第10章:最後の死闘
■ロールレ・フライの誤算
「双子を善に戻した人間……。フフ、面白い。私が自ら迎えに行こう」
地下の薄暗がりでそう呟いたロールレ・フライは、ソファから立ち上がった。本来であれば百数十体の軍勢をけしかけ、人間たちをじわじわと恐怖の底へ突き落とすのが彼の定石だ。しかし、強大な力を持つ双子の現状を「善意」などという不確かなもので解決した存在に、彼はかつてない興味を抱いていた。
フライの軍勢は手始めに双子のいる北の山の麓の町を狙った。
折しも3人が再び成瀬家を訪ねた絶妙のタイミングで…
静かな日常を切り裂くように、その異形は三人の前に姿を現した。
「さあ、お前たちのその心にある闇を私に見せてみろ!」
フライの複眼が不気味に輝き、ナムオとマイに洗脳の波動が放たれる。相手の中にある恐怖、怒り、嫉妬を増幅させ、己の傀儡へと変える絶対の能力。彼は、二人が即座に膝を突き、命乞いを始めると確信していた。
だが、現実は彼の予想を裏切った。
マイは、かつて双子から分けてもらった温かなもの――聖なる力に守護され、洗脳を受け付けない。
ナムオは、人間の姿をしているものの、その魂の根底はまだ無垢な猫のままだ。人間特有の複雑な「負の感情」を持ち合わせていない。
タクニャに至っては……猫の姿であるため、ロールレ・フライから完全に無視されていた。
「なぜだ……。なぜ、屈服しない……!」
絶対の能力が通じないことがフライの恐怖に小さな火を灯す。
「そんな恐怖は認めない!俺はロールレ・フライだ!
右腕の鋭利な魔結晶を武器に襲いかかった。
■鋼の盾と聖なる光
「させるか!ニャ!」
ナムオが叫び、城で借りたままの愛用の盾を構えて飛び出す。その動きは、人間技とは思えない。ずば抜けた反射神経でフライの放つ攻撃をことごとく弾き返す。
フライの武器は得体のしれない邪気を纏っている。見た目はいわゆる魔法武器だ。
あんなのに切りつけられたら、無事で済まない。済むわけがない。
ここでナムオはようやく気付く。
「こ、攻撃する役がいないのニャ!」
今にはじまったことではない。思えばこのバランス最悪なパーティーが機能しているはずがない。
そして、マイも何かに気付く。
「何かがおかしい……」
タクニャも何かに気づきたいが、猫の姿では行方を見守ることしかできない。
マイは深く考える。
ランティアがそうであったように、今私たちを襲ってきているのは、何かに取り憑かれている存在だ。
あの結晶。上半身を覆う鈍く光る物体は一体なんなのだろう。
マイの意識が結晶に向いたその時、フライを覆っていた結晶の一部が砕け散る。
「えっ……!?」
そのときマイは確信めいたものを感じた。双子がくれたこの温かいものには浄化の力があるのではないかと。
マイは祈るように両手を握りしめる。
「どうか、救えるものなら、この人を救ってください」
マイを中心に光の輪が広がる。彼を覆っていた不浄な魔結晶が、一枚そして、また一枚と、乾いた音を立てて砕けていく。
フライは苦しむ
「やめろ……! 私を、消そうとするな!」
フライの中の恐怖の炎は、今や彼を飲み込もうとする。
その恐怖は、やがて生存をかけた暴走へと変わる。
(この女だ。この女さえ殺せば、この忌々しい光は消える!)
一瞬、ナムオの守りにわずかな隙が生じた。 フライは残された全ての力を右腕の刃に込め、その禍々しい凶刃をマイの心臓目がけ深々と突き出した。
「マイ――ッ!」
タクニャの叫びは、間に合わなかった。 フライの怨念の刃が、マイの心臓を一突きにする。 崩れ落ちるマイ。その鮮血が、地面を赤く染めていった。
手も足も出ない絶望の先で──
目の前で倒れるマイの姿。 その光景に、タクニャの脳裏を前世の凄惨な記憶が駆け巡る。激しい雨、スリップする車輪、そして、突き飛ばすことしかできなかったあの日の絶望。
(まただ……また、俺は守れなかった……)
自分自身の無力さに対する、猛烈な拒絶。二度とこの後悔を繰り返さないという魂の慟哭を伴い「手も足も出ないときの能力」が発動する。
「うわあああああああああッ!!」
タクニャの咆哮とともに、「見えない手」がフライの全身を貫く。同時に物理的な手段では決して剥がせなかったロールレの肉体と蠅の魂の癒着を、「見えない手」が強引に掴み取る。
「器」を失った蠅の魂は、元々は半死半生の脆い存在。引き剥がされた瞬間、恐怖に悶えながら霧散し、ロールレ・フライとしての悪事の記憶もろとも、その生命活動を永久に停止させた。
しかし、フライを倒しても、奇跡は起きなかった。
タクニャは血だまり横たわるマイに駆け寄り、その冷たくなり始めた体に自らの身体を擦り付ける。
何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くすナムオ。
けれど、タクニャの背中から伝わってくる、張り裂けんばかりの悲痛な感情だけは、痛いほどに伝わっていた。
(マイがいなくなる……?)
ナムオの胸に、転生してから今日までの楽しかった日々が蘇る。朝食の匂い、小言、笑い声。そこにはいつもタクニャがいて、そして、太陽のように明るいマイがいた。
(嫌だ。こんなの、嫌だ! マイを失いたくない!)
──────ドクン。
その一つの鼓動が一瞬でナムオの全霊を支配する──ただ「マイを失いたくない」と。
ついにナムオの能力が発動する。
マイの胸の傷がみるみるうちに癒え、止まっていた心臓が、鼓動を取り戻した。
■浄化の終わり
「……タク、ナム……?」
ゆっくりと目を開けるマイ。その頬を、タクニャとナムオの涙が濡らした。
蠅の魂は取り除かれたものの、まだ魔結晶の残滓を纏ったまま横たわっていた少年の元に、足音が近づいてくる。 駆けつけたのは、ライとチカだった。
「ライ、チカ。お願い……!」
マイの声に応え、双子が少年へと歩み寄る。二人の強大な、けれど今は温かな聖なる力がロールレを包み込み、長年彼を苦しめてきた結晶をゆっくりと溶かしていった。
洗脳の元であるフライが消滅したことで村を襲っていたロールレ・フライの軍勢はその場に立ち尽くす。彼らは自分が何をしていたのか、その記憶すら失ったまま、ただの穏やかな生き物へと戻っていく。
悪夢は、今、三人と双子の手によって、静かに幕を閉じた。




