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13.鈴鹿冷凍センターと隠されたトンネル

13.The Tunnel Linking the Suzuka Refrigeration Center to a Hidden Past


「いや、たしかに言ったよ。山歩きになるかもしれないって」

「言いましたよね?ですから、それにふさわしい格好にしたんです」

 三重の伝承保存会を訪れた翌朝、ホテルの隣室から出てきた咲季は探検隊の一員にしか見えなかった。

「ラフで動きやすい服装でって意味だったんだけどね」

「ラフな服装をしています。動きやすいです」

「う〜ん。服はまだ分かるんだよ。まあ、機能的でいいかなって思うよ。トレッキングシューズも悪くない。でもさ、そのヘルメットにヘッドランプって何の意味があるの?」

「先生の服装よりマシです。どうしてスーツなんですか?しかも、後ろから見たらマントみたいに見える丈の長いジャケットじゃないですか?初めて会った日もそのスーツでしたよね。ドラキュラ伯爵みたいですよ。だいたい暑くないんですか?」

 昨日、私の実家だと記憶していた場所に行ってから、山歩きにはならないだろうと思ったのだが、咲季には、支障なしと思い伝えていなかった。まさか、探検隊になってくれるとは思わなかったし。

「まくしたててくるね。じゃあ、私が悪かったということで、負けでいいよ」

「先生、この話って勝ち負けがあったんですか?」

「なんだか、負けたことにしておかないと終わりが無くなりそうだからね」

「でも、二人並んで歩いていると、ハロウィンの仮装みたいに見えちゃいますね」

「まあ、いいんじゃない。咲季ちゃんは似合ってるよ」

 と、一応おだてておく。機嫌が悪いままだとあとが困る。

「で、今日はどういう段取りで行くんですか?」

「私の実家に行く」

「え?昨日行ったんじゃないんですか?それに山歩き関係無いじゃないですか」

「その前に、一人待ち合わせしているやつがいる」

 車で鈴鹿駅へ向かう。すでにやつは到着していた。南田だ。一昨日、咲季とすき焼きを食べている間に電話で呼んでおいたのだ。

「誰ですか?あの人」

「ほら、ちょっと前にファミレスで咲季ちゃんの子供時代の写真を見せてたやつ。南田くんっていうんだ」

「ああ、そう言えばあんな感じの人でしたね。見るからにオタクです」

「それ、南田くんに言うと喜ぶと思うよ」

「え?悪口ですよ」

「そうでも、喜んじゃうんだよ。彼、第二次世界大戦の兵器オタクを自ら名乗ってるくらいだから」

 車を南田の横につけ、後部座席に座らせる。

「小島さん、いきなり呼び出されても困りますよ。僕だって本職があるんですから。今日は休みですけど」

「つまり、暇だったから謝る必要はないってことかな。いずれにしても心の本職は第二次世界大戦兵器オタクだろう?」

「そうですけどね。4時間近くかけて来たんですから面白い話があるんですよね?」

「ある。ただ、その前に少し背景を確認しておきたい。そのあたりのカラオケボックスでいいかな」

「え?私は歌えませんよ」咲季が言う。

「違う違う。カラオケボックスは防音だから内緒話には最適なんだよ」

「あ、どうも。この間の写真の成長した人ですよね。今日は探検にでも行くんですか?」また、南田が妙な言い回しで言ってはいけないことを言う。

「はい。そうです。岸本です」

 こころなしか咲季がツンとした態度で返事をする。

「まあ、挨拶は、あとにしよう」

 私は、近隣のカラオケボックスに車を止め、さっさと部屋を予約する。

 部屋に入って、咲季と南田が席に座ったところを見計らって、改めて二人を紹介した。

「彼は南田陽一くん。UAPSの情報アドバイザー。そして、彼女は岸本咲季。UAPSの秘書だ」

 咲季が名刺を出すと、南田も慣れた手つきで名刺を差し出す。咲季がどんな反応をするか楽しみだ。

「え?南田さんってお医者さんなんですか?しかも医学博士って書いてますよ」

「そう、彼は精神科医で催眠療法士でもある。つまりニセの本職がそれなんだ」

「ニセの本職と言われると抵抗がありますが、第二次世界大戦オタクをやっていると同時に、そういった仕事もしています。まだまだ経験不足ですけど」

「咲季ちゃん。南田くんは、かなりのクセ者なんだよ。オタクとニセの本職がミックスされたおかげで、見透かしたようだったり、一見横道にそれるような話し方で、人の情報を得ようとする。気をつけるんだよ」

