第五話 いつもの日常
第五話 いつもの一日
初任務から四日が経った朝、黒野透真が第四討魔隊の隊室へ入ったのは集合時刻のおよそ三十分前だった
「おはようございます」
返事はない。まだ誰も来ていないのかと思ったが、奥のソファを見ると榊宗一郎が横になっている。長い身体を窮屈そうに折り曲げ、片腕を枕代わりにして目を閉じていた
「……おはようございます」
「おう」
「起きてるんですか」
「今起きたんだ」
「俺の挨拶で?」少しにやけ顔になりながら黒野が聞くと
「いや、お前が廊下歩いてる時からだな」
「それ起きてたって言いません?」
「細けえなあ、最近の若い奴は」
榊さんは目を閉じたまま答えると、それきり動かなくなった。黒野はしばらく待ってみたものの、続きはない
「……寝るんですか」
「寝てない」
「目閉じてますけど」
「瞑想」
「瞑想って横になりながらするもんですか?」
「新人」
「はい?」
「朝から四十二歳に絡むな」
「絡んだの俺ですか?」
今度こそ返事がなくなった。黒野は少し待ってから「寝たな」と呟き、自分の席へ向かう
腰から二振りの《双影》を外して机へ並べると、まず刀身に傷がないかを確かめ、次に柄を握って緩みを確認する。鞘へ一度収めてから引き抜き、途中で引っ掛かる感覚がないことまで確認して、もう一振りにも同じことを繰り返した
初任務へ行く前なら、こんなことはしなかった
だが実際に外敵と戦い、硬い外皮へ刃をぶつけた時の衝撃を知ってからは少しだけ考えが変わった。必要な時に武器が抜けなければどうなるのか、刃に異常があったらどうなるのか、自分が失敗した時に危険になるのは自分だけではないということを、黒野は初めて実感した
だから確認する
それが正しいのかはまだ分からないが、少なくとも何もしないよりはいい
「……何してる」
「うわっ」
突然背後から聞こえた声に振り返ると、久遠律が立っていた
「驚くなよ」
「急に後ろから声掛けるなよ」
「普通に入ってきた」
「気配消してただろ」
「消してない」
「じゃあ薄いんだよ」
「何だそれ」
久遠は呆れた顔をしながら黒野の机へ目を向け、並べられた《双影》を見ると僅かに眉を上げた
「……何してる」
「二回目だぞ、それ」
「いや、お前が自主的に整備してるから」
「失礼だな」
「初任務の日の朝はしてなかっただろ」
「俺だって成長するんだよ」
「四日で?」
「成長早いだろ」
「そこまで言ってない」
「褒めてもいいぞ」
「嫌だ」
「ほぼ同期に冷たくない?」
久遠は黒野の隣へ腰を下ろすと、自分の片手剣を机へ置いた。当然のように刀身を確認し始める姿を見ながら、黒野は《双影》の柄を布で拭いた
「久遠」
「何だ」
「それ毎日やってて飽きない?」
「飽きるとかじゃないだろ」
「でも毎日同じ剣だろ?」
「同じ剣だからだ」
「どういう意味?」
久遠は刀身を光へかざしながら答える
「毎日触ってれば違いが分かる。昨日より柄が緩いとか、刃に小さい傷があるとか、重心が僅かに変わったとか」
「重心って変わるの?」
「刃が欠ければ僅かにはな」
「そんなの分かる?」
「分かる」
「すげえな」
「普通だ」
「いや、普通じゃないと思う」
「お前が適当すぎるんだ」
「またそれ言う」
黒野は笑いながら《双影》の片方を持ち上げた
「俺、武器なんて使えれば何でもいいと思ってたからな」
「今もだろ」
「まあ、確かに」
「否定しろよ」
「でも《双影》は結構使いやすいぞ」
「それは好きってことじゃないのか」
「好き?」
黒野は手の中の《双影》を見る
好きか嫌いか
