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第六話 任せるということ

 第四討魔隊へ配属されてから、二週間ほどが過ぎた

 朝になれば隊室へ来て、律と訓練をして、任務があれば外へ出る。帰ってくれば装備を整備して報告を済ませ、腹が減っていれば誰かと食堂へ行く。佐伯さんは相変わらず朝から声が大きく、相馬さんは本を読みながらそれを適当にあしらい、榊さんは気づけばソファで寝ている。たった二週間前まで名前すら知らなかった人間ばかりなのに、最近では隊室の扉を開けた時、いつもの顔が見えない方が気になるようになっていた

 そして律とは、ほとんど毎日のように一緒にいる

「今日の任務なんだけど、二班に分かれようと思う」

 朝の隊室で御堂隊長がそう告げた瞬間、黒野は大型モニターではなく、何となく隣へ目を向けた

 ちょうど律もこちらを見たところだった

「どうした?」

「いや」

「何だよ」

「別に」

 律が僅かに眉を寄せる

「気持ち悪いな」

「お前に言われたくない」


「そこ、聞いてる?」

 前方から神代副隊長の声が飛んできた瞬間、二人はほとんど同時に背筋を伸ばした

「すみません」

「すみません」


「本当に仲良くなったねえ」

 大型モニターの横に立っていた御堂隊長が楽しそうに笑う

「良くないです」

「良くないです」

「ほら」


「隊長、話を進めてください」

「はい」

 神代副隊長に端末の角で腕を軽く叩かれ、御堂隊長が素直にモニターへ向き直る。その様子を見ながら黒野は小さく笑った

 これまで黒野が見てきた御堂弥勒という人間は、良く言えば穏やかで、悪く言えばどこか緩い

 新人の黒野にも初日からほとんど壁を作らず、食堂で会えば当たり前のように隣へ座り、隊員同士がくだらないことで騒いでいても大抵は止めるどころか一緒になって笑っている。書類仕事を溜めては神代副隊長に怒られ、何とか逃げようとして失敗する姿も、この二週間ですでに何度か見た

 本当にこの人が二十四人を率いる隊長なのだろうか

 口に出したことはないが、そう思ったことは一度や二度ではない

「今日、第四が受けてる任務は二件」

 御堂隊長が端末へ触れると、モニターに二つの地点が表示された

「伊織の班は市街地で避難支援と特異現象の調査。俺の班はこっち」

 郊外にある広大な工業区画が拡大される

「十年以上前に閉鎖された工業区画で外敵が確認されてる。八番隊が昨日まで調査してくれて、確認できたのは六体。ただ、工場内部は死角が多いから、六体しかいないとは考えないで」

 続いて表示された画像に、黒野の表情から笑みが消えた

 人型に近い ただし、人間とは明らかに違う

 二メートルほどの細長い身体に対して腕だけが異様に長く、指先からは鉤爪のようなものが伸びている。画像の一枚では工場の壁へ四肢を使って張り付き、頭だけを撮影者へ向けていた

