢と各戦線を結ぶ通信網を構築した。これにより、状況把握、命令伝達、判断と修正が従来とは比較にならぬ速度で循環するようになったのである。


 もちろん、この技術も万能ではなかった。設置コスト、習熟の困難、戦場での断線リスク。末端では依然として伝令に頼らざるを得ない場面も多かった。しかし、それでも情報共有に要していた日単位の遅延を大幅に短縮した意義は決定的であった。


 付言すれば、これらの技術はエルデンライヒのみが独占していたわけではない。グラウエンシュタインにも鉄道も電信も存在していた。だが、彼らはそれを軍事に活用しなかったのである。


 鉄道は民生インフラとしてのみ扱われ、軍事利用は「風潮に合わない」として検討すらされなかった。電信に至っては、外務省が外交用途として早期に導入していたにもかかわらず、その戦略的価値は秘匿され、軍部と共有されることはなかった。ライヒェナウがそれを知らなかったのは、彼の無能によるものではない。国家として、技術を統合運用する意思が存在しなかったのである。


 戦後、ライヒェナウはようやくその事実を知り、グラウエンシュタインという国家の限界を、身をもって理解することになる。


 だが、その時点で彼の胸にあったのは、ただ一つ――圧倒的な“格の違い”を見せつけられたという敗北感であった。


「……これは、勝てないな」


 もし言霊というものが本当に存在するのなら、この言葉に敗因を求めることもできるだろう。だが現実とは、偶然や超常ではなく、過去の行動と選択の積み重ねがもたらす必然である。


 魔法を探した時点で、彼らの敗北はすでに定められていたのである。

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