そんなことを考えたこと自体がなかった。訓練で片手剣を渡されれば片手剣を使い、槍を渡されれば槍を使った。銃も扱えと言われたから覚えただけで、これでなければ嫌だと思った武器は一つもない
「……分からん」
「お前、本当に変な奴だな」
「久遠に言われたくない」
「俺のどこが変なんだ」
「毎朝二十五分前に来るところ」
「普通だ」
「普通じゃない」
「普通だ」
「二人とも朝からうるさい」
聞き覚えのある声に振り返ると、相馬凛が立っていた
「相馬さん、おはようございます」
「おはよう」
相馬さんは自分の席へ鞄を置くと、そこから一冊の本を取り出した
「相馬さん、それ昨日と同じ本ですか?」
「そう」
「面白いんですか?」
「面白い」
「何の本?」
「推理小説」
「意外」
相馬さんが本から顔を上げる
「何が?」
「もっと難しい本読んでるのかと」
「例えば?」
「医学書とか」
「読まない」
「外敵の研究資料とか」
「仕事で読む」
「戦術書」
「必要なら」
「じゃあ普段は?」
「小説かな」
「へえ……普通なんだな」
「黒野」
「はい」
「失礼」
「すみません」
横で久遠が小さく笑った
「笑うなよ」
「笑ってない」
「絶対笑っただろ」
「朝から楽しそうだな!」
今度は声だけで誰なのか分かった
佐伯恒一が勢いよく隊室へ入ってくる
「佐伯さん、おはようございます」
「おう! 透真、今日は早いな!」
「昨日二十分前でいいって言われたので」
「よし!」
「明日になったら四十分前とか言わないですよね?」
「明日は四十五分前だな」
「帰ります お世話になりました」
「待て待て待て!」
黒野が本当に鞄へ手を伸ばすと、佐伯さんが慌てて止めに入る
「冗談だよ!」
「佐伯さんの冗談、面倒くさいんですよ」
「先輩に面倒くさいって言うな!」
「事実」
相馬さんが本から顔も上げずに言った
「凛、お前もうちょっと俺に優しくできない?」
「してる」
「どこが?」
「会話してる」
「基準低すぎねえ?」
「朝から元気だねぇ」
いつの間にか御堂隊長まで来ていた。その後ろには神代副隊長もいる
「隊長、おはようございます」
「おはよう。今日はちゃんと朝ご飯食べた?」
「何で隊長まで知ってるんですか」
「恒一が昨日言ってた」
「佐伯さん!」
「情報共有だ!」
「俺の朝飯は共有事項じゃないでしょ!」
「新人の体調管理は大事だぞ」
「それっぽく言わないでください!」
「はいはい、朝礼始めるから座って」
神代副隊長が手を叩く
「それから佐伯」
「はい?」
「朝から騒がない」
「俺だけ!?」
「一番うるさいから」
「透真も結構喋ってましたよ!」
「新人を巻き込まない」
「理不尽だ!」
笑い声が広がる中、第四の一日が始まった
◇
午前中の訓練で、黒野は再び久遠と組むことになった
第四では全員が同じ訓練を行うわけではなく、その日の予定や本人の課題によって内容が変わるらしい。黒野と久遠に与えられたのは、近接戦闘における基本動作の反復だった
「おい、違うぞ」
久遠が言った
「何が?」
「足」
「足?」
「右足が前に出すぎてる」
「これくらい?」
「出すぎ」
「細かいな」
「だから斬った後に姿勢が崩れるんだ」
黒野は訓練用の《双影》を構えたまま、自分の足を見る
「でも初任務の時はこれで当たったぞ」
「当たったのは、お前が速いからだ」
「じゃあいいじゃん」
「良くない」
「なんで?」
「速さで誤魔化してるだけだから」
久遠が自分の片手剣を構える
「見てろ」
一歩踏み込み、剣を振る
黒野には、それだけに見えた
「……何が違うの?」
「見てなかったのか」
「見てたよ 見たうえで違いがわからないから聞いてるんだろ」