「え?それ、なんか嫌です」咲季が私の方へ近づいてくる、というよりも南田から離れようとする。

「小島さん。変なことを言わないでくださいよ。事実ですけど」

「じゃあ、ここも謝るところじゃないんだな」

「まあ、そういう癖はありますが、岸本さんには極力控えますよ」と顔を赤らめながら言う。気持ちわるいやつだ。

「一応、南田くんをUAPSに引き込んだ最初の理由を説明しておくと、UFO事件には、いわゆるアブダクション、わかりやすく言えば、エイリアンから誘拐されたと主張するケースがある」

「頭でっかちのエイリアンに、体を切ったり貼ったりされるやつですか?子供の頃、テレビで見ました」咲季が言う。

 こういったおどろおどろしい部分だけを強調したテレビ番組のお陰で、UFOはすっかり宇宙怪談になってしまったわけだ。だが、これもUFO現象の一部ではある。

「アブダクションの報告者は、自分の記憶に疑いを抱くことが多い。欠落した時間、辻褄の合わない場面、妙に美しく感じられる出来事……。何かが頭の奥に隠されているんじゃないか、という不安に悩まされるわけだ。そういう報告者が本来の記憶を取り戻すには、経験上、催眠療法が有効とされているんだよ」

「まあ、小島さんの依頼でヒプノセラピーを行ったことは一度しかありませんけど」南田が言う。

「日本には、ほとんどアブダクションケースがないからね」

「先生。ヒプノセラピーってなんですか?」咲季が恐る恐るといった様子で聞いてくる。

「ああ、さっき言った催眠療法のことだよ。俗な言葉で言うと催眠術で心のケアをするという感じかな。合ってるよね南田くん?」

「催眠術という言葉は、メディアショー的なイメージがあるので避けて欲しいのですが、催眠やヒプノシスという表現に比べると、まだまだ一般的には浸透しています。天文学と占星術ほどの違いはありませんから、まあ、合っているとは言えますかね」

 本当に南田は面倒くさい。しかし、UFO研究にはこういった回りくどいほどの厳密さが欠かせないのも事実だ。それが、南田をアドバイザーとして確保している理由の一つでもある。

「ひょっとして、私にそのヒポポタマスだか、ヒポクラテスだかをやろうとしてます?私は嫌ですよ」

「いやいや、そんなつもりはないよ。咲季ちゃんの改ざん前の記憶は別の場所で取り戻すから」それにしても、どういう言い間違いだよ。わざとか?「南田くんを呼んだのはね。鈴鹿冷凍センターに一緒に行ってもらうためだよ。大丈夫。おそらく危険はない」

「小島さん。なんですか?その鈴鹿冷凍センターって?」

 南田が言うと同時に咲季も「先生。実家に行くんじゃないんですか?」と驚いた様子で聞いてきた。

「咲季ちゃん。私の実家は鈴鹿冷凍センターだったんだよ」

 咲季は「ん?」と首を傾げたきり思考を止めている様子だ。

「それと南田くん。ナチスドイツの日本拠点、鈴鹿で間違いなさそうだ」

「はい?架空戦記の続きですか?」

「いや、架空じゃない。そして、ここにいる岸本咲季と私もどうやらそこに関係しているらしい」

「え?」咲季が意外なことを聞いたという顔をしている。私まで出てきたのだから、何がどうつながっているのか理解できないのだろう。まだ当然だ。

「詳しいことは、後で話すよ」咲希にはそう言って、再び南田に話を続ける。

「問題は民間会社に見える冷凍センターが、そんな国際的な隠蔽が可能だったかどうかということだ。しかも戦後すぐに」

「小島さんは、どこまで思い出しているんですか?」

「え?」また、咲季が意外なことを聞いたという顔で私を見る。

「南田くん。その話もあとにしよう。鈴鹿冷凍センターへ行く前に、問題を片付けておきたい。質問は2つだ。ひとつは戦後のそういった施設の需要。もうひとつは第二次世界大戦中の航空機エンジン技術者や、ロケット戦闘機の燃料取扱員たちの冷凍設備製作との相性だ」

「なるほど、小島さんにしては僕に優しい質問ですね。やや専門外ですけど架空戦記とは違って事実だけを言えば良いんですね?」

「それでいい」

「冷凍センターって冷蔵品も扱いますよね。原理も同じですから冷凍・冷蔵は区別せずに考えましょう。戦後に冷凍センター、つまり冷凍・冷蔵倉庫業ですね。これを始めるという発想は、実は非常に先見的です。戦後の日本は、冷蔵や冷凍の設備がほとんどなかったところから一気に近代化が進んでいった時期です。その過程で巨大な需要が生まれたんですよ」