 人に似ている

 だからこそ気味が悪い

「壁や天井を使って移動する。外皮はそこまで硬くないから制式武器で対処できるけど、狭い場所で上下から来られると厄介だね。今のところ特殊能力は確認されてない」

 黒野は説明を聞きながら、画面の横へ表示された班分けへ目を移した

 御堂班、十二名

 自分の名前がある

 黒野透真

 近くには佐伯恒一、相馬凛、榊宗一郎と、何人かの先輩隊員

 だが――

「……別か」

 神代班の中に律の名前を見つけ、思わず声が漏れた

 隣から視線を感じる

「何で残念そうなんだ」

「別に残念じゃない」

「じゃあ言うな」

「いや、今まで大体一緒だったから」

「一人で行け」

「寂しいこと言うなよ」

「佐伯さんいるだろ」

「俺は保護者か?」

 少し離れた席から佐伯さんが振り返った

 黒野は一度瞬きをしてから、真顔で首を傾げる

「違うんですか?」

「違うわ!」

「でも初任務も面倒見てもらったし」

「仕事だよ!」

「朝飯食べたか確認するのも?」

「それも仕事だ!」

「じゃあ今日食べてません」

 佐伯さんの眉間に皺が寄った

「何でだよ!」

「嘘です」

「透真、お前ちょっとこっち来い」

 椅子から立ち上がりかけた佐伯さんを見て、黒野は半歩だけ律の後ろへ身体をずらす

「嫌です」

「律を盾にすんな」

「勝手に使うな」

「お前ら」

 低い声だった

 黒野と佐伯さんの動きが同時に止まる

 神代副隊長が腕を組んだまま二人を見ていた

「そろそろ黙らないと、二人とも置いていくわよ」

「はい」

「……はい」

 二人が大人しく座り直す

 その様子を見て、御堂隊長が肩を揺らしていた

「隊長も笑ってないで注意してください」

「伊織がしてくれるから」

「そうやってすぐ私に任せる」

「信頼してるから任せられる」

「便利な言葉にしないでください」

 神代副隊長は眉間を押さえながら深く息を吐く

 御堂隊長は悪びれる様子もなく笑っていた

 黒野もつられて笑った

 だから、この時は何とも思わなかった

 ――任せる

 御堂隊長が何気なく口にしたその言葉が、数時間後には少し違って聞こえるようになることを、この時の黒野はまだ知らなかった

     ◇

 廃工業区画へ到着した頃には、朝の柔らかな陽射しはすっかり高くなっていた

 車両から降りた黒野は、腰の《双影》を確かめながら周囲を見渡す

 錆の浮いた金属製のフェンス。その向こうには巨大な工場棟や倉庫がいくつも並び、建物同士を繋ぐように太い配管が縦横へ走っている。人の手が入らなくなって十年以上経つという話の通り、舗装の割れ目からは雑草が伸び、地面には風で運ばれた枯れ葉や小枝が積もっていた

 静かだった

 風はある

 木々も揺れている

 なのに鳥の声がほとんどしない

「全員いる?」

 御堂隊長の声で十二人が自然と集まる

 声そのものは隊室にいる時とほとんど変わらない。それでも黒野には、なぜか少し違って聞こえた

 御堂隊長は十二人の顔を一人ずつ確かめるように視線を動かしてから、佐伯さんへ顔を向ける

「恒一、前をお願いできる?」

「了解」

 佐伯さんが短く答え、剣の位置を直す

「凛は中央より少し後ろ。全体を見て」

「分かった」

 相馬さんは銃の状態を確認しながら頷いた

「榊さん、後ろお願いできます?」

「おう。任せろ」

 榊さんはいつもと変わらない気軽さで片手を上げる

「他のみんなは事前に伝えた配置で。変だと思ったことがあったら、小さいことでも声に出して」

 それだけだった

 細かく「こう動け」とは言わない

 名前を呼び、役割を伝え、それ以上は本人に任せる

 黒野が少し拍子抜けしていると、御堂隊長の目がこちらを向いた

「透真」

「はい」

「今日は恒一の少し後ろ。前だけじゃなくて、左右と上も見ること」

「了解です」

「それと、何かあっても一人で決めない」

 黒野は少しだけ唇を尖らせる

「……俺だけ注意多くないですか?」

「新人だから」

「律は?」

 御堂隊長が顎へ指を当て、わざとらしく考える

「今頃、伊織に怒られてるんじゃない?」

「まだ何もしてないでしょう」

「じゃあ今頃何かしてるかも」

「律を何だと思ってるんですか」

「真面目な新人」

「俺は?」

 一拍

「面白い新人」

「差がひどくないです?」

「ほら、行くぞ。面白い新人」

 佐伯さんの手が黒野の背中へ軽く当たる

「佐伯さんまで」

「声落とせ」

 その一言で、佐伯さんの表情から笑いが消えた

「ここから先は任務中だ」

 黒野も口を閉じる

 腰の《双影》へ手を掛けた

 前を歩き始めた佐伯さんの背中は、さっきまで隊室で大声を出していた人間と同じとは思えないほど静かだった

     ◇

 工場棟へ足を踏み入れた瞬間、外の明るさが背後へ遠ざかり、代わりに埃と錆の混じった乾いた匂いが鼻へ入った

 窓の多くは汚れ、一部は割れている。そこから差し込む細い光の筋の中を埃がゆっくり舞い、頭上では何本もの配管が絡み合うように走っていた。使われなくなった機械が巨大な黒い塊となって並び、足元にはボルトや金属片が転がっている