「足だよ」
「だから足の何が違うんだよ」
久遠が露骨に嫌そうな顔をする
「教えるの下手だな」
「お前が理解しないんだろ」
「神代副隊長呼んでこようかな」
「待て 何で副隊長が出てくる」
「教えるの上手そう」
「…俺が教える」
「急にやる気出したな」
「お前が変なこと言うからだろ」
久遠はため息をつき、黒野の横へ並んだ
「右足を少し内側」
「はい先生」
「ふざけるならやめるぞ」
「すみません」
「もう少し」
黒野が動かす
「こう?」
「行きすぎ」
「こう?」
「そこ」
「細かっ」
「次、腰をもう少し落とせ」
「こう?」
「落としすぎ。何で極端なんだ」
「注文多いな先生」
「もう勝手にしろ」
「待って待って。ちゃんとやるから」
黒野は笑いながら構え直した。久遠に言われた通り右足の位置を変え、腰を少しだけ落とす。その状態から踏み込み、右の《双影》を振って、身体を捻りながら左を返した
「どう?」
「さっきよりいい」
「お」
「でも二撃目で左足が流れてる」
「まだあるの?」
「それだと横からもう一体来た時に避けられない」
「俺なら避けられると思うけど」
「お前はな」
その言葉に黒野が少し止まった
「でも普通は無理だ。だから基本がある。誰でも同じ動きをするためじゃない。次の動きへ繋げるためだ」
「……なるほど」
「もう一回」
「はいはい」
繰り返す
三回、五回、十回
最初はぎこちなかった黒野の動きが少しずつ変わっていく。久遠は途中から何も言わず、その動きを見ていた
「……お前、覚えるの早いな」
「そう?理解力があるって事じゃない」
「さっきよりは」
「…褒めてる?」
「少し」
「……珍しい」素直な返答に驚きつつも単純に嬉しさもあった
「やめるぞ」
「すみません先生」
「その呼び方やめろ」
黒野は笑いながらもう一度構え、今度は久遠の動きを思い出しながら踏み込む。足、腰、剣の角度、振った後の姿勢までできるだけ同じように動いてみる
「どう?」
「形だけなら近い形にはなった」
「できてるじゃん俺」
「形だけだ」
「何が違うんだよ」
「お前は俺の動きを真似してるだけだろ」
「えっ!でもこの動き配置って言ったじゃん 駄目なのか?」
「意味を理解してない」
「意味?」
「何でこの足なのか、何でこの角度なのか、何でここで剣を戻すのか。それが分からなきゃ状況が変わった時に使えない」
黒野は少し考えてから、素直な感想を口にした
「剣って面倒だな」
「……お前」
「でも久遠は好きなんだな」
「何が」
「剣」
久遠が黙る
「説明してる時、ちょっと楽しそう」
「そんなことない」
「いや、楽しそうだった」
「気のせいだ」
「好きなんだろ?」
「……悪いか」
「いや」
黒野は首を振る
「いいと思う」
久遠が少し意外そうな顔をした
「俺、そういうのないから」
「何が」
「これが好きだから使うっていう武器」
黒野は両手の《双影》を見る
「剣でも槍でも銃でも、使えって言われたら使うし、《双影》じゃなきゃ嫌ってわけでもない」
「それはそれで変だろ」
「そう?」
「普通は向き不向きがある」
「俺も全部普通だぞ」
「全部普通に使える時点でおかしいって言ってる」
「ん?褒められてる」
「褒めてない」
「二人とも」
神代副隊長の声が飛んできた
「喋るのはいいけど手も動かして」
「はい」
「はい」
二人の返事が重なる
神代副隊長が少し笑った
「本当に仲良くなったわね」
「なってません」
「なってません」
また綺麗に重なった
「そういうところよ」
◇
訓練を終えた二人が向かったのは、機構内の装備開発区画だった
