17.侵入
17.Intruders - Two Unforgettable Dates
鈴鹿冷凍センターの裏手へ車を進ませる。咲季は少し緊張した顔をしている。
ちょうど、山の斜面に当たる部分に、社屋の一部がめり込んでいる。懸造とか岩屋造とかいう建築様式なのだろうか。そう言えばこんな神社があったな。ふと余計なことを思い浮かべる。聖域を守るかのような、近寄りがたい雰囲気を感じたからだ。
目の前には大きなシャッターがある。
私は車を降りて、シャッターの右手にある電子ロックのキーパッドに数字を打ち込む。
19440416、自然と指先が動く。おなじみの金属を擦るような音を立てながらシャッターが上がり始めた。
「先生。どうしてパスコードが分かったんです?」咲季が言う。
「いや、体が覚えててさ」
「南田さん。そんなことってあるんですか?」咲季が珍しく南田に尋ねる。
「まあ、正面口で顔認証されたわけですからね。お二人がこの会社の関係者であることは間違いないわけです。過去に、何度もパスコードを打ち込んだのでしょう。しかも、小島さんは記憶が断片的に戻ってきている。不思議ではないですね」
「じゃあ、私も覚えているんでしょうか?」
咲季のこの問いに南田は答えない。
車は建物の中に入っていく。後ろからシャッターが閉じる金属音が聞こえる。中は大型トラックでも入れそうな巨大な通路になっている。すぐに左手に先ほどと同じようなシャッターが見えてくる。
私はふたたび車を降りて、キーパッドに19440805と打ち込む。程なくしてガラガラとシャッターが上がり始める。
「思い出そうとすると、たぶんダメなんですよ。頭じゃなくて体で覚えていることは、一度意識してしまうとダメなんです」南田が咲季に答える。もう一つ奥にシャッターがあることを予想して、あえてすぐには答えなかったらしい。
「南田くん。さらにこの先にパスコードが必要なシャッターや扉があったらどうするんだ?私はもう、頭で考えちゃったよ」
「え?だってこれ、トンネルの入口ですよね。まだ、扉があるんですか?」
「いや、覚えてないんだけどさ」
「侵入する側の精神的負荷を考えると、これ以上はないと思いますよ。2枚って案外、諦めるには適切な数なんですよ」
と、その時、右手の社屋の扉が開き、スーツ姿の屈強そうな男性が一人、右手を上げながら出てきた。
「ほら、こんなふうにすぐ人が出てきますし。うわっ。怖」
40代なかばくらいの、まるで格闘家のような風貌をした男性だ。車に近づいて来る。威圧感がある。私は、少し身構えながら会釈する。
男が口を開いた。
「エーカーエムに戻るのか?」
なんだ?咲希に声をかけている?しかもなんと言った?
「あれ?お父さん。どうしてここにいるの?」
なんだって?咲季は何を言っている?
屈強な男は、何かを見定めるかのように咲季を見つめ、次に私へ視線を向けた。私を探るような目つきだ。南田の方には見向きもしない。だが、南田も固まっている。
南田くん、このひとは君には興味ないらしいよ。
彼は、そのまま何かを悟ったらしく、車から離れると、また右手を上げて社屋の扉へ消えていった。
通過して良いということらしい。
「咲季ちゃん。あの人が君のお父さん?」
「変ですね。どうしてここにいるんでしょう。しかも、何か様子がおかしかったですね」
父親が予想外の場所から現れたことで、咲季は慌てているようだ。
「門番のような様子で出てきたけど、スーツを着てたね。実際には管理部門の人なのかな」
「物流事務の責任者をやってるって聞いたことはあります。なんで、ここに?」
「いても、不思議ではないと予想はしていたけどね。そもそも、ここってどこのことを言ってるの?」
「鈴鹿ですよ。……ちょっと、電話してみます」
「いやいや、いいよ。予想してたって言ったでしょ?落ち着こう」
「だって、変ですもん。別人みたいでした」
「どうも僕らの様子を確かめている雰囲気があったから、記憶の戻り具合を確かめたんじゃないの?」
「なんで、そんなことをするんでしょう?」
「お父さんだからじゃないの?」
「そうなんです。父なんですよ。鈴鹿へ単身赴任していると聞いていたんですけど」
「じゃあ、合ってるじゃない」
「あれ?変ですね」
どうも会話が噛み合わない。
「南田くん。どうかな?」
「え?はい。ちょっと怖いくらいにがっしりしたお父様でしたね」
「そんなこと、聞いてないよ。咲季ちゃんの状態について聞いてるんだよ」
「ああ、すみません。僕のニセの本職の見解でいいんですよね」
意見を求めると、必ず前提を持ち出してくる。南田くん、今は、面倒くさくならなくていいんだよ。
「それでいい」