「巨大な需要というと?」

「まさに戦後復興の要ですよ。アメリカからの大量の援助物資や輸入食料の保管、水産業の復活による冷凍魚の保管、都市部の食品流通、医薬品の温度管理、工業原料の温度管理などなどです。つまり、冷蔵倉庫は戦後の日本にとって、 食べることや治すこと、作ることを支える基盤インフラ だったわけです。復興どころか、これで、日本は世界の表舞台に、あっという間に舞い戻ったと言ってもいい」

「アメリカからの援助物資って……。アメリカは日本を徹底的に破壊したはずなのに矛盾していませんか?」咲季が疑問を口にする。こういった案外大事なところを浮き彫りにする能力は優れているなと思う。

「アメリカの利益になるからですよ。日本の軍事的脅威を叩き潰したうえで、今度はアジアの安定要因として豊かで安定した国に育てる。そうすれば反共の経済パートナーにもなる。地政学的にも、共産圏に対する防波堤として日本を立て直しておけば、アメリカにとって極めて都合がいい。逆に日本が崩れれば、共産圏が一気に太平洋へ出てくる。アメリカは、それだけは避けたかったんです」

「ふうん。なんだか難しいんですね」

 言葉が難しすぎて、咲季の理解が追いつかなかったらしい。

 そんな咲季の様子にはお構い無しに、南田が続ける。

「いえ、非常に単純です。ただし、今考えればですが……」

「もう一つの質問は、どうかな?私は相性が良かったと考えている。南田くんはどう考える?」

「小島さんは、実にするどいところを突いてきますね。航空機エンジンの技術者とロケット燃料取扱員の組み合わせは、戦後の冷蔵・冷凍分野にとって、ほぼ理想的な人材セットなんですよ」

「やはりね」

「どうせ、分かってて聞いてるんですよね?まあ、いいです。理由はシンプルで、冷凍機の核心部分と、彼らの専門性がかなり重なるからです。航空エンジンの技術者は、冷凍機の心臓部であるコンプレッサーと完全に相性が良いです。一方で、ロケット燃料取扱員は、冷媒、つまり冷やすためのガスとか液体ですね。そういったものに対する取扱いには慣れていました。戦後すぐの冷媒は毒性や爆発性があって、扱うのはかなり危険だったらしいんです。でも、ロケット燃料取扱員は、こういった危険物の安全管理には慣れていましたから、非常に向いていたと言えますね」

「冷凍分野独特の壁は、なかったのかな?」

「そりゃ、新たに学んだり、専門家を呼んだりすることはあったでしょうね。でも、実際に航空エンジン技術者が戦後の冷凍機メーカーに移ったケースは複数あります」

「じゃあさ。戦後、どこよりも早く冷凍設備の準備ができれば、自社事業や他社への技術協力に対するロイヤリティなんかで莫大な利益が見込めたってことだね」

「そうでしょうね。ですからそれも含めて先見的といったのです」

「でも、大規模な設備投資を戦後すぐにやるには、外の安定が必要だよね。そこでアメリカに守ってもらう必要が出てくる。特に、ソ連に対する軍事的な抑止力が必須になる。そこで、言い方は悪いが外部防衛装置としてアメリカを利用したんじゃないかな?アメリカも自国の利益のためには、自然とそうせざるを得ない。冷蔵・冷凍産業の発展と妙に同期していないか?」

「まさか。だいぶ話が飛躍しましたね」

「いや、飛躍なんてしてないよ。ナチスドイツ日本拠点の中に、アメリカの援助や軍事力を利用しようと、戦時中から計画していた者がいた。そうして民間企業の顔をしながら、どこよりも早く冷蔵・冷凍事業に手を付け巨大な利益を得た。そうすれば、戦後すぐの国際的隠蔽が可能。こういった推論が成り立つじゃないか」

「あ、架空戦記というか歴史IFになってきましたね」

「今のところはそうかもしれないが、どう思う?」

「小島さんの考えは面白いですけど、まあ、空想ですね。理屈としてはできそうでも、人間には感情がありますからね。難しいでしょう」

「どうしてさ?」

「いくらナチスドイツだって日本にいるわけでしょう?ドイツは日本より3か月早く敗戦していますけど、日本はまだ戦争継続中で帰る手段もない。祖国ドイツは分割統治されていて、帰ってもどんな立場になるのか見通しが立たない。だったら、日本に永住することを覚悟する」