黒野にとっては《双影》を受け取った時以来だが、久遠には目的があるらしい
「何するんだ?」
「相談」
「何の?」
「剣」
「壊れた?」
「壊れてない」
受付を済ませると、久遠は担当の技術員へ自分の片手剣を差し出した
「少し刃を長くしたいんです」
隣にいた黒野が剣を見る
「長く?」
「そう」
技術員は剣を受け取ると、刀身から柄まで一通り確認した
「どれくらい?」
「五センチ程度」
「理由は?」
「今の長さだと、自分が踏み込める距離に対して間合いが少し短く感じます。ただ重くなりすぎると振りが遅れるので、必要なら柄と重心も調整したいです」
黒野が久遠を見る
「そこまで考えてたの?」
「普通だろ」
「普通かなあ」
技術員が笑う
「新人にしちゃ細かい方だな」
「ほら」
「何がほらなんだ」
「普通じゃないじゃん」
「お前と比べるな」
「まだ何も言ってないだろ」
技術員が今度は黒野を見る
「そっちは《双影》だったな」
「はい」
「何か変えたいところあるか?」
「別に」
「重さは?」
「今ので」
「柄は?」
「握れます」
「刃の長さは?」
「斬れれば」
技術員が黙った
久遠も黙った
「……何?」
「お前、本当に武器に興味ないんだな」
久遠が呆れたように言う
「使えるんだからいいだろ」
「良くない」
「また始まった」
技術員は二人を見比べて笑った
「面白い同期だな」
「どこがです?」
「片方は武器を自分に合わせようとして、片方は自分を武器に合わせてる」
「俺、合わせてます?」
「無意識にな」
黒野は腰の《双影》へ目を落としたが、いまいち実感が湧かなかった
技術員は久遠の剣をもう一度確認する
「五センチ延長で一度調整してみよう。ただし安全性と強度を確認して、実際に振って駄目なら戻すぞ」
「お願いします」
久遠の声がほんの少しだけ弾んだ
それを聞いた黒野が横から覗き込む
「やっぱり楽しそうだな」
「うるさい」
「完成したら使わせて」
「嫌だ」
「何で?」
「絶対嫌だ」
「ケチ」
「自分の《双影》使え」
「五センチくらい変わらないだろ」
「変わる」
「本当に?」
「変わる!」
言い合いながら二人が装備開発区画を出ていった
◇
その頃、第四の隊室には珍しく御堂弥勒と神代伊織の二人だけが残っていた
普段なら誰かが話しているか、佐伯さんの大きな声が聞こえているか、ソファで榊さんが寝ている部屋も、訓練や整備で隊員たちが出払えば驚くほど静かになる
「静かだね」
「仕事が捗るから私は好きよ」
「俺はちょっと寂しいかな」
「だったら書類を片付けて」
「静かだって話をしてたんだけどな」
「私は書類の話をしてるの」
御堂隊長は自分の机へ積まれた書類を見ると、露骨に嫌そうな顔をした。午前中の訓練記録、装備申請、次回任務の人員確認、その中には数日前に行われた黒野と久遠の初任務に関する報告書も混ざっている
「伊織」
「副隊長です」
「二人しかいないのに?」
「二人しかいなくても副隊長です」
「昔は普通に名前で呼ばせてくれたのに」
「昔はあなたが隊長じゃなかったから」
「立場って寂しいね」
「隊長になったこと後悔してる?」
何気なく聞こえる問いだった
御堂隊長は手にしていた書類を机へ置く
「それはないかな」
「そう」
「大変だけどね」
「知ってる」
「書類多いし」
「それは溜めるから」
「責任重いし」
「それは隊長だから」
「副隊長怖いし」
「……弥勒」
「はい」
名前で呼ばれた瞬間だけ御堂隊長が嬉しそうな顔をしたため、神代副隊長は小さくため息をついた
「今のはなし」
「もう聞いた」
「忘れて」
「無理かな」