 前を佐伯さんが歩く

 その数歩後ろに黒野

 左右には別の隊員 相馬さんと御堂隊長は中央付近 最後尾には榊さん

 黒野は正面へ視線を向ける

 機械の陰 柱の裏 通路の奥

「透真」

「はい」

 佐伯さんは振り返らない

「上」

「え?」

 黒野が慌てて天井を見る

 配管 鉄骨 暗がり

 何もいない

「今まで何回見た?」

「……上ですか?」

「そう」

 黒野は記憶を辿る

「三回くらい?」

「一回だ」

「マジですか」

「マジだ。今回の奴、どこ移動するって説明された?」

「壁と天井」

「だろ。前ばっか見んな」

「はい……」

 黒野は口を少し曲げながら視線を動かす

 正面

 右

 左

 上

 足元

 また正面

 全部を見よう

 そう意識した途端、今度は正面の情報まで薄くなった気がした

「それでいいよ」

 後ろから御堂隊長の声が聞こえた

「でも、全部を透真一人で見ようとしなくていい」

「え?」

 黒野は振り返りそうになり、寸前でやめる

 佐伯さんに前を見ろと言われたばかりだ

「前は恒一が見てる。後ろには榊さんがいる。広い範囲は凛が見てる。透真は自分が見るべきところをちゃんと見ればいい」

「でも」

 黒野は前を見たまま少し眉を寄せる

「誰かが見落としたら?」

「その時は別の誰かが見つける」

「全員が見落としたら?」

 少しだけ間があった

「その時は、みんなで困ろう」

「……それでいいんですか?」

 背後から小さな笑い声が聞こえた

「いいんじゃない?」

「結構適当ですね」

「そうかな」

「隊長なら『絶対見落とすな』とか言うのかと思ってました」

「それ言ったら、見落とさなくなる?」

「……ならないと思います」

「でしょ」

 御堂隊長の声が少しだけ柔らかくなる

「だから、見落とした時に誰かが拾えるようにしておくんだよ」

 黒野は返事をしなかった

 まだ、よく分からない

 けれど佐伯さんの背中を見ながら、さっきまでより少しだけ肩の力を抜いた

     ◇

「止まれ」

 十数分後

 先頭を歩いていた佐伯さんの右手が上がった瞬間、後ろに続いていた十一人の足がほとんど同時に止まった

 黒野も腰から《双影》を抜く

 金属が鞘を擦る小さな音が、静まり返った工場内では妙に大きく聞こえた

「凛」

「右上」

 相馬さんの声は小さい

 黒野は顔を動かさず、目だけを右上へ送る

 二階部分を走る鉄製の足場

 その裏側

 光の届かない場所に何かがいる

 最初は影にしか見えなかった

 だが、その影がゆっくり動く

 細長い腕が伸び、鉤爪のような指が鉄骨を掴んだ

 黒い身体

 人間に似た輪郭

「一」

「いや」

 最後方から榊さんの低い声が飛ぶ

「左にもいる」

 黒野が視線だけを左へ送る

 大きな機械の陰から、もう一体が顔を覗かせていた

「二体」

「奥」

 右側の隊員が短く告げる

 暗い通路の先

 三体目

「三」

 黒野は《双影》を握り直した

 御堂隊長を見る

 剣を抜いていない

 焦っている様子もない

 けれど先ほどまで柔らかかった目だけが、今は十二人と三体の位置を静かに追っている

「恒一、一体目お願い。透真は補助。左は三人で止めて。無理に倒さなくていい。凛は奥の三体目。榊さん、後ろそのままお願い」

「了解」

「分かった」

「おう」

 返事が重なった直後、天井に張り付いていた外敵が落ちた

 床を蹴る音ではない

 頭上から空気そのものが落ちてくるような感覚

「透真、右!」

 佐伯さんの声を認識するより早く、黒野の身体が動いた

 右足を踏み出し、身体を横へ逃がす

 直後、長い腕が床を薙いだ

 鉤爪がコンクリートを削り、耳障りな音が響く

 佐伯さんが踏み込む

 正面から受けない

 剣を斜めに当て、外敵の腕を外側へ流す

 上体が開く

「今!」

 黒野は床を蹴った

 右の《双影》が脇腹へ入る

 想像より柔らかい

 左を返し、同じ場所へ重ねる

 外敵の身体が大きく捩れた

「下がれ!」

 考える前に後ろへ跳ぶ

 直後、先ほどまで顔があった場所を鉤爪が横切った

 風圧が頬を撫でる

 あと半歩遅ければ、頬から首まで持っていかれていた

「速っ……」

 佐伯さんが一瞬だけ目を見開く

「感心してる場合ですか!」

「してねえよ! 次来るぞ!」

 外敵が四肢を床へつける

 黒野は腰を落とした

