18.エーリッヒ社長と未来を紡ぐ者たち
18.Erichs Weg und jene, die die Zukunft weben
1946年早春、鈴鹿冷却倉庫の地域支援室は、小部数の書籍『復興を超えた未来へ』を刊行した。小島エーリッヒ社長がドイツ語で著し、私が日本語へ翻訳したもので、社長の思想をより深く理解するために、戦時中から続けてきたBDMメンバーとの議論の要点を注釈として付した。
この本は、小島社長の提案によって、私との共著の扱いとなった。
女性でも手に取りやすくするため、著者に女性名があった方が良いという考えからだ。
といって、一般書店での販売はしていない。
私は小島社長のもとへ向かい、準備が整ったことを伝えた。
「お待たせしました、小島社長」
「そうだが、君は結婚したばかりで大丈夫なのか?」
「Matsudaのご両親は、女は家庭にいるべきだという考え方らしくて、あまりいい顔はされていませんね」
「穂高もいるのに、すまんな」
穂高は、今は私と松田の事実上の養子になっている。ただ、私も松田も鈴鹿冷却倉庫で働いているので、昼間は近隣のお寺の託児所に預けている。
小島社長が、お寺は敷地が広く建物もしっかりしていることに目をつけて、住職に「復興のために託児所を開いてみてはどうか」と持ちかけたらしい。託児所は社会福祉事業だから、多少の収入があっても税務上は公益性の高い事業として扱われる、そんな理屈を並べて、半ばそそのかすように説得したと聞いている。
その話をすると、小島社長はいつものように「私は正しいと思えることをしている」と、とぼけた顔をする。しかし、そのおかげで私たちは子育てをしながら働くことが出来ているのだ。
「謝る必要はありません。私たちはこの仕事をするために日本に来たのですから。いつのまにか、総統と小島社長が入れ替わってましたけれど」
地域支援室にはBDMメンバー9名が在籍し、BDMの制服がそのまま採用された。ただし、左袖の袖章にはハーケンクロイツではなく、赤に白で縁取られたこげ茶色の秋桜の意匠が施された。
袖章の配色と意匠は、9名全員で決めた。赤は日本での神域を示す色であると同時に、私たちBDMの誇りを示す色でもある。
白は白秋桜。それはゲルティを意味している。
こげ茶色はチョコレート秋桜。私には馴染みのない色だった。
「チョコレート秋桜は、野生では絶滅しかけていて、花言葉は、〝恋の終わり〟、〝恋の想い出〟。そんな意味があるらしいのよね」そう言いながら、袖章の中心にチョコレート秋桜を置きたいと提案したのはロッテだった。
彼女は、グレーテのご主人でもある岸本副社長の紹介で、三重の名家・竹内家の男性と、私とほぼ同じ時期に結婚し、今は竹内リーゼロッテとなっている。岸本副社長は、竹内家が戦前から政財界に太いパイプを持つ家柄だったこともあって、戦後の政治再建にも一定の役割を果たすのではないかと期待していたようだ。
「でも、それだと袖章には、ふさわしくないんじゃない?花言葉もあまり前向きじゃないし、花も終わりかけてるんでしょう?」私が答えると、「ところがね。もう一つ花言葉があるの」
「どんな?」
「〝移り変わらぬ気持ち〟」
「さっきの花言葉と矛盾してない?」
「この花は、人に守られて複製されて、ずっと同じ姿で生き延びてきたの。だから、終わらない時間も背負って生きているってわけなのよ」
ゲルティはロリアンにいた頃、気まぐれな子だって言われていたこともあった。そういった二面性も、今となってはなんだか切なくて懐かしい。
「まだ続きがあるの」ロッテが言う。「〝いつまでも共に〟って意味にも受け取れるでしょう?」
あ……。私は、これしか無いと思った。
つまり、白い縁取りだけでなく、この袖章そのものがゲルティの象徴なのだ。
だから私たち9名は、心の中ではゲルティも含めた10名で動いているという意識を常に持って働いていた。
地域支援室は、外国語勉強会や外国文化交流会といった、教養向上を名目にした小さなサロンを開いていた。グレーテの夫である岸本副社長の人脈を生かし、地元有力者の夫人層を対象に、多いときには週に一度の頻度で続けられた。これらの集まりにあえてドイツの名を冠さなかったのは、進駐軍の疑念を避けるためだ。そのため、ドイツだけでなく、フランスやドイツ色が薄いと見なされていたオーストリアの文化にも話題を広げた。
とはいえ、中心に据えたのは『復興を超えた未来へ』を教材とする勉強会であった。夫人たちが学んだことは、いずれ家庭の食卓で夫たちの耳にも入る。そんな流れまで計算に入れてのことだった。
夫人たちの夫の中には、県政や中央官庁に関わる人もいた。