「じゃあ書類増やす」
「それは横暴じゃない?」
「溜めてる分を渡すだけよ」
「それなら俺が悪いね」
「最初からそう言ってる」
神代副隊長は呆れながら書類の束から一枚を抜き取った
「黒野君、どう思う?」
「いい子だと思うよ」
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
御堂隊長の表情から少しだけ笑みが消える
「反応速度?」
「それもある」
神代副隊長は初任務の報告書へ目を落とした
「相馬が襲われた時、黒野君はほとんど周囲を確認せずに飛び込んでる」
「恒一に怒られたみたいだね」
「問題はそこだけじゃない。佐伯より先に動いてる」
御堂隊長の視線が報告書へ落ちる
「凛よりも?」
「射撃動作へ入るのとほぼ同時。少なくとも佐伯は、自分が声を掛けた時には黒野君がもう走り出していたと書いてる」
「……なるほど」
「模擬戦も同じ。技術では久遠君の方が明確に上なのに、黒野君は本人が認識していない攻撃へ身体だけが反応することがある」
「本人は?」
「多分、何も考えてないと思う」
「それが透真らしいね」
「まだ配属されて数日なのに名前で呼ぶの?」
「恒一なんて初日から呼んでたよ」
「あれを基準にしないで」
御堂隊長が笑い、神代副隊長は報告書を机へ置いた
「種族因子は相変わらず判定不能。再検査を申請する?」
御堂隊長はすぐには答えなかった
「今はいいかな」
「理由は?」
「今のところ、本人にも周囲にも危険な異常はないから。反応が速いってだけで何度も研究区画へ連れていく必要はないと思う」
「本人は気にしなさそうだけど」
「だから余計にね それに種族因子が判明したとしてもだから強くなる訳でもないだろ」
御堂隊長は椅子へ背を預ける
「自分が何者なのか本人が気にしてないのに、周りが勝手に答えを決める必要はないよ」
「あなたらしいわね」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「甘い」
「それはよく言われる」
「ただし記録は続ける。何か変化があれば再検査」
「賛成」
「しばらく佐伯に前線で見てもらう」
「それもいいと思う。恒一はああ見えて新人を見るの上手いから」
「本人には言わないで」
「どうして?」
「調子に乗るから」
「ああ」
二人の意見があっさり一致する
そこで話が終わるかと思ったが、神代副隊長は別の書類を手に取った
「久遠君は装備調整の申請を出したわ」
「もう?」
「片手剣の刃長を五センチ延長したいそうよ」
「へえ」
御堂隊長が少し楽しそうに笑う
「早いね」
「まだ配属されたばかりよ」
「だからいいんじゃない? もう自分がどう戦いたいのか考え始めてるってことでしょ」
神代副隊長も申請書を見る
「黒野君とは正反対ね」
「そうだね」
「片方は自分に武器を合わせようとして、片方は武器に自分を合わせる」
「面白い二人が来たなあ」
「他人事みたいに言わないで。あなたの隊員よ」
「分かってるよ」
御堂隊長は誰もいない隊室を見渡した
二十四人分の席
その中に、つい数日前から使われ始めた二つの机がある
「だから楽しみなんだ」
「何が?」
「二人がどうなるのか」
「まだ新人よ」
「新人だからだよ」
御堂隊長は少し笑った
「最初はみんな何もできないからね。恒一だって初任務で吐いたし」
「三回ね」
「知ってたんだ」
「私が片付けたから」
「……それ初めて聞いた」
「本人には言わないで」
「絶対言いたい」
「弥勒」
「はい」
御堂隊長が即座に姿勢を正した
神代副隊長は呆れたように彼を見る