「岸本さんは、小島さんほど心理ブロックが解けてないんだと思います。発言に矛盾が見られます」
いや、それは君じゃなくても分かるよ。しかし、精神医学の専門家としての意見だし、尊重することにしよう。
「咲季ちゃんさ。前に、君のご両親って東アジアの人にしか見えない典型的な日本人だって言ってなかった?」
「言いましたよ。何か違ってました?」
「う〜ん。違ってはないのかな……。しかし、なんというか日本人離れした体格というか、骨格と言うか、南田くんの言うとおり、少しというか、かなり怖かったね」
「え?怖くないです。いつも優しいですよ。日本人だって格闘技やってる人はゴツいですよね?」
「君のお父さんって格闘技をやってるの?鈴鹿冷凍センターの管理職なんじゃないの?」
「格闘技はやってないです。いけません?」
「いや、いけなくはないんだけどさ。ごめん。私の聞き方が悪かったよ。私の負けということで」
「先生。この話にも勝ち負けがあるんですか?」
「あのぉ、実はお二人は仲が悪いのでしょうか?」南田が遠慮がちに聞いてくる。
「南田さん。何を言ってるんです?先生。私たちって仲悪くないですよね?」咲季が普通の顔をして私に尋ねてくる。
「うん。仲は悪くないと思うよ」
「ははあ、なるほどですね」と、南田が納得したように頷く。
「先生といると、素が出ちゃうんですよ」
「では、じゃれているだけなんですね。なるほど、家族みたいな感じでしょうかね」と、さらに南田が納得したように頷く。
南田には分かったのだろう。咲季が私の前では警戒心が薄くなるということを。咲季は私といるときは妙に幼くなる。まるで昔から知っている仲であるかのように。
実際、私の若い頃の写真に写り込んだ幼女が咲季であったのならば、昔から知っている仲であるのは間違いない。ちょっと昔すぎるが……。
「じゃあ、行こうか」私は実りの少なそうな会話を切り上げつつ、南田に話しかける。
「小島さんの話では戦時中のトンネルなんですよね?老朽化してませんか?車で入っても大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと思うよ。照明もきちんと付いてるし、メンテナンスもしっかりやってる様子だね」
思った以上に、きれいなトンネルだ。現代のトンネルのように、壁面はコンクリートで固められておらず、岩盤が剥き出しだが、点検・メンテナンスはしっかりとやっているようで、見る限り崩れそうな箇所はなさそうだ。しかも左右に二人並んで歩けるほどの歩道まで整備されている。こちらは、近年造られたものらしく、新しいものに見える。
私はゆっくりと車を進める。後方からシャッターの閉まる音がする。これでもう引き返せない。
「出口が見えないですね。少し曲がってるんでしょうか?」南田が言う。
このトンネルを通って、どんな人達が行き来していたのだろう。私や咲季もこのトンネルを通っていたのだろうか。
私のそんな思考をよそに南田が続ける。
「あ、小島さん、左に分かれ道があります。上りですね。でも出口がすぐそこに見えますよ。あ、看板みたいなものがありますね」
「あるね。文字がかすんでるけど、コンクリートなんとかって書いてあるように見えるね。あとBetonwerkとも書いてある」
「ドイツ語でコンクリート工場ですね。戦時中のコンクリート工場で間違いないでしょう。ちょっと、見学したいのですが」
「まあ、南田くんにはついてきてもらってるからね。本当は、まっすぐに目的地に行きたいんだけど……、いいよ。行ってみる?」
私は、車を止めると歩いて行くように南田と咲季を促した。コンクリート工場へのトンネルには鉄格子があって車が入れないようになっていたからだ。鉄格子の右手には、人が通れる程度の別扉がある。これも鉄格子の扉だが、施錠はされていない。
咲季はトンネルに入ってからずっと黙ったままだったが、どんな様子だろうか?
「先生。ライトがつきません」
探検隊ヘルメットに装着したヘッドランプが点灯しないようだ。トンネルには照明もあるし、必要無いだろうと思いながらも、「咲季ちゃん。そのライトって電池式じゃないの?電池入れてる?」
「え?入れてないです」
「じゃあ、つかないんじゃない?」
「買ったばかりで故障ですか?不良品ですね」
こういった冗談とも取れる会話のズレは、咲季が動揺している時の特徴だ。
と、私は、これまでの経験からそのように好意的に解釈するようにしている。さすがに、これを素でやっているとしたら、御本人が故障しているとしか思えない。
しかし、先ほどまで父親のことを気にしていたはずなのに、この変わり身の早さは何なんだ?