家庭で交わされる何気ない会話が、やがて政策の空気にまで染み出していく、そう踏んでいた。
そして実際、この集まりは口コミで広がり、やがて東京方面からも声がかかるようになった。
小島社長の思想を一冊に凝縮した『復興を超えた未来へ』は、先見的で洗練された知的刺激として上流の女性たちに受け入れられ、彼女たちによると、誇らしげに夫へ語り聞かせているのだという。
また、この本が一般書店では手に入らず、手元にあること自体がひとつのステータスと受け取られるようになった点も、戦略として功を奏していた。
本の中で、小島社長の語る国家のかたちは、〝尊敬できる人々による民族主義の理想国家〟だった。
そして、その中心には、アメリカの軍事力を盾として用いるという、きわめて現実的な地政学的判断があった。ソ連の脅威を避け、国際秩序の中で生き残るための選択だ。
小島社長は、アーリア人優越思想や皇国史観のような血統主義を退けた。
そのうえで、排外的でない民族主義を基礎に据え、尊敬される行いの積み重ねによって育まれる文化的同質性こそが、国家を安定させると説いた。
国際秩序の維持は他国に委ね、自国は戦争を避け、復興と生活の再建に専念する。技術、福祉、地域の生活基盤づくり、そうした日々の営みを通じて信頼を積み上げる国の姿だ。
そして、この思想は教育として押しつけるのではなく、生活文化として継承されるべきものだと社長は書く。家族の形、地域とのつながり、ささやかな助け合い。そうした日常の中に浸透していく思想こそが大事なのだと説いたのだ。
こうして世代を超えて受け継がれ、国際社会から尊敬される成熟した民族国家が形づくられていく。それが、小島社長の狙いであった。
1951年、これらの思想浸透事業は一定の成果を挙げたと考え、サロンは廃止、以後は徐々に戦災孤児の支援や養子縁組への取り組みなどに活動の軸足を移していった。
1952年、『鈴鹿冷却倉庫』は『鈴鹿冷凍センター』へと名を変え、さらには『日本総合ロジスティクス株式会社』を親会社として、GHQ引き上げ後はゴルフ場経営にも乗り出した。そのうち、戦災孤児や戦争がもとで困窮している家庭の子どもたちが、無償で教育を受けられるよう、学校法人を持つという話も出てきた。
小島鈴鹿冷却倉庫社長は、日本総合ロジスティクスの社長となり、鈴鹿冷凍センターの社長には岸本元副社長が就任した。
私の地域支援室は日本総合ロジスティクスへ、現体制のまま移管され、潤沢な資金を元に、より地域貢献や企業広報に力を入れることになった。
このような動きは、単なる事業拡大や企業イメージの向上にとどまるものではなかった。 戦後、社会が新しい価値観と安心を求めていた時期に、鈴鹿冷凍センター、そして親会社となった日本総合ロジスティクスは、生活の基盤そのものを支える存在として徐々に位置づけられていった。
託児所、福祉事業、教育への関心、さらには余暇産業への参入といった一連の取り組みは、地域の人々にとって「企業」ではなく「共同体の一部」として受け止められ始めていた。
その結果、私たち地域支援室の活動も、単なる企業広報や慈善事業ではなく、地域、そして日本の未来を形づくるための文化的な働きかけとして認識されるようになった。小島社長の思想が、書籍やサロンを通じて穏やかに浸透していったのと同じように、企業の事業展開そのものが、社会の価値観や生活のあり方に影響を与えていった。
日本総合ロジスティクスの存在感は次第に重みを増していった。戦後の復興期において、安定した雇用と生活基盤を提供する企業は、それだけで社会の信頼を勝ち取れる。その上、託児所や福祉事業、教育への関心といった取り組みは、行政が手を回しきれない領域を補うものにもなる。
こうした変化は、企業の事業展開と地域支援室の活動が重なり合うことで、小島社長の指示のもと私たちが意図して作り出したものではあった。しかし、私達自身が抱え、母国となった日本が抱える戦争の傷を癒やすために尽力したいという気持ちがあったことも事実だ。
「小島社長。私たちを選んだ基準には、社長も携わっていたんでしょう?」
「まあね。外見上の基準は、あの時代の基準に従うしかなかった。ベルリンには完璧なアーリア人を送り込むと報告する必要があったからね」
「それだけではないですよね?」
「ハンネローア、いや松田花。君はお見通しだね。そう、もうひとつの基準があった。私だけの基準だ。それは、自らの良心を維持できる知性と自制心を兼ね備えた者。君はその点でとても優秀だったよ」
「ありがとうございます」
「だが、そのために君たちを、親元から離し、異国へ連れてくることになった。恨んでいるんじゃないのか?」
「どうして、恨むのですか?私は穂高の他、二人の子に恵まれ、素晴らしい仕事を与えられ、充実しています」