 来る 正面

 そう思った瞬間

「透真、止まれ」

 御堂隊長の声が聞こえた

 黒野の足が止まる

 外敵が跳んだ

 正面から来るはずだった身体が途中で鉄柱へ手を掛ける

「え」

 腕力だけで軌道を変えた

 上

 黒野が見上げた時には、外敵は配管へぶら下がっている

 そのまま背後へ落ちる

 避けられる

 脚へ力を込めた

「そのまま」

 御堂隊長

 一瞬だけ迷う

 動かなければ当たる

 身体は避けろと訴えている

 それでも黒野は、床を蹴らなかった

 銃声

 黒野の肩越しを弾丸が抜ける

 外敵の肩が弾けた

 相馬さんだ

 黒野のすぐ後ろを通したにもかかわらず、その表情はほとんど変わっていない

「恒一」

「はいよ!」

 佐伯さんが黒野の横を抜ける

 一歩

 二歩

 体勢を崩した外敵の死角へ潜り込み、振り上げた剣を首へ走らせた

 黒い身体が床へ落ちる

「……」

 黒野は倒れた外敵を見る

 途中から自分は何もしていない

 御堂隊長の言う通り止まり、相馬さんが撃ち、佐伯さんが斬った

 それだけだ

 それなのに、敵は倒れている

「透真」

「はい」

「ぼーっとすんな。まだ二体いる」

「すみません!」

 黒野が顔を上げる

 左では三人の隊員が二体目を囲んでいた

 奥では相馬さんが三体目の接近を射撃で抑えている

「隊長」

 佐伯さんが横目で三人の方を見る

「二体目、入ります?」

「ううん」

 御堂隊長はそちらへ一度視線を向けただけだった

「任せよう」

 黒野は思わず御堂隊長を見る

「行かないんですか?」

「うん」

「でも、苦戦してますよ」

 確かに倒せてはいない

 一人が長い腕を受け、もう一人が側面へ回ろうとするが、そのたびに外敵が身体を捻って牽制している

 御堂隊長が入れば、もっと早く終わる

 少なくとも黒野にはそう見えた

「見てて」

 御堂隊長はそれだけ言った

 黒野はもう一度三人を見る

 正面にいた隊員が一歩下がる

 外敵が追う

 左にいた隊員が、その瞬間だけ前へ出た

 外敵がそちらを向く

 右側の三人目が低く踏み込み、膝裏を斬った

 体勢が崩れる

「今!」

 声が飛ぶ

 正面と側面

 二本の剣がほとんど同時に入った

 外敵が床へ倒れる

「……倒した」

「うん」

 御堂隊長の口元が少しだけ緩んでいた

「隊長が入ったら、もっと早かったんじゃないですか」

「多分ね」

「じゃあ何で」

 黒野が尋ねると、御堂隊長は倒れた外敵ではなく、戦った三人を見ていた

 その目には、どこか安心したような色がある

「俺がいなくてもできるから」

「……」

「俺が全部やったら、俺しか戦えない隊になるでしょ」

 黒野は返す言葉を見つけられなかった

 御堂隊長も、それ以上は説明しない

 すでに視線は三体目へ向いている

「透真」

「はい」

「凛のところ行こうか」

「……はい!」

 黒野は走り出す

 その背中に、さっきの言葉だけが妙に残った

 ――俺が全部やったら、俺しか戦えない隊になる

     ◇

 六体目を倒した頃には、工場へ入ってから四十分近くが経っていた

 事前に確認されていた数はこれで全て

 黒野は《双影》についた汚れを布で軽く拭いながら、大きく息を吐いた

「これで終わりですか?」

「だったらいいんだけどな」

 佐伯さんは剣を収めていない

 相馬さんも銃を下ろさず、工場の奥を見ている

「隊長」

 相馬さんがしゃがみ込んだ

「まだいる」

 その一言で、緩みかけた黒野の指が再び《双影》を握る

「何体?」

 御堂隊長が相馬さんの隣へしゃがむ

「分からない」

「音?」

「それもある」

 相馬さんが床へ落ちていた黒い毛のようなものを指先で示す

「痕跡が多すぎる。六体だけなら、この量にはならないと思う」

「最低どれくらい?」

「二体。多ければ四体以上」

 佐伯さんが工場の奥へ目を細める

「八番隊が調べた後に増えたか……隊長、どうします?」

 御堂隊長はすぐには答えなかった

 黒野はその横顔を見る

 工場の奥

 十二人

 入口までの距離

 隊員たちの装備

 相馬さん

 佐伯さん

 最後に後方の榊さん

 視線だけがゆっくりと動いていく

 いつもの柔らかな表情は変わっていない

 それでも、何も考えていないわけではないことが今なら少し分かる

「進もう」

 御堂隊長が言った

