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HEAVEN  作者: 二千年の亡霊
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同じ場所

故郷に戻ってきたのは十数年ぶりだった。

駅前は昔と少しだけ変わっていた。

昔あった駄菓子屋はなくなっていてその隣には知らない店ができている。

道路も綺麗になっていた。

けれど、蝉の声だけは変わっていなかった。


俺は荷物を置いたあと一人で町を歩いた。

目的地は決まっていた。

あの丘。

陽菜と何度も行った場所

最後の夏に二人で約束をした場所


坂道を上る。

昔よりもずっと短く感じた。

あの頃はこの坂を歩くだけで息が切れていた。

今は何でもない。それが少し寂しかった。


丘の上には、古いベンチが残っていた。

塗装は剥げていたけれど形は昔のままだった。


「……まだあるんだな」


 誰に言うでもなく呟く。

 ベンチに座る。

 目の前に広がる町も、昔と同じように見えた。


 夕方の光が建物を照らしている。

 俺は空を見上げた。


 陽菜のことを思い出す。

 笑っている顔、長い髪、夏祭りの浴衣、繋いだ手


 そして――


 絶対、来てね。


「……来たよ」


 俺は小さく呟いた。

 もちろん返事はない。


 風だけが吹いた。


 そのときだった。


「そこ、座っていいですか?」


 声がして振り向く。


 一人の若い女性が立っていた。


 20代半ばくらいだろうか。

 白いシャツに薄い色のスカート。

 肩から鞄を下げている。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 女性は俺の隣ではなく少し離れた場所に腰を下ろした。


 そして空を見上げた。


「ここ、綺麗ですよね」


「ああ」


「私、この場所好きなんです」


「そうなんだ」


「はい」


 会話はそれだけだった。

 俺は立ち上がろうとした。


 そのとき。


 女性の髪が風に揺れた。

 長い髪だった。

 背中まで伸びた、黒い髪。


 俺の手が無意識に止まった。


「……どうかしました?」


「いや」


 俺は首を振った。

 似ている、そう思った。


 でもそんなはずはない。


 顔も違う。声も違う。年齢だって。


 何より――


 陽菜はもういない。


「暑いですね」


 女性が言った。


「ああ。夏だからな」


「ふふ」


 少女は笑った。


 その笑い方に胸の奥がざわついた。

 目を細める、少しだけ首を傾ける。

 昔の陽菜と同じだった。


 偶然だ。


 そう思った。


「ここ、昔からあるんですか?」


「……昔からだよ」


「そうなんだ」


「俺も昔、よく来てた」


「誰と?」


 その質問に俺は少し黙った。


「……友達と」


「女の子?」


「なんで分かるんだよ」


「なんとなく」


 女性は笑った。


「その人、今は?」


 俺は空を見上げた。


「もう、いないよ」


 女性は何も言わなかった。

 ただ、少しだけ悲しそうな顔をした。

 その顔を見て俺は息を止めた。


「……そんな顔するなよ」


 気づけば口にしていた。

 女性が目を丸くする。


「え?」


「いや……」


 俺は頭を振った。


「ごめん。昔の癖だ」


 女性は不思議そうに俺を見る。


「変な人」


「よく言われる」


「ふふ」


 また笑った。

 風が吹く。長い髪が揺れる。


 その瞬間。


「……あ」


 女性が髪を耳にかけた。

 ほんの小さな仕草だった。


 でも俺は知っていた。


 陽菜もよくそうしていた。

 何度も見た、何百回も。

 俺の中に残っている。


 忘れたことなんて一度もなかった。


「どうしたんですか?」


「……いや」


 俺は立ち上がった。


「もう帰る」


「そうですか」


 女性は立ち上がらなかった。


 俺は丘を下りようとした。


 数歩歩いたところで、背中から声がした。


「ねえ」


 振り返る。


 女性がこちらを見ていた。


「またここに来ますか?」


 俺は答えられなかった。

 なぜか、胸が苦しくなった。


 あの日も。陽菜と最後にここへ来た日も

 俺は同じ場所で、同じ空を見上げていた。


 そして今、同じ場所で、同じ夏の風の中に

 陽菜ではない女性がいる。


「……分からない」


 それだけ答えた。

 女性は少し笑った。


「じゃあ、また会えるかもしれませんね」

 俺は何も言わなかった、言えなかった。


 坂道を下りる。

 背中に夏の光を感じながら。


 しばらく歩いてから俺は振り返った。

 丘の上に女性が立っている。

 長い髪が風に揺れていた。

 その姿が夕日に溶けていく。

 俺は目を細めた。


 そしてほんの一瞬だけ、

 そこに陽菜が立っているように見えた。


 けれど。


 次に瞬きをしたときには、もう知らない女性に戻っていた。

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