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第一話 黒野透真

第一章 第四討魔隊

 二百年前、空から一つの星が落ちた。


 後世の人間は、それを巨大隕石と呼んだ。観測史上類を見ない巨大な天体は、夜空を昼のように染めながら大気圏を突破し、大地へと墜ちた。衝突によって数え切れない命が失われ、都市が消え、地形が変わり、世界規模の混乱が起きた。


 しかし、人類にとって本当の意味で世界が変わったのは――その後だった。


 それまで人間の歴史上、一度として確認されたことのなかった異質な力が、人の中から現れ始めた。炎や雷といった現象を引き起こす者、人間の限界を超えた身体能力を持つ者、常識では説明できないほど鋭敏な感覚器官を持つ者。そして、ごく一部には角や鱗など、人間には本来存在しない特徴を持って生まれる者さえ現れた。


 長い年月をかけて解析を進めた研究者たちは、そうした人間から未知の因子を発見する。それらは発現する特徴によって分類され、やがて――《種族因子》と呼ばれるようになった。


 竜、鬼、獣、天使、悪魔。


 人類がつけた分類名の中には、かつて物語や伝承の中にしか存在しなかった生物の名前が数多く含まれていた。だが、奇妙なことに、それらが隕石落下以前に実在したという記録はどこにもない。


 なぜ、存在しなかったはずのものに似た因子が人間の中から現れるのか。


 二百年が経過した現在でも、その答えは出ていなかった。


 そして、世界に起きた変化はそれだけではない。


 巨大隕石落下以降、人類とは異なる未知の存在が各地で確認されるようになった。獣のようなもの、虫のようなもの、植物に似たもの、人間に酷似したもの。その姿も、生態も、能力も統一されておらず、既存の生物分類では説明できない存在さえいる。


 人類社会へ重大な被害をもたらす、それら未知の脅威。


 人は総称して――《外敵》と呼んだ。


     ◇


「――長い」


 誰にも聞こえないよう小さく呟き、黒野透真は出かかった欠伸を噛み殺した。


 広い講堂の壇上では、いかにも偉そうな男が随分前から話を続けている。外敵の脅威、討魔隊員としての責務、国民の生命を守る使命、服務規程、機密保持。それ以外にも重要なのだろう話が次から次へと続いている。


 大事なのは分かっている。


 たぶん。


「昨日、ちゃんと寝ればよかった……」


 ぼそりと呟きながら俯くと、銀色の前髪がさらりと額へ落ちた。黒野はそれを指先で軽く払うと、眠気をごまかすように背筋を伸ばす。


 黒野透真、二十歳。


 本日付で正式に特異災害対策機構へ採用された新人討魔隊員である。


 つまり今日は、これからの人生を左右するかもしれない大切な初日だ。そんな日に式典で居眠りして教官に目を付けられるのは、さすがに避けたい。


 黒野は気を取り直して前を見る。


 講堂には、黒野と同じ制服を身につけた若者たちが整然と並んでいた。今年度、特異災害対策機構に採用された同期たちだ。


 緊張で身体を固くしている者もいれば、期待を隠しきれない者もいる。明らかに戦闘慣れしていそうな体格の者もいれば、街ですれ違ったところで討魔隊員だとは思わないような者もいる。髪や瞳の色、体格、そして僅かに見える身体的特徴まで含めれば、さらに様々だった。


 それ自体は珍しいことではない。


 人間が種族因子を持つことが当たり前になってから、既に長い年月が流れている。同じ分類の因子であっても発現する能力は人によって異なり、強力な因子を持っているからといって本人まで強いとは限らない。逆に、一見すると大したことのない能力を鍛え続け、第一線で戦う者もいる。


 黒野自身も、そのあたりは採用前の訓練で嫌というほど教え込まれていた。


「……ねえ」


 不意に隣から小さな声が聞こえ、黒野は顔を動かさず目だけを横へ向けた。


 そこには一人の女性が座っていた。


 最初に目を引くのは長い髪だった。一見すれば銀白色。しかし窓から差し込む陽光を受けた部分には、はっきりと柔らかな桃色が浮かんでいる。淡い桜色を銀白に溶かしたような髪が背中まで流れ、その間から澄んだ青い瞳が黒野を覗いていた。


