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第四話 初任務

第四話 初任務


 第四討魔隊へ配属されて三日目の朝、黒野透真が隊室の扉を開けると、最初に飛んできたのは歓迎の言葉でも朝の挨拶でもなく、佐伯恒一の大きな声だった


「遅い!」


「……まだ十分前ですけど」


 反射的に壁の時計を見るが、黒野の記憶は間違っていない。集合時刻まではきっちり十分残っている。それでも佐伯さんは腕を組んだまま、まるで黒野が大遅刻でもしたような顔をしていた


「新人は三十分前に来るもんだろ」


「昨日は十五分前でいいって言ってませんでした?」


「昨日の俺と今日の俺は違う」


「そんな理不尽あります?」


「ある。社会にはな」


「最低だ……」


「それより朝飯は?」


「食べましたよ」


「よし」


「そこ確認するんですか」


「当たり前だろ。任務中に腹減ったって言われても飯屋には寄れねえんだから」


 どうやら昨日の食堂での話を本気で気にしていたらしい。黒野が呆れながら自分の席へ向かうと、その隣では久遠律がすでに片手剣の点検を始めていた


「遅いぞ」


「だから十分前だって」


「俺は二十五分前に来た」


「それで?」


「別に」


「じゃあ言うなよ」


 久遠は黒野を一度だけ見て、すぐに手元へ視線を戻した。昨日も使っていた制式片手剣には特別な装飾など何もない。それでも久遠は刀身に異常がないか確かめ、柄を握り、鞘への収まりまで一つずつ確認している


「毎日やるの、それ」


「当たり前だろ」


「昨日、帰る前にもやってなかった?」


「やった」


「なら大丈夫じゃない?」


 久遠の手が止まった


「黒野」


「ん?」


「お前、《双影》の点検したか?」


「昨日は」


「今朝」


「……今朝?」


 腰へ視線を落とす。昨日帰る前には確かに確認したが、今朝はそのまま持ってきた


「してないな」


「信じられん」


「そんな顔する?」


「昨日大丈夫だったから、今日も大丈夫とは限らないだろ」


「久遠って結構面倒くさいな」


「お前が適当なんだ」


「朝から仲良いなお前ら」


 佐伯さんが笑いながら割り込んでくる


「どこがですか」


「どこがですか」


 黒野と久遠の声が綺麗に重なった


 二人が同時に顔を見合わせると、佐伯さんが吹き出す


「ほら、息ぴったりじゃねえか」


「違います」


「違います」


 また重なった


「やめろって、朝から笑わせんな」


「佐伯さんが変なこと言うからでしょ」


「朝からうるさい」


 今度は少し離れた場所から相馬凛の声が飛んでくる。相馬さんはいつもの席で本を開いていて、こちらを見ることすらしていない


「凛、おはよう」


「おはよう」


「今日も冷たいねえ」


「今日も朝から元気ね」


「褒めてる?」


「違う」


「だと思った」


 黒野は小さく笑いながら自分の席へ腰を下ろした


 昨日までと同じ第四の日常


 けれど今日は一つだけ違う


 黒野と久遠の腰には、訓練用ではない本物の武器がある


 何気なく《双影》の柄へ手を触れた、その時だった


「全員、聞いて」


 神代副隊長の声が隊室へ響いた瞬間、それまで雑談していた隊員たちが自然と口を閉じた。神代副隊長の隣には御堂隊長が立ち、壁面の大型モニターには都市部から離れた山間地域の地図が表示されている


「今朝、管制から第四へ任務要請が入った。山間部の旧林道周辺で、定着型と推定される外敵が複数確認されている。近隣住民からの目撃報告が三件、昨日の段階で第八討魔隊が先行調査を行い、同一個体群と思われる痕跡を確認している」


 地図が消え、代わりに一枚の画像が表示される


 四足歩行の獣に似た姿をしているが、犬や狼とは明らかに違う。前脚だけが異様に長く、背中には黒い突起が何本も並んでいる


「確認数は?」


 隊員の一人が尋ねる


「最低五体。痕跡から最大八体程度と推定されている。現時点で特殊能力、高度な知性、集団戦術は確認されていない。外皮は硬いけれど、関節部や腹部は比較的薄い。制式武器で対応可能」