「ただし奥までは追わない。まず数の確認。想定より多ければ一度外へ出る」

「倒さないんですか?」

 黒野が尋ねる

「倒せるなら倒すよ」

「討伐任務ですよね?」

「そうだね」

「なら――」

 御堂隊長がこちらを見る

 咎めるような目ではなかった

「討伐任務だからって、全員を無事に帰すことより討伐を優先するなんて理由にはならないよ」

 黒野は口を閉じた

 どこかで聞いた言葉と似ている

 ――生きて帰るまでが任務

 初任務で佐伯さんに言われた言葉だった

 この隊では、みんな似たようなことを言う

 そう思って――少し違う気がした

 似ているのではない

 多分、これが第四なのだ

「行こう」

 御堂隊長が言う

 それでも先頭へは出ない

 佐伯さんが前を歩く

 黒野がその後ろにつく

 相馬さんが全体を見る

 榊さんが後ろにいる

 御堂隊長は中央

 最初に工場へ入った時と同じ配置

 なのに、黒野には少し違って見えた

 前を全部見る必要はない

 佐伯さんがいる

 背後を気にし続ける必要もない

 榊さんがいる

 遠くは相馬さんが見ている

 そして、その全員を御堂隊長が見ている

 なら自分は、自分の場所を見る

 それだけでいい

 不思議だった

 見る場所を減らしたはずなのに、最初より周囲がよく見えた

「接敵!」

 前方から声が飛ぶ

 黒野の意識が一瞬で切り替わった

 二体

 正面と右

「四!」

 相馬さんの声

 黒野が上を見る

 天井に一体

 左の機械の陰から、もう一体

「恒一、そのまま前!」

「了解!」

「右の二人、壁際へ寄せて! 凛は上!」

「分かった」

「榊さん、後ろ!」

「見えてる」

 御堂隊長の声は大きくない

 怒鳴ってもいない

 それでも十二人が迷わず動いた

 一体が黒野の正面へ飛び出す

「透真、来るよ」

「はい!」

 《双影》を構える

 長い腕が横薙ぎに振られる

 黒野は右足を引き、爪の先端を紙一重でかわした。そのまま腰を回し、右の刃を脇腹へ滑らせる

 浅い

 追わない

 外敵が振り返る

「透真、左空けろ!」

 佐伯さん

 黒野は迷わず左へ跳ぶ

 直後、さっきまでいた場所を味方の槍が突き抜け、穂先が外敵の肩へ深く刺さった

「今!」

 黒野が戻る

 右

 左

 二本の刃を同じ傷へ重ねる

 外敵が後退した

 追える

 一歩踏み込めば届く

 だが黒野は動かなかった

 周囲を見る

「後ろ!」

 声が飛ぶ

 振り返る

 天井にいた一体が位置を変えている

 狙われているのは自分ではない

 少し離れた場所で別の敵を相手にしている隊員

 気づいていない

 身体が前へ出かける

 初任務の光景が脳裏を掠めた

 相馬さんを助けようとして、何も見ずに飛び込んだ時のこと

 ――見る

 佐伯さん

 正面の敵を止めている

 相馬さん

 別の一体へ銃口を向けている

 榊さん

 後方

 御堂隊長

 距離がある

 誰が一番近い

 自分だ

「俺が行きます!」

 声を出した

 御堂隊長がこちらを見る

 ほんの一瞬だけ視線が重なった

 その目が僅かに細くなる

「任せた!」

 それだけだった

 黒野は走った

 不思議なくらい迷いがなかった

 外敵が天井から落ちる

 狙われた隊員がようやく気づく

 だが遅い

 黒野が二人の間へ滑り込んだ

 右の《双影》を横へ構える

 鉤爪がぶつかる

「っ……!」

 重い

 腕が沈み、衝撃が肩まで抜ける

「黒野!?」

「下がって!」

 後ろの隊員へ叫びながら、左の《双影》を外敵の腕へ走らせる

 浅い

 それでも敵の視線がこちらへ向いた

 それでいい

「透真、伏せろ!」

 佐伯さん

 黒野は考えず身体を落とした

 頭上を何かが抜ける

 銃声よりも重い破裂音

 榊さんの散弾が外敵の肩を打ち抜いた

「右へ抜けろ!」

 御堂隊長

 黒野は床を蹴り、右へ転がる

「凛!」

「見えてる」

 銃声

 弾丸が外敵の脚へ入る

 膝が崩れる

「透真」

 御堂隊長の声が聞こえた

「行ける?」

 黒野は立ち上がる

 目の前には体勢を崩した外敵

 以前なら、そのまま飛び込んでいたかもしれない

 けれど今は違う

 見る

 右

 左

 味方の位置

 相馬さんの銃口

 佐伯さん

 次の敵

 射線

 大丈夫