「本当に変わらないわね」
「そう?」
「昔から人を拾ってきては楽しそうにしてる」
「拾ったって」
「間違ってないでしょ」
「第四に必要だと思った人に来てもらってるだけだよ」
「その結果がこれ」
神代副隊長も隊室を見渡す
佐伯さんの机には私物が置きっぱなしになっている。相馬さんの席には読みかけの本と栞、榊さんが占領しているソファには薄い毛布まで置かれ、黒野の机には何に使ったのか分からない菓子の包みが一つ残されている
「悪くないでしょ?」
御堂隊長が尋ねる
「……悪くはないわね」
「それ、伊織の中ではかなり褒めてるよね」
「副隊長です」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
静かな隊室に二人の声だけが残る
けれど、その時間も長くは続かなかった
廊下の向こうから声が近づいてくる
「だから五センチくらい変わらないだろ」
「変わるって言ってるだろ!」
「じゃあ完成したら俺が使って確かめてやるよ」
「絶対触るな!」
「何でだよ!」
「お前は武器の扱いが雑なんだよ!」
神代副隊長が目を閉じた
「……帰ってきた」
「うん」
「静かな時間、短かったわね」
「いいじゃない」
御堂隊長は笑った
扉が開く
「ただいま戻りましたー」
「戻りました」
「おかえり」
御堂隊長が何でもないことのように答える
黒野は一瞬だけ御堂隊長を見た
「……ただいまです」
◇
「今日は俺が奢る!」
昼休みになり食堂へ向かっていた途中、佐伯さんが突然そんなことを言い出した
「本当ですか?」
「おう!」
「何かあったんです?やめるんですか?」
「やめねえし!何もねえよ。先輩が後輩に飯を奢る。それだけだ」
「怪しい」 律が呟く
「お前ら俺を何だと思ってんだ!」
「マグカップ…」
「それもうやめろ!」
結局、黒野と律だけではなく相馬さんも同行し、途中で榊さんを見つけた佐伯さんが「榊さんも行きます?」と声を掛けたせいで五人になった
席へ着き、それぞれが注文を終える
「で、佐伯さん」
「何だ?」
「本当に全部奢るんです?」
「おう」
「五人分?」
「……五人?」
佐伯さんが周囲を見回す
「待て。榊さん、自分で払いますよね?」
「なんでだ」
「先輩でしょう!」
「お前が奢るって言ったんだろ」
「新人にです!」
「俺も昔は新人だった」
「四十二歳でしょう!」
「差別か?」
「違います!」
相馬さんがメニューを開く
「じゃあ一番高いのにする」
「凛!?」
「奢りでしょ」
「お前は遠慮しろよ!」
「どうして?」
「同期みたいなもんだろ!」
「関係ない」
「律、透真! お前らは普通のでいいからな!」
「もう大盛りにしました」
「俺も」
「お前ら……!」
榊さんが楽しそうに笑っている
「恒一、人気者だな」
「榊さんのせいでもありますからね!」
「俺、デザートもいいか?」
「駄目です!」
「じゃあ飲み物」
「自分で買ってください!」
料理が運ばれてきても会話は途切れなかった。最初は午前中の訓練について話していたはずなのに、いつの間にか話題は佐伯さんの部屋が汚いという話へ変わっている
「何で俺の部屋の話になった?」
「相馬さんが言いました」
「凛!」
「事実」
「お前、俺の部屋に来たことねえだろ!」
「廊下から見えた」
「いつ!?」
「先月。扉開いてた」
「どれくらい汚かったんです?」
黒野が興味を示す
「床に服」
「おい」
「机に空き容器」
「凛」
「ベッドの上に装備品」
「もうやめろ!」
「それは片付けた方がいいですよ、佐伯さん」
「透真にだけは言われたくねえ!」