 黒野は画面を見つめた


 外敵


 写真なら何度も見ている。訓練でも外敵を模した標的と戦ってきた


 だが、本物と戦ったことはない


「佐伯」


「はい」


「今回はあなたが現場指揮。相馬が索敵と射撃支援、新人二名を連れていって」


 黒野と久遠が同時に顔を上げる


「黒野、久遠」


「はい」


「はい」


 神代副隊長の視線が二人へ向いた


「初任務よ」


 胸の奥が僅かに強張る


「今回は経験を積ませる目的もある。ただし訓練じゃない。佐伯の指示を最優先にすること。敵を追って隊列から離れない。倒したと思っても勝手に近づかない。自分で判断できない状況になったら、無理に判断しようとせず声を出して」


「分かりました」


 久遠が答え、黒野も頷く


「了解です」


「それと」


 今度は御堂隊長だった


「二人とも帰ってくること」


 黒野は昨日、榊さんから言われた言葉を思い出す


 ――生きて帰ってこい


「はい」


 今度の返事は、少しだけ重かった


     ◇


 現場へ向かう車両の運転席には佐伯さん、助手席には相馬さん、黒野と久遠は後部座席に並んで座っていた


 市街地を抜けて山間部へ近づくにつれ、窓の外から建物が減り、代わりに木々が増えていく。黒野は自分でも意識しないまま腰の《双影》へ触れた


「八回目」


 助手席から相馬さんの声が飛んできた


「え?」


「《双影》触った回数」


「数えてたんですか?」


「気になったから」


「緊張してんだろ」


 佐伯さんが前を見たまま笑う


「別に悪いことじゃねえぞ」


「佐伯さんは初任務の時、緊張しなかったんですか?」


「俺?」


 佐伯さんが少しだけ胸を張る


「完璧だったよ」


「嘘」


 相馬さんが即答した


「凛」


「終わってから吐いた」


「おい」


「三回」


「回数まで言うな!」


 黒野が思わず笑い、隣では久遠まで口元を僅かに緩めている


「本当ですか?」


「昔の話だ!」


「三回……」


「律、お前も笑ってんじゃねえ!」


「笑ってません」


「顔が笑ってんだよ!」


「一回目は車の横」


「凛! もういい!」


 車内に笑い声が広がり、張り詰めていたものが少しだけ緩んだところで、佐伯さんが小さく息を吐いた


「まあ、真面目な話をすると怖かったよ」


 黒野が前を見る


「今もですか?」


「今もだ」


「意外です」


「お前、俺を何だと思ってんだ」


「マグカップ割っても認めない人」


「俺じゃねえ!」


「まだ言ってる」


「凛は黙ってろ!」


 佐伯さんはため息をついてから、少しだけ声を落とした


「怖くなくなる必要なんかねえんだよ。怖えから準備するし、怖えから周りを見る。自分が死にたくねえから仲間の位置を確認するし、仲間に死んでほしくねえから声を出す」


 久遠が尋ねる


「戦闘中もですか?」


「当然だ。特に第四はな」


「どういう意味です?」


「俺たちは毎回同じ組み合わせで戦うわけじゃねえ。任務ごとに編成が変わる。だから『いつもの相手だから分かるだろ』で済ませたら事故る。見えてる奴が伝える。分からねえ奴は聞く。動く前に必要なら声を出す」


 佐伯さんはバックミラー越しに二人を見る


「ただし、何でも喋ればいいわけじゃねえぞ。戦ってる最中に長々説明されても聞いてる暇なんかない。『右』『二体』『下がれ』『任せろ』で十分な時もある。逆に時間があるなら、誰がどこを担当するのか先に決める」