「行けます!」

 床を蹴る

 一歩で間合いへ入り、右の刃を先ほどの傷へ入れる

 外敵が身体を捻った

 逃がさない

 左足を深く踏み込み、もう一振りを同じ場所へ重ねる

 黒い身体が傾く

 床へ倒れた

 黒野は追撃しない

 一歩下がり、刃を構えたまま動きを見る

 数秒

 動かない

「……よし」

 息を吐く

「透真!」

「はい!」

「そっち終わったならこっち手伝え!」

 佐伯さんが別の外敵を押さえながら叫んでいる

「今行きます!」

 黒野は走りながらも今度は、周囲を見ることを忘れなかった

     ◇

 最終的に確認された外敵は十体だった

 十二人に大きな負傷者はいない

 周囲の安全確認を終えて工場の外へ出た頃には、空はすでに夕方の色へ変わり始めていた

「疲れた……」

 緊張が切れた途端、黒野は車両の横へ座り込んだ

「新人がだらしねえな」

 佐伯さんがペットボトルを投げる

「うわっ」

 慌てて両手で受け止める

「ありがとうございます」

「今日は怒らねえぞ」

「何がです?」

「途中」

 佐伯さんが二本の指で自分の目を指す

「ちゃんと見てから行っただろ」

 黒野は蓋へ掛けていた指を止めた

 仲間を助けに走った時のことだ

「……見てたんですか」

「見てるよ」

 佐伯さんは当たり前だろと言いたげに鼻を鳴らす

「先輩だからな」

 黒野は数秒、佐伯さんの顔を見る

「佐伯さん」

「何だ?」

「俺のこと好きなんです?」

「何でそうなる!」

 佐伯さんの顔が一瞬で崩れた

「だって成長を見守ってくれてるから」

「仕事だよ!」

「照れなくても」

「調子乗んな!」

 佐伯さんが黒野の頭へ手を伸ばし、黒野は笑いながら身体を横へ逃がす

「恒一、嬉しそうだね」

 後ろから御堂隊長の声がした

「隊長!」

「新人が成長すると嬉しい?」

「余計なこと言わないでください」

「顔に出てる」

「凛まで!」

「佐伯さん、人気ですね」

「透真、お前覚えとけよ!」

 黒野は笑いながら水を飲む

 少し離れた場所では、榊さんが車両へ背を預けて腕を組んでいた

「若いなあ」

「榊さん助けてくださいよ!」

「面倒だから嫌だ」

「この隊に味方いねえ!」

 佐伯さんの声と、みんなの笑い声が夕暮れの工業区画へ広がっていく

 任務中にはあれほど不気味だった場所なのに、今は少しだけ普通の場所に見えた

 多分それは、十二人全員がここにいるからだった

     ◇

 機構へ戻り、装備の確認と報告を終えた後、黒野は《双影》を整備してから隊室へ戻った

 神代副隊長たちの班はまだ帰還していない

 普段より人数の少ない隊室は妙に静かだった

 自分の席へ腰を下ろそうとしたところで、

「透真」

 御堂隊長に呼ばれた

「はい?」

「ちょっと付き合って」

「どこにです?」

「飲み物買いに」

「それ、付き合う必要あります?」

「一人だと寂しい」

 黒野は真顔で御堂隊長を見る

「隊長ですよね?」

「隊長だって寂しい時くらいあるよ」

「そういうもんですか」

「そういうもんだよ」

 妙に堂々と言われ、黒野は小さく笑った

「分かりましたよ」

 二人で廊下へ出る

 自動販売機の前まで来ると、御堂隊長は迷うことなく二本の飲み物を買い、そのうち一本を黒野へ放った

「ありがとうございます」

「今日どうだった?」

「疲れました」

「それだけ?」

「佐伯さんがうるさかったです」

「それは慣れないかも」

「隊長でも?」

「俺も十年以上挑戦してる」

「無理じゃないですか」

「無理かもしれないね」

 二人で笑う

 黒野は缶を開け、一口飲んだ

 冷たい

 任務を終えた身体に染み込むような感覚がして、壁へ軽く背を預ける

 御堂隊長も隣で缶を開けた

 しばらく、どちらも何も話さなかった

 黒野は横目で御堂隊長を見る

 いつもと同じ顔だ

 少し眠そうで、柔らかくて、隊長というよりは近所の兄ちゃんのようにも見える

 でも今日、戦場で見た横顔は少し違った

「隊長」

「うん?」

「今日、ほとんど戦ってなかったですよね」

「そうだね」

「……強くないんですか?」

 御堂隊長の手が止まった

 ゆっくり黒野を見る

「いきなり失礼だね」

「あ」

 言ってから気づいた

「すみません」

「そこは『そんなことないですよ』って言ってほしかったな」

「じゃあ強いんですか?」