「俺の部屋見たことないでしょ!」
「絶対汚い!」
「綺麗ですよ!」
「どれくらい?」
律が尋ねる
「床は見える」自身満々に黒野が答える
「基準が低い」
「お前は?」
「毎日掃除してる」
「うわ」
「何だその反応」
「律の部屋、何もなさそう」
「必要な物はある」
「本と剣だけ?」
「服もある」
「当たり前だろ」
相馬さんが小さく笑った
「凛、今笑っただろ」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
黒野が言うと、相馬さんは何事もなかったように食事へ戻った
「そういや榊さんって、新人の頃どんな感じだったんです?」
黒野が尋ねる
「俺?」
「やっぱり昔からそんな感じ?」
「どんな感じだ」
「ソファで寝てる感じ」
「失礼だな。若い頃の俺は真面目だったぞ」
「本当ですか?」
相馬さんまで疑う
「凛まで疑うのか」
「証拠がないので」
「隊長に聞け」
「御堂隊長、榊さんの新人時代知らないでしょう」
「じゃあ伊織」
「神代副隊長も知らないんじゃ?」
「じゃあ証明できねえな」
「絶対嘘じゃないですか」
「透真、お前 最近、遠慮がなくなったな」
「そうです?」
「初日はもうちょい可愛かったぞ」
「男に可愛いって言われても嬉しくないです」
「律はまだ可愛い」
「やめてください」
「ほら、可愛い」
「何がほらなんですか」
「楽しそうね」
背後から声がした瞬間、佐伯さんの動きだけが止まった
神代副隊長が立っている
その隣には御堂隊長もいた
「何の話?」
「伊織が怖いって話」
榊さんが即答する
「榊さん!?」
佐伯さんが叫んだ
神代副隊長の眉が僅かに動く
「佐伯」
「俺じゃないです!」
「まだ何も言ってないけど」
「いや、流れ的に!」
「恒一が言ってた」
榊さんが追撃する
「榊さん!!」
御堂隊長が横で笑いを堪えている
「隊長も笑ってないで助けてくださいよ!」
「ごめん、ちょっと面白くて」
「味方がいねえ!」
「普段の行い」
相馬さんが食事を続けながら言う
「凛まで!」
黒野は堪えきれずに笑い、律も俯いているものの肩が僅かに揺れている
「律! お前笑ってんだろ!」
「笑ってません」
「絶対笑ってる!」
「食事中です」
「関係ねえ!」
「佐伯」
「はい!」
「食堂では静かに」
「……はい」
ほんの数秒だけ静かになった
「で、伊織」
榊さんが口を開く
「何です?」
「恒一が奢ってくれるらしいぞ」
「榊さん!!」
今度は御堂隊長まで声を出して笑った
◇
その日の夕方、黒野と律は二人で施設を出た
珍しく帰る時間が同じだった。昼間の騒がしさが嘘のように外は静かで、夕暮れの空の下を二人並んで歩いていく
「楽しみ?」
黒野が尋ねる
「何が」
「剣だよ」
「まぁな」
「五センチだろ?」
「五センチでも変わるんだよ」
「そんなに?」
「間合いや動き戦術含め考え方が変わるんだ」
「へえ」
少し歩いたところで、律が腰の片手剣へ触れた
「俺は、この剣で強くなる」
黒野が横を見る
「急だな」
「今日決めた」
「今まで決めてなかったの?」
「剣を使うことは決めてた。でも――」
律は少し考えてから続ける
「自分の剣にしたいと思った」
「支給品だけど」
「今はな」
黒野は昼間、技術員に言われた言葉を思い出した
武器を自分に合わせる
「じゃあ俺は?」
「知らん」
「冷たいな」
「自分で決めろ」
「俺、そういうのないんだよな」
「お前は何でも使えるだろ」
「何でも普通に、だけどな」
「なら全部使えばいい」
「雑じゃない?」
「お前にはそれくらいが合ってる」
「褒めてる?」
