第5章:五十日間戦争⑤
エルデンライヒ軍は、各戦線において快進撃を続けていた。
アンスバッハ率いる東部方面軍は、グラウエンシュタイン占領下にあるカルノヴァ南東地域を順調に進軍し、道中に存在した都市、街、村を次々と解放していった。そして戦線は、いよいよグラウエンシュタイン本国との国境地帯へと迫りつつあった。
一方、グラウエンシュタイン軍と正面から対峙していた南部方面軍は、作戦局長エリアスの立案した作戦計画に忠実に従い、各要塞群および陣地を危なげなく攻略していった。統制の取れた進軍と滞りのない補給体制の維持により、グラウエンシュタイン軍に反撃の隙を一切与えなかったのである。
同時期、サルヴィア地域で発生した現地住民の反乱は鎮静化の兆しを見せることなく、むしろ混乱は拡大の一途を辿っていた。
そして西部方面では、エルデンライヒ大同盟の西側国境線に集結した正統帝国軍第2軍――帝国有力諸侯の一人、リュッケン公爵が率いる軍勢と対峙していた。
エルデンライヒ軍がこの戦争に投入した前線戦力はおよそ32万。そのうち半数以上は主戦場である対グラウエンシュタイン戦を担う南部方面軍に配されており、西部方面軍に割り当てられた戦力は実質5万3千に過ぎなかった。対するリュッケン第2軍は7万を擁し、数の上ではエルデンライヒ軍を上回っていた。
リュッケンはグラウエンシュタインに次ぐ有力な帝国諸侯であり、西方からエルデンライヒ軍を半包囲するための重要な戦力として配置されていた。その意味において、最も激しい戦闘が展開されたのは、この西部国境地帯であったと言えるかもしれない。
というのも、この戦線にはエルデンライヒ軍の虎の子たる第101機動戦闘団が投入されており、そしてその指揮を執っていたのが、ヴィルヘルムの軍事的右腕と名高いジークハルトであったからである。
ボレニア戦争における『グロース・ティーファ大橋攻防戦』、カルノヴァ分割戦争における『首都ワルサヴィク強襲』――数々の軍事的偉業を成し遂げてきた“狼の戦士”は、この戦場においてもまた輝かしい戦果を挙げ、戦史書に新たな一頁を刻むことになる。
そしてこの西部戦線こそが、彼の軍事的特質を最も色濃く映し出し、ジークハルトという軍人を象徴する戦術が、実戦において証明された場所でもあった。
その名を――『群狼戦術』という。
これを駆使したことで、彼はエルデンライヒ軍において“最も攻撃的な指揮官の一人”として知られる存在となっていくのである。
では、戦史において多くの人々を魅了してきたジークハルトの戦い――『西部国境の戦い』を題材に、その推移を順を追って見ていくことにしよう。
群狼戦術とは、その名の示す通り、群れを成す狼のごとく戦闘団を複数の小規模部隊に分割し、各隊が分散して進撃することで、敵軍を包囲、あるいは分断し、各個撃破を狙う戦術である。その成立において最も重要な要素となったのが、「機動力」と「火力」であった。
第101機動戦闘団は、カール騎兵隊以外のほぼすべての部隊も騎乗による機動戦力化を完了している、当時としては極めて特異な部隊である。さらに、シャルロッテの指揮する砲兵隊もまた、その運用には制約があるとはいえ、騎馬による『クルーフ後装砲』の輸送と展開を可能とする練度にまで鍛え上げられていた。
この機動力と火力を最大限に活用し、機動戦闘団は西部国境線沿いに展開していたリュッケン軍の戦線を、火力の集中投射と高速機動によって突破することに成功する。彼らはそのまま敵軍の後背へと展開した。
情報伝達手段が未発達であった当時において、瞬間的な圧倒的火力と、歩兵では追撃不可能な速度での機動によって戦線を突破された場合、その部隊位置を正確に把握し、即座に有効な対応を取ることは原理的に不可能であった。
後背を突く態勢を整えた機動戦闘団は、部隊を複数の戦術単位に再編成し、敵軍の要衝、補給線、そして戦略的要地に対する奇襲を次々と敢行した。リュッケン軍本陣に戦線突破の急報が届いた頃には、すでに後方地域は甚大な被害を受け、兵站線は即時回復不能な水準にまで破壊されていたと記録されている。
ここでジークハルトの戦法にその本質的な特徴を見出すとするならば、それは彼が一貫して『分進合撃』を戦術の根幹に据えていた点にある。
「分進」とは、部隊を複数の小部隊に分割し、それぞれを異なる進路で進行させることを指す。同一の進軍路に戦力を集中させることで生じる、敵からの集中的な迎撃や進軍効率の低下を回避すると同時に、敵の注意を分散させ、意図を看破させない効果を持つ。また、防御側にとっては敵の主攻方向を見極めることが困難となり、防衛線の構築そのものを不安定にするという利点もある。
一方で「合撃」とは、分散して行動していた複数の部隊が、最終的に一つの地点へと集結し、同一の敵目標に対して一斉に攻撃を加えることを意味する。これにより、本来は小規模であるはずの各部隊の戦力が瞬間的に統合され、敵に対して局地的かつ圧倒的な火力を集中させ、決定的打撃を与えることが可能となる。
この分進合撃は、理論上は極めて有効な戦法として古くから知られていた。しかし、実際に戦場で成功させるためには、単なる兵力配置の工夫では到底足りない。各部隊が独立して行動しながらも、最終的な合流点と時刻を寸分の狂いなく共有し、敵情の変化に応じて柔軟に対応できる判断力、そして何よりも、互いが必ず約束を果たすという相互信頼が不可欠であった。それは、長期間にわたる苛烈な演練と、数々の実戦を経てのみ培われるものである。
