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第5章:五十日間戦争④

 サルヴィアと同様、グラウエンシュタインの占領地域である旧カルノヴァ南東部の都市――パルミラートには、すでに別の国の軍隊が進出していた。


「ここが例のパルミラートか……。きっと美しい都市だったんだろうな」


 そう呟いた男は、エルデンライヒ軍の軍服を纏い、肩章には大将の階級章を掲げていた。


「俺もカルノヴァの戦場を部下たちと一緒に戦い抜いて、いろんな街を見てきた。内戦の影響で、ほとんどがボロボロだったが……この都市は、まだ面影を残している。綺麗な街並みだったはずだ。――お前たちが来るまではな」


 彼の名はレオポルド・フォン・アンスバッハ。


 エルデンライヒ軍第1軍団長、カルノヴァ統治行政局局長、そして現在は東部方面軍総司令官。すなわち、この地域における最高司令官である。


 そんな彼が前線の一都市まで足を運んだ理由は単純だった。


 かつて戦場を共にした青年将校ジークハルトが、怒りと深い心の傷を負うきっかけとなった戦争犯罪――その舞台となった都市パルミラートを、自らの目で見ておきたかったのである。


 市内で比較的損壊を免れていた建物には、グラウエンシュタインの行政局が置かれていた。アンスバッハは都市を制圧すると、真っ先にそこへ向かった。


 そして彼の前に座らされていたのが、この都市の防衛を担っていた男だった。


「ヴァルデック大尉、で合ってるな?このパルミラートの都市防衛指揮官だろ?」


 アンスバッハは穏やかな声で続けた。


「いくつか話を聞いたら解放してやる。だから素直に教えてくれよ。“ここでお前たちが何をしたのか”を」


「……」


 ヴァルデックは答えなかった。


 正確には、答えたくても答えられなかった。


「おっと、悪い悪い。猿轡をされたままじゃ喋れないよな。気が利かなくてすまんな」


 猿轡が外された途端、ヴァルデックは吐き捨てるように言った。


「……野蛮人め」


「それをお前に言われる筋合いはないな」


 ヴァルデックの顔には、すでに“尋問”の痕跡が残っていた。血の乾いた赤黒い跡が、彼の頬や額にこびりついている。


「で、どうだ? 教えてくれないか。お前たちグラウエンシュタインのクソ野郎どもが、この都市で何をやったのかを」


「黙秘する」


「そうかい……」


 アンスバッハは肩をすくめ、傍らの憲兵に尋ねた。


「こいつ、捕虜扱いでいいんだよな?」


「はい。逃亡を図りましたが、最終的には投降しました」


「そうか。投降された以上、手出しはできないな……仕方ない」


 そう言って、アンスバッハは立ち上がった。


「何も話してくれなそうだし……お前さん、もう帰っていいぞ」


「……は?」


 ヴァルデックは、間の抜けた声を漏らした。


「だから帰っていいって言ってるだろ。家くらいあるだろ?今日は帰って顔でも洗って、ベッドで休め。明日また改めて来てくれればいい。それまでは、俺たちは一切お前に構わない」


 あまりにあっけらかんとした態度に、ヴァルデックは困惑を隠せなかった。


 敵軍の指揮官を捕らえておきながら解放するなど、軍事的常識から完全に逸脱している。


「……何を企んでいる」


「別に何も。エルデンライヒ軍は軍規が厳しくてね。無茶な尋問は禁止なんだ」


「……今さら何を」


「本音を言えば、明日まで痛ぶってやりたいのは山々だが、規則は規則だ。俺も忙しい」


「……ふん。野蛮なローゼンベルク人も、規則の前では形無しか」


 拘束を解かれたヴァルデックは、痺れた腕を撫でながら吐き捨てた。


「今のうちに偉ぶっておけ。この戦争も、いずれ我がグラウエンシュタインが勝利する。かつての継承戦争のようにな」


 そう言い残し、彼は颯爽と歩き去った。


 その背中を見送りながら、アンスバッハは隣の憲兵にだけ聞こえる声で尋ねた。


「軍規では、投降兵の虐待や不当な殺害は禁止されていたな?」


「はい。グスタフ団長からの厳命です。捕虜に苛烈な仕打ちは絶対にするなと」


「それは――我々エルデンライヒ軍の“軍人だけ”に適用される規則だったな?」


「……はい。軍人にのみ適用されます」


「なら、問題ないな」


 アンスバッハは静かに微笑んだ。


「軍人の手ではないのだから」




「……なんだ、貴様らは」


 ヴァルデックが建物を出ると、そこには複数の一般人が詰めかけていた。彼らはパルミラートに住む――いや、かつては人間らしい生活を営んでいた者たちである。皆一様に薄汚れた衣服を身にまとい、痩せこけた顔には生気の失われた表情が張り付いていた。


 そして彼らの手には、木槌や農具、あるいは建物の一部であったはずのレンガが握られていた。武器と呼ぶには不格好だが、人を殺すには十分な代物である。


 ――今の、丸腰のヴァルデック大尉にとっては。


 次の瞬間、彼は悟った。


 彼らの目に宿る、隠しようもない殺意を。


 ぎらりとした視線のすべてが、自分一人に向けられていることを認めた途端、顔から血の気が引いていくのを感じた。


 思わず後ずさりしながら、ヴァルデックは左右に首を振り、助けを呼んだ。


「おい、衛兵!誰かいないのか!