「なるほど」


「それと一番大事なのが――勝手に英雄になるな」


 黒野が首を傾げる


「英雄?」


「仲間が危ないからって、何も考えず一人で飛び込むなってことだ」


「でも間に合わなかったら?」


「だから見るんだよ。自分しか間に合わねえなら行け。ただ、他の奴が動いてるなら邪魔するな。助けに入ったお前まで死んだら意味ねえだろ」


 黒野は何も言わず窓の外へ目を向けた


「第四は一人で戦う隊じゃねえ」


 佐伯さんの声だけが車内へ残った


     ◇


 旧林道の入口で車両を降りた四人は、その場ですぐに装備の最終確認を行った


 佐伯さんが前衛、中央に黒野と久遠、最後尾に相馬さん


 ただし一直線に並ぶわけではない


「俺から五メートルくらい空けろ。透真は左、律は右。二人も横に並ぶな、少し前後をずらせ。凛は十メートルほど後ろから全体を見る」


 佐伯さんは地面へ簡単な配置を指で描きながら説明する


「接敵したら?」


 久遠が聞く


「まず俺が止める。律は俺の右側を使え。透真は左。敵が一体なら三人で囲む必要はねえ。二体以上なら俺が数を言う。凛は基本的に一番危ない奴から止める」


「倒すんじゃなくて?」


 黒野が尋ねる


「状況による」


 相馬さんがライフルを肩へ掛けながら答えた


「私が一発で倒せる保証はない。だから前衛が攻撃しやすい場所を撃つこともある」


「例えば?」


「脚」


「動きを止めるため?」


「そう」


 佐伯さんが頷く


「凛が脚を撃ったら、敵はそっちへ体勢を崩す。そこを俺たちが使う。逆に凛が『射線』って言ったら、銃口の前から離れろ」


「分かりました」


「あと俺が『開けろ』って言ったら?」


「道を空ける?」


「正解。俺が前に出るか、凛が撃つ。『切れ』なら今相手してる敵を捨ててでも距離を取れ。いいな」


 二人が頷く


「じゃあ行くぞ」


 四人は林道へ入った


 しばらくは何も起こらなかった。風が木々の間を抜け、時折鳥の鳴き声が聞こえる程度で、写真で見た外敵の姿などどこにもない。それでも訓練場とは違い、黒野には木の陰も斜面の草むらも何かが潜んでいるように見え、無意識に視線が足元へ落ちていく


「黒野」


 後ろから相馬さんに呼ばれる


「はい?」


「下を見すぎ」


「あ……」


「足元三、正面七くらいでいい。ずっと同じ場所を見ないで」


「正面七?」


「感覚で」


「急に雑ですね」


「慣れれば分かる」


「凛の説明は分かる奴にしか分からねえんだよ」


「佐伯さんよりは分かりやすい」


「俺、今日ずっと攻撃されてねえ?」


 黒野が小さく笑った、その直後だった


「止まって」


 相馬さんの声から、それまでの柔らかさが消えた


 四人が止まる


「右前方。斜面の上」


 黒野も見る


 何も見えない


「距離?」


 佐伯さんが聞く


「三十……もう少し近い。複数」


 佐伯さんが腰を落とした


「新人、抜け」


 黒野と久遠が同時に武器を抜く


「俺より前へ出るな。凛、後ろ頼む」


「了解」


 数秒後、右側の茂みが揺れた


 最初に現れたのは、写真で見たものと同じ外敵だった


 ただし写真より遥かに大きい


 肩までの高さだけでも黒野の腰を超えている。異様に長い前脚の先には黒い爪が並び、背中から伸びた突起が呼吸するたび上下している。裂けたような口から粘ついた唾液が垂れ、湿った土と血を混ぜたような臭いが風に乗って届いた


「……でか」


 黒野の口から声が漏れる


「透真、息」


「え?」


「息止まってるぞ」


 言われて初めて気づく


 黒野は一度大きく息を吐いた


「一体……」


 久遠が呟く


「三体」


 相馬さんが即座に訂正した


 正面の一体に続き、左奥の草むらから二体目、斜面の少し高い位置から三体目が姿を現す


 佐伯さんが短く指示を出した


「俺が正面。律、右の奴を止めろ。倒そうとするな、まず動き見ろ。透真は俺の左で待機。三体目が下りてきたらお前が受ける。凛は全体」


「了解」


「はい」


「分かりました」


 三人の返事が重なる


 最初に動いたのは正面の外敵だった


 前脚で地面を掻いた直後、巨体が一気に加速する


 佐伯さんは真正面に立ったまま動かない


「佐伯さん!」


「見てろ!」


 衝突する寸前、佐伯さんの左足が外側へ滑った。身体を半身にすることで突進の軸から外れ、振り下ろされた爪を肩の横へ通す。そのまま外敵とすれ違うように踏み込み、握っていた刃を前脚の付け根へ斜め下から走らせた


