第6章:湖のほとりの影
■リネーム & リスタート
マイ「ねえねえ、タク!」
タクは転生後の自分の姿を想像して振り向く
ナムは転生前の自分の姿を想像して振り向く
非常にややこしい。
なので3人で相談して、今の名前を決めようということになった。
マイはそのままマイ。
人間の姿をになったナムについては、転生前のナムからナムオにスムーズに決定した。
問題は猫の姿になったタクである。
本人は「タク・ザ・キャット」を頑として譲らなかったのだが、マイの「長!ダサ!」の一言に打ちのめされ「タクニャ」に決定してしまった。
ただの呼び名だが、これでようやく新しいスタートが切れそうだ。
■情報と出発
「ねえ、聞いてよ。北の森のお城の湖が、なんか最近少し濁ってきたらしいんだよね。城主さんは困ってるみたいだけど、大したことじゃないって、他の人たちは誰も見向きもしないのよ」
朝食の準備をしながら、マイが2人に声をかけた。
リビングには、人間の姿をしたナムオと、猫の姿をしたタクニャが並んで座っている。
マイが仕入れてきた噂によれば、湖の水が少し濁ってきているというだけの一見小さな問題だった。
でも、このメンバーで初めて受ける仕事として考えれば、ちょうどいい気がする。
「どうする? 行ってみる?」
マイが問いかける。
すると、タクニャが短く鳴いた。
「にゃ!【イイネ!】」
首元のNAMTAC-Mの小さなディスプレイに文字が浮かび上がる。
一方、ナムオは、椅子に浅く腰掛けたまま、興味なさそうにあくびを噛み殺していた。
「ちょっとナムオ!人の話を聞いてるの?」
マイが呆れたように言う。
「困っている人がいるかもしれないんだよ?」
タクニャもナムオの足元へ近づき、行かないのか?と前足で軽く触れる。
「だって、水が汚れてるだけだニャ?」
「……」
マイもタクニャも少し呆れる。
ナムオは、まだ「困っている誰か」という存在を、自分のこととして考える感覚が薄いようだ。これから先、人間として暮らしていくには、学ぶべきことがたくさんあると思う。
やはりマイも同じように感じ取ったようで、もう一度誘う。
「行こう、ナムオ!誰かが困っているなら、見に行くだけでもいいと思うよ」
ナムオは少し考えた後、面倒そうに言った。
「……そうなのかニャ」
「じゃあ、朝ごはんを食べたらすぐに出発よ」
マイがお皿を並べようとしたとき、つるりと手が滑ってしまった。
「ニャっっ!」
なぜか空中で止まったままのお皿。ナムオもマイも目を丸くして驚いている。
しかし、俺だけは確かに感覚があった。
人間のときのように皿をキャッチした感覚が。
これが転生のときにルーレットで決まった能力「手も足も出ないときの能力」か。
ネーミングわかりにくいって…
「なに…これ……?」
「にゃーにゃ!【ノウリョク】」
「私の『自分で稼いだお金が5倍になる』と同じかー」
もう一度念じてみたが……出ない。
発動条件の問題なのか、回数制限の問題なのかはわからない。
不親切極まりないというか、あのとき転生を担当してくれた神様の頼りなさが思い出される……。
ナムオにもルーレット能力は与えられたのだろうか?
覚えていたとしても、あの神様じゃあ詳しいことは教えてくれてないだろうな。
と、タクニャはなぜか確信していた。
■ダイモン家の悩み
城に到着した3人は、想像していたよりも大きな建物に目を奪われた。
「なんて素敵なお城なの!んーー!ロマンチック♡」
マイは目を輝かせる。
使用人に案内され、3人は応接間へ通された。
そこには、疲れた表情を浮かべた城主が待っていた。
「よくぞ来てくれた。私がこの城の主、ジョージ・ダイモンだ」
ダイモン卿は深く息を吐く。
「あまり大きな問題と思ってもらえなかったのか、ようやく依頼を受けてもらえて有難い。だが、ことは湖の問題だけではないのだ……。城の権威や一族の名誉に関わるため、すべてを明かすわけにはいかなかったのだ」
彼はしばらく迷った後、口を開いた。
「実は、娘のイセッタについても助けを求めたいのだ」
最愛の娘であるイセッタの顔や首筋に、原因不明の黒い斑点が現れ始めた。
最初はただの肌の異常だと思われていた。
しかし、症状は少しずつ広がり、今ではイセッタは誰とも会おうとせず、部屋に閉じこもっている。
さらに、城全体にも淀んだ空気が漂い、原因不明の不調を訴える者が続いていた。
話を聞いたナムオは、首を傾げる。
「人間って、隠し事ばっかりするんだニャ」
「え?」
「城のケンイとかメーヨとか……そんなに大事ニャのか?」
マイは幼い子に諭すように言う。
「大事なものなんじゃないかな」
タクニャはナムオを心の中で励ました。
元愛猫よ。少しずつ前進していこうな!