 月島灰音。


 立ち上がれば女性としてはかなり背が高い。百七十センチほどだったはずだ。


 そして今、その整った顔には少しだけ悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「寝てた?」


「寝てない」


「本当に?」


「目を閉じて集中してただけ」


「それ、寝てた人が言うやつじゃない?」


「……まだ閉じてもないけど」


「あ、そうなんだ」


「危なかっただけ」


「もっと駄目じゃない?」


 くすっと灰音が笑う。


 黒野は何か言い返そうとして――やめた。たぶん何を言っても墓穴を掘る。


「……月島だっけ」


「うん。月島灰音」


「黒野透真」


「知ってる。同じ訓練だったでしょ」


「そうだっけ」


「ひどい」


 今度は本当に困ったような顔をされた。


 もちろん黒野も灰音の顔くらいは覚えている。ただ、名前と顔が完全には一致していなかっただけだ。


 月島灰音。


 採用前訓練では、かなり成績が良かったはずだ。特に印象に残っているのは防御系の実技だった。単純に攻撃を受け止めるだけではない。護衛対象を設定された訓練になると、急に手が付けられないほど粘る。


 攻撃するより、誰かを守る方が得意な奴。


 黒野の記憶には、そんな印象で残っていた。


「黒野透真」


「はい」


 突然名前を呼ばれ、黒野は反射的に背筋を伸ばした。


 周囲の視線が一斉に集まる。


 声の主は壇上ではなく、前列に座っていた教官だった。


「私語」


「……すみません」


「月島もだ」


「はい。すみません」


 二人揃って頭を下げる。


 数秒ほど気まずい沈黙が流れた後、壇上の話が再開された。


 しばらくして、隣から再び小さな声がする。


「黒野君のせいで怒られた」


「最初に話しかけてきたの月島だろ」


「そうだった?」


「そうだったよ」


 今度こそ二人は黙った。


 そんな二人のやり取りを、少し離れた席から見ている男がいた。


 かなり背が高い。


 座っていても分かるほど肩幅があり、標準的な骨格ながら身体はしっかり鍛えられている。暗めの茶髪には少し癖があり、無造作に整えられた髪型は妙に爽やかだった。


 琥珀色の瞳と黒野の視線がぶつかる。


 男は一瞬だけ目を丸くすると、楽しそうに笑った。


 まるで、


 ――初日から何やってんだ。


 そう言われたような気がした。


 黒野も少しだけ眉を上げて返す。


 それで会話は終わった。


 久間皓希。


 名前くらいは、訓練中に何度か耳にしたことがある。


 黒野が視線を前へ戻そうとした時、そのさらに奥――窓際の席に座る男が目に入った。


 こちらは久間とは正反対だった。


 肩を越える黒髪。整えることに興味がないのか、かなり無造作に伸びている。長い前髪の隙間から覗く目は静かで、周囲の熱気から一人だけ切り離されているように見えた。


 誰かと話している様子もない。


 隣の新人から声を掛けられた時も、一度だけそちらを見て短く答え、それ以上会話を続けようとはしなかった。


 賽谷縁。


 彼についても名前くらいは知っている。


 それ以上のことは知らないし、今の黒野には特に知ろうとする理由もなかった。


 黒野は再び壇上へ視線を戻す。


 灰音は隣にいる。


 久間は少し離れた席。


 賽谷はさらにその向こう。


 同じ日に、同じ場所で、同じ制服を着ている。


 今の四人を結びつけるものなど、それくらいしかなかった。


     ◇


 式典が終わり講堂を出た瞬間、黒野は張り詰めていたものを吐き出すように大きく息を吐いた。


「終わったぁ……」


「聞こえるぞ、新人」


「うわっ」


 背後から突然声を掛けられ、黒野は肩を揺らして振り返った。


 そこに立っていたのは三十代前半ほどの男性だった。穏やかな顔立ちで、怒っているようには見えない。それどころか、黒野の反応を楽しむように少し笑っている。


「すみません」


「いいよ。俺も新人の頃は長いと思ってた」


「言っていいんですか、それ」


「ここだけの話」


 男は悪びれる様子もなく笑った。


 その隣には、同じく三十代前半ほどの女性が立っている。