「まあ、それはあっただろうね。それで?」

「しかも、敗戦直後から戦後にかけて、日本の軍部関係者も隠し通すしかなかったでしょう。ナチスドイツの拠点を隠し持っていたなんてことになったら、面倒くさい国際問題に発展しかねないです。ソ連ももっとアメリカに干渉してくるでしょうし。そんなこんなで、内も外も固められて、日本が完全に彼らの母国になっちゃうわけです」

「南田くん。それが、どうして私の考えの反証になるわけ?」

「あくまで空想ですよ」

「それは分かってるって」

「本当ですか?まあ、いいです。日本が彼らの母国なんですよ。そうなれば多少の愛着もわくでしょう?そういうふうに考えると、戦中から『敵国』アメリカによって壊滅していく『母国』日本の姿を横目で見ながら、冷静かつ冷徹に戦後の秩序や利益構造を予測して下準備にいそしむなんてできると思います?そんなことができるとしたら、悪魔ですよ」

「そうか、悪魔ね」

「ちょっと、極端な言葉でしたが、言い方を変えると戦争の趨勢から戦後処理や復興政策まで見通せるほどの超天才です。つまり、今の日本を創ったのは、そのナチスドイツの超天才だったってことになっちゃいますよ。となると、ナチスドイツ思想とは異なる世界を、日本で創ろうとした理由がさっぱり分かりません」

「計画変更があったとか、そもそもナチスドイツの中にだって異端分子はいただろう?」

「そりゃいたでしょう。しかし、そんな異端分子が日本に来るような重要任務につけるはずがないです。仮に来れたとして、今度はそんな超天才、あるいは超天才に率いられた組織が戦後日本の政治に関与しなかったわけがないと思えてきてしまう。でも、影も形も見えない」

「ふぅん」

「あれ?この話は行き止まりなんですよ?なにか含みのある表情をしていますね?」

「いや、見えないと言った影や形をこれから君に見せたいんだよ、南田くん。しかも、大日本帝国とナチスドイツ共同制作の航空機がまだ残っているかもしれないよ。彼らは武装解除しなかっただろうからね」

「えっ!本当ですか?そんな確信があるってことは……やはり?」

「南田くん。その話は後でって言ったよね。君には心の本業で非常に助けてもらっているけど、ここからはニセの本業でも力を借りるかもしれない」

 ふと、横を見ると咲季が私の肩に寄りかかって寝息を立てている。よほど退屈な話だったらしい。そりゃそうだ。でも、君にも関係ある話だったんだぞ

「いやあ、岸本さんは寝顔も美しいですね。小島さんは岸本さんの幼少期から目をつけていたわけですか?まさか、小島教信者にしたり、筋金入りのUFO研究者に育て上げたんじゃないでしょうね」