 硬い外皮を避け、脚の内側を正確に狙った一撃


 黒い血が飛ぶ


「外側は硬い! 脚の内側、脇、腹を狙え! 正面から力比べすんな!」


 佐伯さんが声を飛ばした直後、右側の二体目が動いた


「来るぞ」


 久遠が一歩前へ出る


 外敵の右前脚が振り下ろされると、久遠は剣を横にして受けようとする


「受けるな!」


 佐伯さんの声


 久遠は直前で判断を変え、剣の腹を爪へ斜めに当てた。衝撃を真正面から止めるのではなく横へ流し、外敵の前脚が地面へ落ちた瞬間に右足を踏み込む


 片手剣が脚の内側へ走る


 浅い


 それでも確実に傷はついた


「一回で斬ろうとすんな! 同じ場所を狙え!」


「はい!」


 久遠は追わず、一度下がる


 その動きを見ていた黒野の耳へ、相馬さんの声が届いた


「黒野、三体目が下りる」


 斜面を見る


 三体目と目が合った


 次の瞬間には、こちらへ向かって駆け下りてくる


「俺?」


「お前だ! 止めろ!」


「了解!」


 《双影》を構える


 右を少し前、左を身体の近くへ


 訓練で何度もやった構え


 それなのに本物が迫ってくると、足が動かなかった


 怖い


 大きい


 速い


 爪が上がる


「透真!」


 佐伯さんの声が飛ぶ


 その瞬間、意識より先に黒野の右足が外へ滑った


 外敵の爪が肩の横を通り過ぎる


「……っ!」


 自分でも驚くほど近い


 だが身体はもう次へ動いている


 開いた脇腹へ踏み込み、右手の《双影》を横薙ぎに振る


 硬い


 刃が外皮へ食い込まず滑る


 なら二本目


 右の刃が通った場所へ左を重ねようとするが、その直前に外敵の腰が大きく捻れた


「透真、下がれ!」


 黒野は即座に後方へ跳んだ


 直後、太い尾が目の前を横切る


 風圧が銀髪を大きく揺らした


「……今の見えてなかったんだけど」


「感想は後!」


 相馬さんの声


「黒野、そのまま二歩右!」


「右?」


「動いて!」


 理由を聞く前に二歩右へ移動する


 直後、乾いた銃声が響いた


 黒野がいた場所を抜けた弾丸が外敵の左前脚へ命中する。脚が外側へ弾かれ、巨体の重心が大きく傾いた


「左脚!」


 相馬さんの合図で意味を理解する


「そこか!」


 黒野は一気に踏み込み、傷ついた左前脚の内側へ右の《双影》を走らせた。一撃目で裂けた外皮へ、身体を回転させながら左の刃を重ねる


 一度目より深く入る


 外敵が吠え、黒野へ顔を向けた


「追うな!」


 佐伯さん


 黒野は三撃目を出さず後ろへ下がった


 次の瞬間、外敵の牙が空を噛む


「……なるほど」


 黒野の口から思わず声が漏れた


 一人で倒そうとすると三撃目へ行っていた


 だが、行けば噛まれていた


「理解するのは後にしろ!」


「はい!」


 右側では久遠も戦っている


 相手の爪を受けず、半歩ずつ位置を変えながら同じ前脚を繰り返し狙っている。剣術では明らかに黒野より上だ。外敵の攻撃を避けた後も姿勢が崩れず、次の一撃へ移るまでが速い