「どうだろう」

「分からないんですか」

 御堂隊長は困ったように笑い、缶の縁を親指でなぞった

「強さって、色々あるからね」

 黒野は少し眉を寄せる

 よく分からない答えだった

 御堂隊長はそれに気づいたのか、壁へ背を預けたまま黒野を見る

「透真」

「はい」

「俺が一人で十体倒して、他のみんなが何もしない隊と、十二人で十体倒して全員無事に帰る隊なら、どっちがいい?」

 黒野は考える

 答えはそれほど迷わなかった

「……後です」

「俺も」

 あまりにあっさり返され、黒野は少しだけ拍子抜けする

「でも、隊長が強かったらもっと楽に終わるんじゃないですか?」

「そういう時は俺も戦うよ」

「今日は?」

「必要なかった」

 御堂隊長は迷わなかった

「恒一なら前を任せられる。凛なら広く見られる。榊さんなら後ろを任せられる。他のみんなも、自分の役割をちゃんとできる。だったら俺が全部やる必要はないでしょ」

 黒野は缶を両手で持ち直した

 工場の中で何度も聞いた言葉が頭へ浮かぶ

 任せる

 御堂隊長は簡単にそう言う

 でも――

「怖くないんですか?」

 御堂隊長の目が黒野へ向いた

「何が?」

「任せるの」

 自分でも、何を聞きたいのか上手く説明できなかった

 黒野は缶へ視線を落とす

「もし失敗したらって思わないんですか。隊長が自分でやってれば助けられたとか、そういうの」

 御堂隊長はすぐには答えなかった

 缶を一度口元へ運び、少し飲む

 それから、小さく息を吐いた

「思うよ」

 黒野が顔を上げる

「……思うんですか」

「毎回ね」

 その答えの方が意外だった

 もっと簡単に「信じてるから大丈夫」とでも言うのだと思っていた

「じゃあ、何で任せられるんです?」

 御堂隊長が少し笑った

 今度の笑い方は、いつもの軽いものとは少し違った

「信じてるから」

「……それだけ?」

「それだけって、結構難しいよ」

 缶を持った手がゆっくり下がる

「俺だって怖いよ。任せた相手が失敗するかもしれないし、怪我するかもしれない。判断を間違えるかもしれない」

 そこで御堂隊長は一度言葉を止めた

 黒野の顔を見る

「でもね、任せるって何もしないことじゃないんだ」

 声は穏やかだった

「見てる。ちゃんと見てる。危なくなったら助ける。失敗したら一緒に立て直す。でも、その人が自分でできることまで奪わない」

 黒野は何も言わなかった

 今日の御堂隊長を思い出していた

 三人が外敵と戦っていた時

 御堂隊長は動かなかった

 けれど見ていた

 黒野が仲間のもとへ走ろうとした時も、ほんの一瞬こちらを見て――

 任せた、と言った

「俺が全部やれば、その任務は早く終わるかもしれない」

 御堂隊長が手の中の缶を軽く揺らす

「でも次に俺がいなかったらどうする?」

「……困ります」

「でしょ」

 御堂隊長は少し笑った

「第四は、誰か一人がいなくなっただけで戦えなくなる隊にはしたくないんだ」

 その言葉だけは、妙に静かだった

 黒野は横にいる御堂隊長を見る

 いつものように笑っている

 なのに、その一言だけが胸のどこかへ引っかかった

「だから透真も、一人で強くならなくていいからね」

「どういう意味です?」

「困ったら誰かを頼ればいいってこと」

「隊長も?」

「もちろん」

「じゃあ書類手伝ってください」

 御堂隊長の笑顔が止まった

「それは伊織に頼んで」

「今いいこと言ったのに」

「書類は別」

「ずるくないです?」

「大人だからね」

「関係あります?」

「ないかも」

 黒野は吹き出した

 結局いつもの御堂隊長だった

 ただ――朝までとは、ほんの少しだけ違って見えた

     ◇

 隊室へ戻ろうとしたところで、廊下の向こうから複数の足音が聞こえてきた

 黒野が何気なく顔を向ける

 神代班だった

 神代副隊長を先頭に、隊員たちがこちらへ歩いてくる

 黒野の視線が自然にその中を探した

 いた

「律!」

 思っていたより大きな声が出た

 律がこちらを向く

 少し驚いたように目を瞬かせ、それから黒野の方へ歩いてきた

「どうだった?」

「普通」

「怪我は?」

「ない」

 律が黒野の身体を上から下まで見る

「そっちは?」

「俺もない」

「そうか」

 それだけだった

 律の表情もほとんど変わらない

 なのに黒野は、胸の奥にあった何かが少しだけ軽くなるのを感じた