マイはダイモン卿に尋ねる
「まずは、イセッタ様に会わせてもらえませんか?」
ダイモン卿は少し迷った後、静かに頷いた。
■湖の異変と髪飾り
イセッタの部屋へ案内された3人は、そこで1人の少女と出会った。
顔立ちはかなり整っている。
しかし、その肌には不気味な黒い斑点が広がり、以前の明るさを失ったようにベッドの上で小さくなっていた。
その髪には、小さな髪飾りが大切そうにつけられている。
「……誰?」
イセッタは警戒したように3人を見る。
「事情を聞いて、助けになれることがないかと思って来ました」
マイが優しく声をかける。
イセッタは少し迷った後、小さな声で話し始めた。
「夜になると……窓の外から、声が聞こえるんです」
「声?」
「はい……苦しそうで……でも、どこかで聞いたことがあるような鳴き声で……」
その言葉を聞き、タクニャの耳がわずかに動く。
「にゃ……?」
そうしてイセッタの部屋を後にし、城に隣接する湖へ向かったが、湖へ近づくにつれ、次第に空気が重くなっていく感覚が間違いなくある。
水そのものがすべて汚染されているわけではない。
しかしどうやら、ダイモン家が管理しているボート小屋から発せられる生理的に嫌な感覚が関係しているのは間違いなさそうだった。
「にゃにゃにゃ!【キケン!】」
タクニャのNAMTAC-Mに文字が表示される。
その先には ─── 異形の魔物がいた。
人のような二足歩行をしているものの、その身体は何かの結晶に覆われ、ゆっくりこちらに向かってくる。
何の対策もアイデアもない3人が対峙していい相手ではない。
「撤退よ!」
マイの判断で、3人は一度城へ戻ることにした。
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城へ戻った3人は、ダイモンとイセッタに見てきた情報を報告する。
その時、マイがあることに気付いた。
「えっ……?」
イセッタの髪飾り。
そして、先ほど見た魔物の頭部にも、同じような髪飾りが残っていた。
「あの魔物……もしかして」
マイの言葉に、ダイモン卿の表情が変わる。
その髪飾りには、思い出があった。
城で働いていた女性使用人、ランティア。ランティアは幼いイセッタを本当の娘のように可愛がっていた。イセッタもまた、ランティアによく懐いていた。
ある日、イセッタは感謝の気持ちとして、自分とお揃いの髪飾りをランティアへ贈った。ランティアは身分の違いを理由に一度は断った。しかし、断られた理由がわからない幼いイセッタの涙でいっぱいになった瞳に負け、受け取ることにした。
それ以来、二人はその髪飾りを大切に身につけていた。
しかし、ランティアはある日突然、城から姿を消した。
そのとき、ダイモン卿がぽつりと漏らした言葉
「まさか、魔素が発生してるのか…?」
「魔素?」
はじめて聞く言葉に3人はとまどう。
ダイモン卿によれば、魔素は、魔物の発生や変化に関係しているのではないかと考えられている。人間にも悪影響があるようだが、詳しくはわかっていない。
原因不明の体調不良。そして、湖周辺に発生した魔素。
因果関係があると判断できそうだ。
そして、ランティアはイセッタの異常の原因が魔素によるものではないかと疑い、一人で湖へ向かったのだった。
だが、異常な魔素にさらされた結果、人間としての姿を失い、魔物へ変化してしまった。
城から突然姿を消した理由もこれだ。
それでも完全に理性を失うことはなく、イセッタのことを気にかけ続けていた。
夜中に城の窓辺へ現れていたのは、イセッタを心配し続けていたからだった。
そのときイセッタがつぶやいた。
「雨の夜は、鳴き声が少しだけやさしい気がする…」
■湖畔の戦い
ランティアはその献身的な性格から、イセッタのことを大切に思うあまり、結果的に魔物になってしまった。
事情は理解できたが、問題は解決するわけではない。
正式な武器や防具のない3人は、ダイモン卿の協力で城にあったものを借りることができた。
だが、サイズが合うものは少なかったし、猫の姿である俺は丸腰のままだ。
雨の夜を待ち、ランティアを説得すべく、あのボート小屋へ向かう。
ランティアは大粒の雨の中でほとんど動きを止めている。
雨で魔素の一部が流れ出しているのかもしれない。
だが、実際対峙してみると、対話ができる状態ではない。
「ど…どうする……?」
マイが不安そうにつぶやく。
ナムオは低い姿勢のまま動こうとしない。
猫であったときの本能で、強者に対する防御姿勢を取っているのだ。
しかし、逃げたい気持ちはあるものの、そうしないのは人間らしさの片鱗なのかもしれない。
マイに戦闘能力はない。
ならば、ファーストコンタクトは俺の役目か?