 その時、相馬さんの声が響く


「佐伯さん、奥!」


「見えた!」


 四体目だった


 林道の奥から姿を現し、そのまま久遠の背後へ向かっている


「律、前の奴を捨てろ! 左へ抜けろ!」


「はい!」


 久遠は戦っていた敵へ背を向けることを一瞬も躊躇しなかった。左へ大きく踏み込み、二体の外敵の間から離れる


「透真、動くな!」


 黒野も加勢しようとした足を止める


「凛、開いた!」


「射線確認」


 銃声が二発


 一発目が四体目の肩へ入り、二発目が前脚を撃つ


 走っていた外敵の姿勢が崩れる


「今だ、律! 手前だけ!」


「了解!」


 久遠が反転し、自分を追ってきた一体へ向かう。片手剣を下段から斜めに振り上げ、先ほどまで何度も狙っていた前脚の傷へもう一度刃を通す


 深く入った


 外敵の前脚が折れ、身体が地面へ沈む


「離れろ!」


 佐伯さんの指示で久遠がすぐ下がる


 倒れた外敵へ誰も近づかない


 黒野はようやく分かり始めていた


 誰かが一体を最初から最後まで倒すわけではない


 佐伯さんが動きを止める


 相馬さんが隙を作る


 久遠が傷を重ねる


 必要なら自分が入る


 一人で完結させる必要がない


 それが第四の戦い方なのだ


 だが――その理解ができた直後だった


「凛!」


 佐伯さんの声が響く


 五体目


 斜面上の茂みから突然飛び出し、最後尾の相馬さんへ向かっていた


 距離が近い


 相馬さんがライフルを向ける


 だが間に合わない


 黒野の視界から他のものが消えた


「透真、待て!」


 佐伯さんの声が聞こえる


 それでも身体は動いていた


 地面を蹴る


 相馬さんの前へ入る


 外敵の爪が振り下ろされる


 黒野は右の《双影》を斜めに立てて受けた


「ぐっ……!」


 重い


 腕だけでは支えられない


 刃ごと身体を押し込まれ、足が地面を滑る


「黒野、右へ流して!」


 背後から相馬さんの声


 黒野は反射的に右手首を外へ返した


 爪と刃が擦れ、火花が散る


 押し込まれていた力が横へ逃げた


「そのまま伏せて!」


 黒野が身体を沈める


 頭上から銃声


 相馬さんの弾丸が外敵の顔面ではなく、黒野を攻撃していた右前脚の付け根へ命中した


 外敵が大きくよろめく


「黒野、下がれ!」


 佐伯さん


 今度は従う


 二歩、三歩と後退する


 入れ替わるように佐伯さんが前へ出た


「律、右から回れ! 俺が顔を取る!」


「了解!」


 佐伯さんが正面から外敵へ踏み込む。わざと刃を大きく振り上げ、敵の視線を自分へ向ける


 外敵が佐伯さんへ噛みつこうと頭を振る


 その瞬間、久遠が右側へ回り込んだ


「凛、脚!」


「撃つ」


 銃声


 左後脚へ弾丸が入る


 外敵の腰が沈む


「律!」


「はい!」


 久遠の剣が右前脚へ入る


「透真!」


 佐伯さんが初めて黒野を呼ぶ


「左から入れ! 首じゃない、前脚!」


「了解!」


 黒野は走った


 外敵の左側


 久遠とは反対


 右手の《双影》を前脚の内側へ斬り込む


 浅い


 そのまま左を重ねる


 二撃目が深く入る


 外敵の身体が沈む


「開けろ!」


 佐伯さんの声


 黒野と久遠が同時に左右へ離れる


 中央が空く


 佐伯さんが踏み込んだ


 外敵が顔を上げるより早く、その刃が首の付け根へ深く入った


 巨体が一度大きく痙攣し、そのまま地面へ倒れる


 黒野は荒い呼吸を繰り返しながら《双影》を構え続けた


「……倒した?」


「まだだ」


 佐伯さんは武器を下ろさない


「全員その場から動くな。凛、周囲」


「確認する」


 相馬さんがライフルを構えたままゆっくり視線を巡らせる


 十秒ほど経ってから答えた


「近距離に動くものなし」


「律、後ろ見ろ」


「はい」


「透真、斜面」


「了解」


 黒野は斜面へ視線を向ける


 草が揺れている


 だが風だ


 しばらくして、佐伯さんがようやく息を吐いた


「よし。死骸確認する。新人はまだ近づくな」


 倒れている個体を一体ずつ確認し、それでもすぐには武器を収めない。周囲に残された足跡を確認し、相馬さんが痕跡を撮影し、久遠が周辺警戒を続ける


 黒野はそこでようやく、自分の左腕から血が流れていることに気づいた


「……あれ?」


「今気づいた?」


 相馬さんが近づいてくる


「全然痛くなかったんですけど」


「興奮してただけ」


「浅い?」


「浅い。でも帰ったら医療区画」


「これくらい――」


「行く」


「はい」


 即答した


 その横から佐伯さんが歩いてくる


「透真」


「はい?」


「さっき、なんで勝手に飛び込んだ」


 声が少し低い


「相馬さんが危なかったから」