 柔らかな雰囲気の男とは対照的に、その女性には立っているだけで隙がない。黒野へ向けられる視線も冷たいというより、目の前の人間を静かに観察しているようなものだった。


「隊長」


「はい」


「新人に余計なことを教えないでください」


「まだ何も教えてないけど」


「今まさに教えていました」


「厳しいなあ、伊織は」


 女性の眉が、ほんのわずかに動いた。


「勤務中です」


「ああ、ごめん。神代副隊長」


 どういう関係なんだろう。


 黒野が二人を交互に見ていると、女性――神代伊織の視線が真っ直ぐこちらへ向いた。


「黒野透真」


「はい」


「本日付で、第四討魔隊への配属が決まっています」


「……第四」


 知識として名前くらいは知っている。


 特異災害対策機構には複数の討魔隊が存在し、それぞれ異なる役割を担っている。しかし、どの部隊が何を担当し、普段どのように動き、互いにどう連携しているのかまでは、黒野も詳しく知らない。


 伊織は手元の端末へ一度視線を落とした。


「これから施設を案内します。その中で討魔隊の部隊構成と、第四の役割についても説明します」


「分かりました」


「装備関連の手続きも残っています。今日は覚えることが多いから、そのつもりで」


「……まだあるんですか」


「当然でしょう」


「ですよね」


 伊織が歩き出す。


 黒野もその後を追おうとした――その時だった。


「あ、その前に」


 先ほどの男が片手を上げ、黒野を呼び止める。


 振り返った黒野に、男は少しだけ申し訳なさそうに笑った。


「自己紹介してなかったね」


 そう言って、自然に右手を差し出す。


「御堂弥勒。第四討魔隊の隊長をやってる」


「……隊長?」


「うん」


 黒野は差し出された手と弥勒の顔を交互に見た。


 もっと怖い人間を想像していた。


 外敵と戦う部隊。その中でも一つの討魔隊を率いる隊長という肩書きから、もっと近寄り難い人物を勝手に想像していたのだ。


 だが、目の前にいる男から感じるのは威圧感ではない。


 妙な安心感だった。


「よろしく、黒野」


「あ……はい。よろしくお願いします」


 黒野が差し出された手を握る。


「そんなに固くならなくていいよ」


 弥勒は笑った。


「今日から仲間なんだから」


「……仲間、ですか」


「嫌?」


「いや、そういうわけじゃないですけど」


「なら良かった」


 それだけ言うと、弥勒は黒野の肩を軽く叩いた。


「詳しいことは伊織が教えてくれるよ」


「隊長は?」


「仕事」


「施設案内も仕事では?」


「黒野」


 伊織の声が飛んできた。


「はい」


「余計なことを教えないでくださいと言ったばかりです」


「俺ですか?」


「二人ともです」


「……すみません」


「ごめん」


 なぜか隊長と一緒に怒られた。


 黒野は小さく息を吐きながら、先に歩いていく伊織の後を追った。


 その少し先には、大きな窓の向こうに広大な施設が見えていた。複数の建物を繋ぐ連絡通路。その向こうには訓練施設らしき巨大な建物があり、さらに離れた場所には見たことのない設備まで並んでいる。制服の違う職員たちが行き交い、討魔隊員らしき者たちが武器を携えて通り過ぎていく。


 黒野は思わず歩みを緩めた。


「……広いな」


 ここが、特異災害対策機構。


 これから自分が働く場所。


 そして第四討魔隊という、まだ顔も知らない者たちがいる場所。


「黒野」


 少し先で伊織が振り返った。


「置いていくわよ」


「あ、はい」


 黒野は足を速める。


 この時の彼にとって、第四討魔隊という名前は配属通知に書かれていた文字に過ぎなかった。


 そこに誰がいるのか。


 どんな毎日が待っているのか。


 そして、その場所がいつか自分にとってどれほど大切なものになるのか。


 黒野透真は、まだ何も知らない。


 ただ少しだけ――。


 これから始まるものを、楽しみにしていた。


 こうして黒野透真の、第四討魔隊での最初の日が始まった。

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