 隣を見る

 御堂隊長が笑っている

「何です?」

「いや」

「何ですか」

「別に」

 どこかで聞いたような返事だった

 黒野が眉を寄せると、御堂隊長の笑みが少し深くなる

「隊長」

 神代副隊長が二人の前まで来た

「おかえり」

「ただいま戻りました」

 そこで神代副隊長の目が細くなる

「それで、報告書は?」

 御堂隊長の笑顔が固まった

「……」

「隊長?」

「透真」

「はい?」

「困ったら誰かを頼ればいいって、さっき言ったよね」

「言いましたね」

「報告書――」

「嫌です」

「即答?」

 黒野が一歩下がる

「それは神代副隊長に頼んでください」

「自分でやってください」

 神代副隊長が間髪入れずに切り捨てる

「伊織」

「副隊長です」

「律」

「嫌です」

「まだ何も言ってないよ?」

「顔で分かります」

「俺、隊長としての威厳なくない?」

「今さらじゃねえか?」

 隊室の中から榊さんの声が飛んできた

 御堂隊長が振り返る

「榊さんまで?」

「事実だろ」

「宗一郎さん、もう少し隊長を立ててくれてもいいんですよ?」

「じゃあ書類やれ」

「……透真」

「俺を見ないでください」

 笑い声が上がった

 黒野も笑いながら自分の席へ戻る

 机の前まで来たところで、ふと足を止めた

 今日一日の光景が頭へ浮かぶ

 前を歩いていた佐伯さん 広い範囲を見ていた相馬さん 最後尾を守っていた榊さん

 名前を呼ばれれば迷わず動く先輩たち

 そして、その全員を中央から見ていた御堂隊長

 最初は、何もしていないように見えた

 違った

 何もしなかったのではない 任せていた

 誰が何をできるのかを知っているから任せる

 任せた後も目を離さない

 危なくなれば手を伸ばす

 失敗すれば一緒に立て直す

 だから任された側も、自分の場所で迷わず動ける

 黒野にはまだ、それができる気はしない

 誰かを信じることと、自分の命を誰かへ預けることが同じなのかも、まだよく分からない

 けれど今日、仲間が襲われた瞬間

 黒野は一度止まった

 周囲を見た

 誰がどこにいるのかを確認した

 自分しか間に合わないと判断してから、声を出した

 ――俺が行きます

 そして御堂隊長は止めなかった

 ――任せた

 たった一言だった

 それでも、その時の声だけは妙に耳へ残っている

「透真」

 隣から律が呼ぶ

「ん?」

「明日の訓練、今日の続きやるぞ」

「えー」

「嫌ならいい」

 律が自分の席へ向き直る

「やるやる」

「じゃあ朝二十五分前」

「二十分」

「二十五分」

「二十二分」

 律の手が止まった

「何で交渉してるんだ」

「間を取った」

「取れてない」

「じゃあ二十一分」

「減ってるだろ」

「細かいなあ」

「お前が適当なんだよ」

 律が呆れたように息を吐く

 それでも口元がほんの少しだけ緩んでいる

 黒野も笑った

 明日もここへ来る

 律と訓練をして、佐伯さんに絡まれて、相馬さんに呆れられて、榊さんがソファで寝ている

 それでいい

「黒野」

 神代副隊長の声がした

「はい?」

「何笑ってるの。あなたも報告書あるわよ」

 黒野の笑顔が消えた

「……隊長」

「透真」

「はい」

「こういう時こそ助け合いだと思わない?」

「思います」

「だよね」

「二人とも自分でやってください」

「はい」

「はい」

 今度は御堂隊長と黒野の返事が綺麗に重なった

 律が小さく笑う

 少し離れた場所では佐伯さんが誰かと騒いでいて、相馬さんはもう本を開いている。榊さんはいつの間にかソファへ戻り、神代副隊長は御堂隊長の机に積まれた書類を見て深いため息を吐いていた

 いつもの第四だった

 黒野は自分の椅子へ座り、仕方なく端末を開く

 画面に表示された報告書を眺めながら、今日覚えたことをもう一度だけ思い出した

 全部を一人で見なくていい

 全部を一人でやらなくていい

 誰かに任せることは、誰かを放っておくことではない

 自分が見ていない場所を誰かが見ていて、自分もまた、誰かが見ていない場所を任されている

 その積み重ねで、第四討魔隊は戦っている

 そして黒野透真もまた、少しずつその中へ加わり始めていた

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