覚悟を決めようとしたその時より一瞬早く、震えていたはずのナムオが、突然盾を構えて飛び出した。
マジ???
仕方なくその後を追う俺。
突然の接近にランティアは対応できず、ナムオの突進の勢いのまま、もつれて転がる。
そのとき、あの髪飾りが外れ、湖の方に飛んでいく
ナムオが叫ぶ
「タクニャ!あれ!だいじ!」
思わず発動する「手も足も出ないときの能力」
髪飾りが湖に落ちる直前、ギリギリでなんとかキャッチすることができた。
髪飾りを見たランティアが、より一層激しく暴れだす。
その姿からは、ただ暴れているだけではない、何かを訴えているようだ。
「カ…カエシ…テ!」
タクニャは、キャッチしたままの手で髪飾りをランティアに差し出した。
ランティアの涙が、顔の周りの魔素を溶かす。同時にランティアを覆っている魔素の結晶がはがれ散った。
その中から現れたのは、人間のままのランティアだった。
あの髪飾りに込められた大切な記憶が、ランティアを人間側へ引き戻したのだろうか?
ランティアは力なくその場に倒れた。
■救済と残されたもの
ランティアを城にまで運び、マイがダイモン卿に経緯を説明する。
「どうかランティアさんを責めないでください。ずっとイセッタ様のことを気にしていたんだと思います」
ダイモン卿は目に涙を浮かべている
「……ランティア。そうだったのか」
娘のことを常に思い、いつも娘を献身的に支えてくれていた女性。
魔物化してしまったのは、娘を思ったゆえの結果でしかなかった。
その後、ランティアは城の専属医師による治療を受けることになった。
完全に理性を失う前だったこともあり、時間をかければ人間としての意識を取り戻せる可能性があるとのことだった。
また、湖の異常な魔素が取り除かれたことで、湖の濁りも消え、イセッタの症状も少しずつ改善していった。
久しぶりに顔を合わせたランティアとイセッタ。
ランティアはまだ弱々しい状態だったが、イセッタの姿を見ると安心したように微笑んだ。
二人は、もう一度同じ場所で言葉を交わすことができた。
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ランティアを救った翌日。
城の一室で、ナムオは窓の外を眺めていた。
今回の出来事は、ナムオにとって初めて「誰かのために行動した」経験だった。
人間として生き始めたばかりのナムオには、まだ分からないことが多い。
なぜ人は隠し事をするのか。
なぜ立場や名誉を気にするのか。
なぜ一人で苦しみを抱えるのか。
でも、今回分かったことがある。
人は見た目や、表面に出ている行動だけでは分からない。
事情や問題を抱え、ときには大切な人のために献身の心も見せる。
目の前の一人を助けることが、その人の周囲にいる別の誰かも救うことがある。
ナムオは静かに考える。
「……人間って、めんどくさいニャ」
隣で聞いていたマイは吹き出してしまう。
「またそれ言うの?」
「でも、めんどくさいのには理由があるんだニャ!」
3人にとって、異世界で初めての事件は終わった。
誰かを倒して終わるのではなく。
誰かを救うことで終わった最初の出来事だった。