「それは分かってる」


「だったら――」


「俺も動いてた」


 黒野の言葉が止まる


「律も動こうとしてた。凛自身も銃を向けてた。それ全部見たか?」


「……見てません」


「だろ」


 佐伯さんは怒鳴らなかった


 その方が、黒野には重く感じた


「結果的にお前が間に合った。それはいい。お前が入らなきゃ凛が怪我してた可能性もある。だから助けたことを怒ってるんじゃねえ」


 佐伯さんは黒野の左腕を見る


「何も見ずに飛び込んだことを怒ってる」


「……はい」


「もしあの一撃でお前が死んでたら?」


 黒野は答えられない


「凛を守ってお前が死んだ。それで成功だと思うか?」


「……思いません」


「だろ」


 佐伯さんは黒野の肩を軽く叩いた


「覚えとけ。お前一人死んで成功する任務なんて、第四じゃ成功って言わねえ」


「はい」


「仲間を助けたいなら、仲間が何してるか見ろ。自分が行くべきなら行け。誰かが行けるなら任せろ。それが一緒に戦うってことだ」


 黒野はゆっくり頷いた


「……分かりました」


「よし」


 佐伯さんはいつもの顔へ戻る


「じゃあ帰るぞ」


「もう終わりですか?」


「馬鹿。まだだ」


「え?」


「死骸の記録、周辺探索、巣がないか確認、近隣住民への安全報告、管制への終了連絡」


「……まだそんなにあるんですか」


「ある」


 佐伯さんは笑った


「生きて帰るまでが任務だ」


     ◇


 第四の隊室へ戻った時には、外はすっかり暗くなっていた


 黒野は医療区画で左腕の処置を受けてから、久遠たちと一緒に隊室へ戻った


 扉を開ける


「おかえり」


 最初に声を掛けたのは御堂隊長だった


 たった四文字


 それなのに黒野は一瞬だけ返事に迷った


「……ただいまです」


 自分でも少し変な返事だと思ったが、御堂隊長は何も言わずに笑った


 神代副隊長が黒野の左腕を見る


「怪我したの?」


「ちょっとだけ」


「初任務はどうだった?」


「どうって……」


 黒野は少し考えた


 本物の外敵は思っていたより大きかった


 怖かった


 臭かった


 爪が目の前を通った


 《双影》で斬っても簡単には倒れなかった


 久遠は自分よりずっと剣が上手かった


 相馬さんは、自分には見えていないものまで見ていた


 佐伯さんは戦いながら、ずっと全員の位置を見ていた


 そして自分は、危ないと思った瞬間に何も見えなくなった


「……疲れました」


「それだけ?」


「あと」


「あと?」


 黒野は腹を押さえた


「腹減りました」


 一瞬の沈黙の後、後ろから佐伯さんの声が飛んでくる


「だから朝飯食えって言っただろ!」


「食いましたよ!」


「じゃあ昼飯だ!」


「現場で食えるわけないでしょ!」


「携行食あっただろ!」


「あれ飯に入るんですか!?」


「飯だ!」


「俺あれ嫌いです!」


「新人が贅沢言うな!」


 隊室に笑い声が広がった


 久遠が呆れながら自分の席へ向かい、相馬さんは何事もなかったように本を開く。佐伯さんはまだ黒野へ何か言っているが、もう半分も聞いていなかった


 黒野は自分の席へ座ると、腰から《双影》を外した


 刀身には、外敵の黒い血が僅かに残っている


 朝とは違う


 もうこれは訓練で振っただけの武器ではない


 黒野は布を取り出し、右の刀身を根元から先端までゆっくり拭き、それが終わると左の《双影》も同じように手入れしていく


「……何してる」


 隣から久遠が声を掛けてきた


「見れば分かるだろ。整備」


「朝は必要ないって言ってただろ」


「言ってない。昨日やったから大丈夫じゃないかって言っただけ」


「同じだ」


「でもお前言っただろ」


 黒野は刀身を光へかざし、汚れが残っていないことを確認する


「昨日大丈夫だったから、今日も大丈夫とは限らないって」


 久遠が少しだけ目を見開いた


「……覚えてたんだな」


「俺を何だと思ってるんだ」


「適当な奴」


「お前までそれ言う?」


 久遠が小さく笑った

黒野も笑いながら《双影》を鞘へ戻す


 初めての任務は終わった


 怖かったし、痛かったし、訓練で想像していたより何もできなかった。それでも佐伯さんが前にいて、相馬さんが後ろを見て、久遠が隣で剣を振っていたから、自分も戦うことができた


 そして四人とも帰ってきた


 同じ扉を開けて


「おかえり」と言われる場所へ


 生きて帰るまでが任務


 今日聞いたその言葉の本当の意味を、黒野透真はまだ知らない


 ただ、この日から任務を終えて第四の扉を開くたびに聞こえる「おかえり」という言葉を、黒野は少しずつ好きになっていった

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