 グラウエンシュタイン……いや、ローゼンベルク軍でもいい!誰か来い!」


 だが、返答はなかった。駆けつける者もいない。彼の視界の及ぶ限り、それらに該当する人影は一つも見当たらなかった。


 慌てて踵を返し、今しがた出てきた庁舎へ引き返そうとする。


 しかし、先ほどまで開いていたはずの扉は固く閉ざされ、鍵まで掛けられていた。人力でどうこうできるものではない。


 このときになって、ヴァルデックはようやく理解した。


 ――自分が、逃げ場のない場所に追い込まれているということを。


「……あのローゼンベルク人め!俺を、はめたな!」


 ヴァルデックが叫び、じたばたと身をよじるのに合わせるように、周囲に詰めかけた住民たちはじわじわと距離を詰めていった。彼が逃げようとしたり、抵抗の素振りを見せたりするたび、彼らは一瞬だけ焦ったように歩みを速め、逃がすまいと間合いを詰める。だが、逃げ場がないと悟ると、再びゆっくりとした足取りに戻る。


 その様は、まるで獲物をいたぶるかのようだった。


 その執拗な歩みに耐えきれず、ヴァルデックは思わずみっともない声を上げた。


「た、頼む……!ゆ、許してくれ!


 悪かった!俺たちが悪かったんだ!だが仕方なかった!


 軍の命令だったんだ!俺たちがやりたくてやったわけじゃ――」


 その弁明は、パルミラートの住民たちには何の意味も持たなかった。


 なにせ、その言葉一つでは到底償いきれないほどの仕打ちを、彼らは――家族は、同胞は――受けてきたのだから。


 助けてくれと。


 許してくれと。


 何度叫び、泣き叫んだことか。


 それに応えたのは、嘲笑だった。


 笑いながら引き金を引き、銃剣で突き刺し、殴りつけたのは――ほかならぬ、お前たちだったではないか。


 住民たちのぎらついた瞳は、何も語らない。


 だがその沈黙は、どんな言葉よりも雄弁に、そう告げていた。




 グラウエンシュタイン軍所属、パルミラート都市防衛指揮官ヴァルデック大尉は、翌日、パルミラートの路地裏にて遺体となって発見された。遺体の損傷は極めて激しく、身元の確認は困難を極めた。わずかに残されていた入れ墨を手がかりに照合した結果、ようやく彼であると特定されたほどである。


 顔面は判別不能なまでに破壊され、衣服は一切身につけていなかった。左手は欠損し、頭部には髪の毛が焼かれた痕跡も確認されている。


 折よく同地に進出していたアンスバッハ東部方面軍総司令官は、この事件を「凄惨なもの」と評し、下手人の捜索に全力を尽くすと声明を出した。だが、その後この件について公式に語られることは、ついに一度もなかった。


 察しの良い者たちは、この沈黙が何を意味するのかを理解した。


 それ以降、投降してきたグラウエンシュタイン軍の兵士たちは驚くほど従順に尋問に応じるようになり、彼らが占領下のカルノヴァ地域で行ってきた数々の非人道的行為や戦争犯罪について、詳細な証言と供述が次々と集まった。それらを整理・編纂した報告書は、アンスバッハの手によってヴィルヘルムへ提出されることになる。


 この資料群が戦後においてどのような効力を持ったのかは、後世の戦争犯罪研究において繰り返し論じられる題材となった。


 それらは『パルミラートの戦争犯罪』と並び、『グラウエンシュタイン軍における常態化した戦争犯罪の一連の証拠資料』として、長く歴史の負の遺産として残り続けることになる。


 なお、彼らが終ぞ知ることのなかった事実が一つある。


 ジークハルトら機動戦闘団がかつてパルミラートに到着し、グラウエンシュタイン軍兵士の非道を訴え出た際、その訴えを涼しい顔で受け流していた現地将校――それこそが、ほかならぬヴァルデック大尉であったということである。


 彼が最期の瞬間に何を思い、どのような表情を浮かべていたのか。


 それを知る者は、もはや誰一人として存在しなかった。

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