しかし、ジークハルトはその困難な戦法をあえて機動戦闘団に求め、彼らは見事にそれに応えた。
彼は明確な意志をもって指揮下部隊を掌握し、進むべき道筋を示した上で、最後の局面では信頼に足る仲間たちを疑うことなく信じて戦場を委ねたのである。
それは、かつてヘルマンが彼に叩き込んだ指揮の要諦を実戦において具現化した姿であり、ジークハルトはまさしくその体現者であった。
ジークハルトは、分進合撃という高度な戦術を単なる理論に終わらせず、実戦において成立させ得た稀有な指揮官であった。そして、その成功こそが、彼と第101機動戦闘団を“狼の群れ”と称させるに足る所以であったのである。
この機動戦闘団を撃破すべく編成された追撃部隊に対し、ジークハルトは、彼自身がかねてより好まなかった兵器の積極運用を決断する。それが、かつて『グロース・ティーファ大橋攻防戦』で使用された革命的連射砲『ガトリッジ回転砲』を、変態銃器技師フォーゲルが改良した『フォーゲル機構銃』であった。
構造と運用思想は回転砲と同一であったが、致命的な構造欠陥を解消し、操作性と信頼性を大幅に向上させたことで、従来とは比較にならない実用兵器へと進化していた。ハンドルを回し続けるだけで発揮される恐るべき連射性能と制圧力は、迫り来る敵部隊を次々と薙ぎ倒し、特に騎兵に対しては、接近そのものを不可能にするほどの威力を示した。
ジークハルトはこの兵器の運用を徹底的に訓練し、実戦投入に耐え得ると判断すると、大胆にも機構銃専門部隊を編成し、戦闘団内に16基もの機構銃を配備した。
加えて、兵士個々が携行する小銃も刷新された。フォーゲルがドライゼン小銃を参考に改良を加え、使用弾薬を金属薬莢化した『フォーゲル単発式小銃FV73』である。
従来のドライゼン小銃は、構造上の欠陥と紙製薬莢によるガス漏れの問題を抱え、命中精度と射程に大きな制約を受けていた。それを連射性能で補っていたに過ぎなかったのである。しかし、資源豊富なボレニアと高い工業力を誇るザールマルクを勢力下に収めたローゼンベルクは、高度な加工技術と原材料コストという障壁を克服し、金属薬莢の大量生産を可能とした。
金属薬莢は湿気や長期保存に強く、発射時に余計な燃焼物を残さないため、銃機関部の汚損を大幅に軽減した。さらに、ガス漏れの解消によって命中精度と射程は飛躍的に向上し、有効射程は従来のほぼ2倍、最大交戦距離は1000mを超えるに至った。
同一技師による設計であるため、フォーゲル73小銃とフォーゲル機構銃は使用弾薬を共通化しており、補給の観点から見ても極めて合理的であった。小銃と機構銃の間で弾薬の融通が利く点も含め、ジークハルトは、かつては信用できないとして忌避していた最新兵器の導入を、この時期から積極的に進めていくことになる。
彼の内心に何があったのか――それは、パルミラートの惨劇を共に目にした者たちの間では、もはや語らずとも理解される事柄であった。ジークハルトがその後、ひたすら戦闘能力と作戦遂行能力の向上に没頭していたことは、戦闘団内では共通認識となっていたのである。
彼が戦いと勝利に執着するようになった理由を、完全に理解できた者は少なかった。ヴィルヘルムと二人きりで交わした会話の内容を知らぬ者たちにとって、それは「彼が変わってしまった」と映る出来事でもあった。しかし、それが彼の内に眠っていた冷酷無比な軍事的才能を覚醒させる契機であったとするならば、それは彼の人生を決定的に変えた瞬間であったと言える。
こうして、大胆でありながら徹底して実用性を追求した改革を重ねた第101機動戦闘団は、やがてエルデンライヒ軍の切り札と称される存在へと上り詰め、その指揮官たるジークハルトは、名実ともにヴィルヘルムの軍事的意志を体現する存在となった。
彼に下される命令は、エルデンライヒ軍最高の頭脳が集う参謀本部から発せられ、その集合体はやがて『狼たちの牙城』と呼ばれるようになる。
そしてジークハルトは、帝国盟主大戦における主要戦役の一つ『西部国境の戦い』において、顕著な戦果を挙げることに成功する。恐るべき機動力と火力、そして狼の群れさながらの緻密な連携と強襲によって、彼は軍事的に最高の価値を持つ戦果――“敵将リュッケンの戦死”をもたらしたのである。
敵軍の戦力そのものは多くが残存していたが、指揮官を失ったリュッケン第2軍は統率を喪失し、やがて壊走した。
この出来事だけでも、ジークハルトの異常とも言える戦闘感覚を垣間見ることができる。しかし、称賛されるべきは彼一人ではない。彼の戦術眼を実戦において具現化し、それについて行けるだけの練度と統率力を有していた第101機動戦闘団の将兵たちの存在を、決して忘れてはならないのである。
彼らが西部戦線に配置され、ヘルマンの判断と西部方面軍総司令官ライナー中将の信任によって投入され、そしてジークハルトの裁量によって真価を発揮した結果、西部国境での戦闘は迅速に終結した。側面からの脅威を事実上排除した西部方面軍は、警戒用の一部部隊を除き、動員可能な全戦力を主戦場である対グラウエンシュタイン方面へと向けることが可能となったのである。
そしてこの一連の成果こそが、ヴィルヘルムを中心とし、彼に従う者たちによって成し遂げられた偉業であることを、対峙するグラウエンシュタイン軍は実戦をもって思い知らされることになる。




