第9章:転生エラー
■哀しみのロールレ
窓の外を流れる雲を眺めることだけが、彼の世界のすべてだった。 ロールレは生まれつき身体が弱く、物心ついた時から白く無機質な病室が彼の居場所だった。同年代の子どもたちが校庭を走り回り、泥だらけになって笑い合う声は、自分の世界にはない。
友だちも、放課後の約束も、彼には無縁のものだった。点滴の滴る音だけが響く静寂の中で、彼は小さくつぶやく。
「ボクも、元気になったら……友だち、たくさんほしいな」
それは、神様に宛てた手紙のような、ささやかな、けれど切実な祈りだった。
「友だちができたら、あんなことやこんなこと……たまに、ちょっとだけ悪いこともして。いっぱいいっぱい、遊びたいんだ」
しかし、そのささやかな願いが、この世で叶うことはなかった。 季節が何度か巡り、窓の外の景色が色を変えたある日。わずか十歳という若さで、ロールレの短い人生の幕は静かに下ろされた
■転生課
意識が浮上したとき、そこは光に満ちた奇妙な場所だった。 あまりに若すぎる死を迎えたロールレの魂は、「特例対象」として、天界にある「転生課」へと運ばれていた。
窓口に立つロールレの前に、事務的な、けれどどこか古めかしい掲示板が掲げられている。
転生の掟───────────────────
<基本事項>
1、転生とは別の世界や時間軸に移動するものである
1、「通常転生申請書」は、前世と同じ状態で転生が行われる
1、「生まれ変わり申請書」は、新生児の状態で転生が行われる
1、申請書が受理された場合、転生は即時実行される
<特例について>
1、特例が認められた者は、転生後の姿を思い浮かべながら転生すればその姿になれる
1、同様に能力が与えられるものは、ルーレットによる無作為抽選とする
1、その他係員が認めたものは、その項目が最重視され矛盾をできるだけ回避する
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十歳の少年にとって、その内容はあまりにも難解だった。
受付をしてくれた係員は机の上に小さな箱を取り出し、ロールレは促されるままにボタンを押す。
カチ、カチ、カチ……。 光の針が銀色のパネルの上を滑るように回り、やがて一点で停止した。
与えられた能力は、「相手が自分に興味を持つ能力」。 「元気になって、友だちといっぱい遊びたい」という彼の純粋な希望にとって、これ以上ないほど相性のいい、幸福な結果に思えた。
係員に言われるがまま、ロールレは慣れない手つきで書類の作成を進める。 それは、すべてが受理され、新たな世界へと旅立つほんの一瞬前のことだった。
本来、魂という概念同士が物理的に干渉し合うことはない。 だがその時、ロールレの耳元で微かな羽音が響いた気がした。不快な羽音に、彼は無意識に、反射的に、その「何か」を手で払った。
その瞬間、手も足も顔すらもないはずの「イメージとしての魂」同士が、干渉した。 ロールレの振るったイメージは、一匹の蠅の魂を無惨に砕き、飛び散らせた。砕かれた蠅の魂には、「人間」という存在への根源的な恐怖が一瞬にして焼き付く。
時を同じくして、システムが書類を「受理」した。 ロールレは、自分が引きちぎってしまった蠅の魂の残滓を巻き込んだまま、眩い光に包まれていった。
■矛盾補正
転生の掟は、ひとつの絶対的な原則に基づいて作動する。 それは、「与えられた要素に矛盾がある場合、それをできるだけ回避して再構成する」というものだ。
ロールレの「友だちをたくさん作って遊びたい」という純粋な願い
混入した蠅の「人間への恐怖」という感情
ルーレットで決定した「相手が自分に興味を持つ:という能力
「友だちと遊びたい」が、「人間が怖い」という恐怖によって歪められる。 「興味を持たせる能力」は、相手を縛り付けるための強制力へと変質する。
これらを矛盾なく成立させるための、最悪の解。 システムは、ロールレに与えるはずだった能力を、強制的に「対象の心にある負の感情へ干渉し、洗脳状態にする」に書き換えた。
■蠅
まばゆい光の奔流が収まった後、失われていた五感が急激に呼び戻される。 視覚、聴覚、触覚。 それらを認識した刹那、この世のものとは思えない激痛で意識を叩き起こされた。 そこは、少年──ロールレの指の隙間だった。引きちぎられた自身の半身は、少年の指と癒着してしまっている。
蠅は激痛に悶え、意識を失いそうになりながらも、ただ一点の生存本能だけで動いた。この耐え難い痛みから逃げるための場所を探して、必死に、狂ったように。 ふと、周囲に付着していた「かつての自分だったもの」が、冷たく硬い結晶へと姿を変えていくのを感じた。それに伴い、不思議と痛みがわずかに遠のいていく。
痛みから逃げるために。生き延びるために。 蠅は、癒着した箇所を足がかりに、ロールレの身体の内側へと侵食を開始した。 侵食した箇所は次々と結晶化して不気味な鎧となり、やがてロールレの上半身の大部分を、厚く、硬い魔結晶が覆い尽くした。
蠅は、少年の身体を完全に乗っ取ることに成功した。 そればかりか、衝撃で目覚めるはずだったロールレ本来の意識を、暗く深い、魂の奥底へと沈めてしまった。
──こうして、上半身を魔結晶に覆われた異形、ロールレ・フライは誕生した。
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ロールレ・フライが小屋を去った後。 静まり返ったボート小屋の床には、置き去りにされた「蠅の残りの半身」が、まだ弱々しく蠢いていた。
自分の片割れを求めて、あるいは失われた命を繋ぎ止めようとして。 しばらくの間、それはもがくように床を這い回っていたが、やがて自らの周囲を保護するように結晶で覆いつくした。そしてそれは、今後しばらく誰からも発見されることなく、ボート小屋の隅で眠りにつくのであった。