「穂高は松田姓にはしないのかな?」
「はい。学校へは松田姓で通っていますが、穂高が養子であり、戸籍をあわせていないことは本人には伝えていません。穂高は川野海軍中尉とゲルティの忘れ形見です。穂高が川野姓を守らないと、川野は無くなってしまいます」
「岡崎の川野中尉の実家は?」
「妹家族が別姓で住んでいるそうです。穂高がもう少し大人になった時、川野中尉とゲルティの物語を語り聞かせるつもりです。実り高く、気高く育ってほしいというゲルティの遺志を伝えます」
「松田花。その時、君は耐えられるかな?」
「そうですね……、辛いと思います。でも、穂高を取ってしまうとゲルティに叱られます。それに、川野中尉とゲルティのことを話しても、穂高が私の子であることには変わりありませんから」
「そうか。君は思った通り強いな」
「強くはありませんよ。社長」
「そうか?」
「川野中尉がB-29に体当たり攻撃をしたこと。ゲルティが『秋花』で出撃したこと。エンジンの轟音や震える空気。滑走路の感触。ゲルティの日本海軍の飛行服にハーケンクロイツの腕章。日本海軍式の敬礼。そしてMe 163『秋花』の真紅に白秋桜のマーク。すべてを鮮明に思い出せます。今でも夢を見ます。泣きながら目覚める朝もあります」
「そうか。悪かった。誰もが傷を背負いながら、残された者は彼らの分まで生きるしか無いんだな」
「そう思います」
「思えば、ゲルトルートが私の思想の最初の体現者だったのだな」
「日本人との同化という意味では、ですね。しかし、彼女の行動は、母親としての愛そのものです。戦火を生きる母親の覚悟が、彼女を動かしたのです」
「私は以前、日本人のように死を美化できない者は、どんな理由で死ぬことがふさわしいのかと、君に話したことがあったな」
「報復とおっしゃってましたね」
「私は、その過ちを認めるよ。報復ではなく愛情だ。しかし、死ぬことに理由を求めるような、そんな時代はもうこれっきりにしたいもんだな」
「そうですね。『秋花』なんて美しい名前を特攻機につけるような時代が二度とあってはいけません」
「そうだな。ゲルトルートが守ろうとした者たちのためにも……。これはゲルトルートに向けた約束だ」
「社長。ずっと気になっていたことがあるんです。日本での『思想拠点形成計画』の発案者って本当は誰だったんです?」
「総統じゃないの?」小島社長が瞬きを繰り返した。
「嘘ですね?社長が嘘をついている時の癖を私は知っていますから。社長の発案だったのですね?」
「ははは」
「小島社長が、そんなふうに笑うのを初めて見た気がします」
「松田花。私の瞬きのことを言ってるね?これはね。君の洞察力を試すための演技だよ」そう言いながら、また瞬きを繰り返した。
「それも、嘘ですね?」
「ははは。どうしても出てしまうんだよ。見抜いたのは君だけのようだけどね」
「それも、どうだか……。本当に、社長はいつまでも読みきれない方です。しかし、演技でも癖でも、嘘を嘘だと分からせてくれるのは、良いことです。やはり、社長の発案でしたか」
「いやいや、当時は、たかが中佐だよ。ベルリンがそんな者の提案を受け入れると思うかい?」
「社長なら、そのくらいのことは朝飯前なのでは?」
「松田花、君は怖いね。……私はね。そのために大勢の命を犠牲にしてしまった。そこのところは汲み取ってもらえないかな……」
「すみません。しかし、社長が悪魔の役割を引き受けてくれたおかげで、私たちの今があります」
「ずいぶん、読み違いもあったよ。結局、たった10人の少女たちに無理をさせてしまった。間抜けな悪魔だ」
「ところで、社長のお子さんは、お二人でしたね?」
「うん。そうだよ。これが可愛いいんだ」
「人たらしの小島社長も、子供にはかなわないということですね」
「私は人たらしではないよ。正義のために生きようとしているだけだ。その時代にあわせたやり方を採らざるを得ないときもあったけどね」
「さきほど、ご自身を間抜けな悪魔とおっしゃいましたが、未来を形づくるための働きに、社長とご一緒できたことは、私にとって何よりの誇りです。それも、押し付けられたものではなく、私たち自身の選択によって行ったことです」
「そうか?そう言ってもらえると、なにか報われた気持ちになるな」
「おや、いつも自信満々の社長らしくないですね。では、社長の一番大きな読み違いを指摘しておきます。社長が探していたのは死ぬことの理由ではなく、生きることの理由だったのですよ」
「……ん?」
「そうは思いませんか?」
「そう思いたいものだな。松田花」
「社長。子供たちの未来はもっと良いものになります。きっとです」