「知らん」
「本当に面倒くさいな、お前」
「お前に言われたくない」
黒野は笑った
少しだけ沈黙が続く
気まずいわけではなかった
まだ知り合って数日しか経っていないはずなのに、何も話さず歩くことが妙に自然だった
「なあ、律」
隣を歩いていた久遠が足を止める
「……今、何て呼んだ?」
「律」
「何で急に」
「久遠って呼ぶより短い」
「一文字しか変わらないだろ」
黒野は一瞬止まり、それから吹き出した
「それ、佐伯さんに俺が言ったやつだ」
「知らん」
「嫌だった?」
「……別に」
「じゃあ決まり」
「勝手に決めるな」
「俺も透真でいいぞ」
「頼んでない」
「そこは呼べよ」
「黒野」
「変わってないじゃん」
「黒野」
「意地になってるだろ」
律は少しだけ笑った
「じゃあな、黒野」
「おい」
そのまま先へ歩いていく
「律!」
振り返らない
「明日から絶対透真って呼ばせるからな!」
律は返事の代わりに片手だけを上げた
◇
翌朝、黒野が隊室へ入ると、律はすでに自分の席で剣を点検していた
「おはようございます」
「遅いぞ」
「まだ二十分前だって」
「俺は二十五分前に来た」
「昨日も聞いたよ」
黒野は自分の席へ鞄を置き、《双影》を取り出す
「おはよう、律」
「おはよう」
それだけだった
黒野も特に気にせず《双影》の点検を始める
「透真」
「ん?」
自然に返事をしてから、黒野の手が止まった
ゆっくり隣を見る
律は何事もなかったように剣を拭いている
「……今呼んだ?」
「何が」
「透真って」
「呼んでない」
「呼んだだろ!」
「知らん」
「絶対呼んだ!」
「朝からうるさい」
いつの間に来ていたのか、相馬さんが本を開いたまま言う
「相馬さん、今聞きましたよね!?」
「聞いてない」
「絶対聞いてたでしょ!」
「何の話?」
「律が俺を透真って――」
「朝から仲良いなお前ら!」
佐伯さんが入ってくる
「だから違いますって!」
「何が違うんだよ!」
「全部です!」
少し離れたソファから榊さんの声が飛んでくる
「若いなあ」
「榊さん起きてたんですか!?」
「寝てる」
「喋ってるでしょう!」
また隊室が騒がしくなる
佐伯さんが笑い、相馬さんは本を読み、律は何事もなかったように剣を手入れし、榊さんはソファから動かない
少し離れた場所では御堂隊長がその光景を眺めながら笑い、隣で書類を確認していた神代副隊長が呆れたように顔を上げた
「朝から元気ね」
「いいんじゃない?」
「隊長がそれを言うから、みんな騒ぐんです」
「俺のせい?」
「半分くらいは」
「結構多いね」
「自覚してください」
そんな二人の会話も、黒野たちの声へ混ざって消えていく
誰かが笑っている
誰かが怒っている
誰かが本を読んでいて、誰かが武器を手入れしている
ソファでは榊さんが寝ていて、佐伯さんは朝から騒がしく、相馬さんはそれを適当にあしらっている。律は相変わらず真面目で、御堂隊長は笑っていて、神代副隊長はそんな全員を見ながら今日の予定を確認している
特別なことなど何もない
任務もない
誰かが英雄になるわけでもない
ただ第四討魔隊の一日が始まる
黒野は自分でも気づかないまま、その光景の中へ溶け込み始めていた
朝になればこの扉を開ける
任務があればここから出ていく
帰ってくれば誰かがいる
くだらないことで笑って、怒られて、飯を食って、武器を手入れして、また明日ここへ来る
黒野にとって第四討魔隊は、まだ配属されて一週間も経っていない職場にすぎない
それでも黒野自身がそう呼ぶより少し早く
この場所は少しずつ
彼にとっての帰る場所になり始めていた