「違うでしょ?ちょっと見せて」私は咲季のヘルメットを受け取り、ライトの電池ボックスを開けてみる。ああ、単3だな、このサイズならと思い、「少し待ってて」私は車に常備してある懐中電灯から、電池を抜き出すと、咲季のヘッドランプに付け替える。
「どう?スイッチを入れてみてよ」
「あ、つきました。どうです?」
「岸本さん。かっこいいです。美女探検家ですね」
南田が大げさに褒めている。どうにも、本心はともかく、表面的には緊張感の感じられない人たちだ。
そんなことは放っておいて、出口に向かう。川の流れの音がする。
蔓草のまとわりついた建物跡のようなものが見えてくる。滑り台のような設備だったり、タンクのような設備だったり、すべてを植物が包みこんでいる。
「コンクリート工場の廃墟ですね」南田が言う。
「ちょっと、私は川の音がする方に行ってみる」
「あ、先生。私も行きます」
「じゃあ、小島さん。僕はここで廃墟見学をしています。でも、早めに戻ってきてくださいね」
「分かった。それと南田くん。撮影はしないでくれ。良くないことが起きるかも知れないからさ」
「小島さん。なんですか、それ?怖いじゃないですか」
「隠されていたものは、そのままにしておこう。そういう意味だよ」
私と咲季は、道らしきものの名残を歩いて川の方へ行く。
「先生。やっぱり山歩きになりましたね」
「南田くんのおかげだね。良かったね」
「あ、なんだか上から目線じゃないですか?」
「そんなことないよ。ほら、川が見えてきた。北の川の上流なのかな」
「先生。川で何を確かめたいんですか?」
「水を飲みたくて」
「水筒持ってきてますよ。コーヒーですけど、冷たいのなら好きでしたよね?」
「いや、喉は渇いてないんだ」
「先生。それって水を飲む意味あるんですか?」
「淡水なのか海水なのか、ちょっと確かめてみたくなってさ」
「コンクリートって、海水でも出来るんですか?」
「お、するどい。海水でもコンクリートはできるよ。ただ、鉄筋が錆びやすくなるから、長く使う構造物には向かないんだよ。ひび割れが出たり、寿命が短くなったり……。日本のように淡水が手に入りやすければ、海水は使わないのが普通だね」
「なるほどですね」
「咲季ちゃんはさ、ズレているようで変にするどいところがあるよね。あと、不器用そうでいて、変に手際が良かったりとかさ。きっと、そういう訓練をしてたんだね?」
「不器用そうに見せる訓練ですか?ガールスカウトで?」いや違う。物事の核心を突くような思考力や事務仕事の訓練だよ。しかし、訂正はしないでおこう。南田並にめんどくさくなりそうだ。
「まあ、そういうことでいいかな。ほら、石が沢山あるから足元に気をつけて、すべらないようにね」
私は、水辺に近づくと、川の水を少しだけすくって味を確かめてみる。淡水だ。ちょっとだけ下流を見ると、砂利や砂の採取にも十分すぎるほどの量と広さがある。
「先生。鳥が鳴いています。のどかな場所ですね」
「そうだね。もう少しきれいに整地してくれたらバーベキューもできそうだね」
「いいですね。バーベキュー」
「じゃあ、東京に戻ったら行こうか。UFO観測もできるしね」
戦時中のこの場所は、どんな雰囲気だったのだろうかとふと考えてしまう。80年後の我々が、こんな平和な会話をしているなんて当時の人々は想像できただろうか?
咲季の顔を見てみる。
彼女の予測不能な行動の面白さや、容姿を見慣れたせいもあって、つい忘れていた。
改めて、美しい顔をしているなと気づく。こういう美しい女性が、穏やかな表情のまま過ごせる時代を、当時の人々は想像していただろうか。
いや、違うな。
当時の人々は、こういう時代の到来を願って作り上げてくれたのだ。私たちは彼らの努力の先に生まれた今に生かされているのだ……そう思う。
「先生。約束ですよ。あ、でも私、テント張るの苦手だったんです。ですからテント係は先生ですね」
「ん?大丈夫だよ。訓練したから。でも、テントはいらないでしょ?タープで十分」
あれ?訓練?どうしてそんな言葉が自然に出てきたんだ?
テント張るの苦手だった?これもレジャーではなくて、なんだか訓練に繋がりそうな言葉だ。
「小さな海は海抜0メートルだろうから、この川よりも位置的には低いんだろうな。もどろうか」
わざわざ、こんな場所にコンクリート工場を作るということは、『小さな海』は伝承どおり海水なのだろう。
「先生。南田さんってドイツ語も出来るんですね。Betonwerkってコンクリート工場だってすぐに分かったじゃないですか」
「ああ、南田くんや私が子供時代のお医者さんはカルテをドイツ語で書いてたんだよ。かっこよかったね。だから、彼が医者を志したときにドイツ語も勉強したんじゃないかな。もう普通に日本語でカルテを書く時代だったけど。彼はこだわりが強いから」
私と咲季は、コンクリート工場の廃墟を眺めている南田のいる場所へ戻る。こころなしかうっとりとした表情をしている。
「どうした?南田くん。変な虫にでも刺されたか?それとも、妙な野草を食べたとか?」
「小島さん。あれを見てくださいよ」南田が指差す廃墟の壁には、ハーケンクロイツと日の丸が並んで描かれていた。ほとんど痕跡と言っても良い程度だが、そうであったことははっきりと分かる。
「小島さんの架空戦記は架空じゃなかった。ここには、たしかにナチスドイツがいたんですね」