「南田くん。君のそういうところ、やや気持ち悪い」

「はい?なぜでしょう?」

「だいたい、小島教ってなんだ?」

「小島さんってとぼけたふりをして、人を操るのが得意じゃないですか」

「南田くん。君失礼だね」

「あれ?そこ謝るところでした?まあ、僕は岸本さんの寝顔を見て褒めただけですから」

「見るのと想像するの禁止」

 咲季を起こし、車で鈴鹿冷凍センター本社へ向かう。今日は日曜日だから勤務している社員数は少ないはずだ。まあ、多くても少なくてもおそらく支障はないだろうが。

「あれが、鈴鹿冷凍センターの本社施設だよ。ついこの間までは私の実家がある場所だと思っていたんだけどね」

「すごく大きな敷地ですね。こんな企業がネットで調べても出てこないなんて……」咲季が呟く。その理由も遠からず分かるんじゃないかな。私は心で呟く。

「ここ、勝手には入れませんよね」南田が心配そうに言う。

「たぶん、大丈夫だと思うよ」私はそう言いながら入口ゲート前まで行く。正面にはカメラがあって、横には守衛室がある。

 外部の警備会社から派遣されたらしい守衛が出てきて、私に声をかけてくる。

「後部座席の方はお客様でしょうか?」

「そう」

「では、来客者名簿にご記入いただいてよろしいですか」

「分かった」

 そう言いながら、車を降り守衛室前に置かれた来客者名簿に、南田の名前、職業、年齢と、最後に責任者として私の名前を書き込む。

「はい。結構です」そう言うと、南田用の来館者カードを南田に手渡しながら、守衛がゲートを開ける。私は車を奥へと進める。

「小島さんと岸本さんってこの会社の関係者だったんですか?」南田が言う。

「そう思うよね」

「それはそうですよ。顔認証で小島さんと岸本さんのことは識別できたから何も言われなかったんですよね」

「そうだね。咲季ちゃん、どう?なにか思い出せた?」

「いえ、何も。私も南田さんと同じように思いました。どうして私は認証されたのでしょう?」

「南田くん。簡潔に私のことを咲季ちゃんに説明してもらってもいいかな?」

「え?先生って何か正体を隠してたんですか?」

「うん。そうらしいんだよね。それを思い出し始めたのは、私の若い頃の写真を、咲季ちゃんと見ていたときからなんだけどね」 

 広大な敷地の奥に、横幅のある4階建ての頑丈そうな建物が見えてきた。突き当りは山の斜面になっていて、その建物がまるで斜面に食い込んでいるかのように建てられている。

「小島さんの依頼でヒプノセラピーを行ったのは1回だけです。セラピストは僕、催眠療法を受ける側をクライエントと言いますが、それは小島さん自身でしたね」

「先生がUFOに誘拐されて、そのヒポ……なんでしたっけ?カバみたいな名前のやつ、それを受けたんですか?」

「いえ、小島さんには記憶の混乱があったんですよ。断片だけがフラッシュバックのように浮かんでくるとか、時系列があやふやな感じとかですね。それに困っていて私のクリニックに来られたというのが理由です」

「あれ?私の状況と似てますね」

「岸本さんもそうなんですね。小島さんの場合、これは、誰かからヒプノセラピーで『特定の記憶』に心理ブロックをかけられている状態だと私は判断しました」

「心理ブロック?」

「簡単に言うと、『特定の記憶』を思い出せないようにすることです。これを心理ブロックと言うんですね。ただし、さっき言ったようにフラッシュバック的に記憶の断片が出てくることや、ブロックされたことを思い出そうとすると頭が痛くなったり、不安になったりする症状が現れたりします。心理ブロックをかけられた本人は、記憶の欠落部分に無意識に脳内で別の記憶を創り出して埋め合わせちゃったりもするんですよ」

「偽物の記憶が、ホンモノの顔をして隙間に収まっちゃうってことですか?」

「そういうことです。でも、辻褄が合わない部分が出てきて混乱し、精神的に不安定になるという事が起こります」

「それで、先生の心理ブロックを外してあげたんですか?」

「心理ブロックを外すのは意外と難しいんです。外すための鍵が隠されていたりします」

「鍵ってなんです?」

「たとえば、ある曲を聞いたら心理ブロックが外れるような暗示をかけておくことです。ただ、小島さんは心理ブロックを外さないでくれと言ってきましたから……」

「先生。なんでですか?」咲季が私に聞いてきた。

「いや、そのほうが幸せになれる気がしたんだよね。なぜだかさ」

「それで、小島さんは心理ブロックを外すのではなく、その時点の混乱を混乱と考えないような、もう一つ上位の心理ブロックをかけてくれと言ってきたわけですよ。つまり二重の心理ブロックですね」

「そう。南田くんにかけてもらった心理ブロックを外す鍵を、咲季ちゃんと見たアルバムに自分自身で隠してあったんだよ。私の高校生時代の写真の下に、もう一枚写真が隠されてあったんだ。それが鍵だった。それで南田くんの心理ブロックが外れた」

「ああ、小島さん、やっぱり上位心理ブロックが外れてたんですね。じゃあ、今は僕がヒプノセラピーをやった前の状態だ」

「まあ、そうかな。ただ、あの頃より色々と断片的な記憶が浮き上がってきている。そんな状況だ」

「じゃあ、先生。私もその心理ブロックを、先生と同じ場所でかけられているということですか?」

「そうだね。そう思うよ。咲季ちゃんが今何を思い出して、何を思い出せていないのか、どんな偽記憶を咲季ちゃんの内部で作り上げているのか、常に気になってたんだよ。いずれにしても、これから行く場所で外してもらえるんじゃないかな」

「それって怖くないですか?自分の記憶にアクセス出来ないように、他人からコントロールされてるってことですよね?」

「まあ、そうなるのかな。でも、それを選んだのは咲季ちゃん自身だと思うよ」

「小島さん。そんな場所に僕を連れて行っても良いんですか?ナチスドイツの遺物には興味ありますけど、これまでの話を総合すると大事に守って隠してきた場所なんですよね」

「連れて行く意味があるからだよ」

 車はとっくに斜面に食い込んだ建物脇の駐車場に停めていた。

「じゃあ、行こうか。この建物の奥に、小さな海へと続くトンネルがあるはずだ」

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