このまま二人で
その日は朝から蝉が鳴いていた。
電話が鳴ったのは昼を少し過ぎた頃だった。
「悠真?」
「陽菜?」
「今日さ」
少しだけ、息を整えるような間があった。
「夏祭り、行かない?」
「……行けるの?」
「ちょっとだけなら、いいって」
「本当に?」
「うん…」
俺は思わず笑った。
「じゃあ行こう!」
「やった!」
電話の向こうで、陽菜も笑っていた。
夕方
陽菜は浴衣を着て家の前に立っていた。
「どう?」
「……似合ってる」
「それだけ?」
「何て言えばいいんだよ」
「かわいいとか」
「自分で言わせるなよ」
「じゃあ言って」
「……かわいい」
「よし!」
陽菜は満足そうに笑った。
髪はいつものように長かった。
浴衣の帯のあたりまで伸びた髪が、夕暮れの風に揺れている。
「行こっか」
「ああ」
俺は陽菜の歩幅に合わせて歩いた。
昔なら俺が先に歩いて、陽菜が追いかけてきた。
今は違う。
俺が少し後ろを歩く。
陽菜が転ばないように、支えれるように。
疲れたらすぐに休めるように。
駅前の通りにはたくさんの人がいた。
屋台、提灯、焼きそばの匂い。
子どもたちの笑い声、太鼓の音。
どこを見ても夏だった。
「すごいね!」
陽菜が言った。
「何が?」
「全部」
陽菜は人の流れを眺めていた。
「こういうの久しぶりだから」
「じゃあ、今日はいっぱい見るか」
「うん!」
「何食べたい?」
「りんご飴!」
「子どもかよ」
「いいじゃん!」
「じゃあ買ってくる」
「一緒に行く!」
「疲れるだろ」
「大丈夫!」
「……分かった」
俺たちは並んで屋台へ向かった。
りんご飴を買って、たこ焼きを食べて。
金魚すくいを眺めて、くだらないことで笑った。
陽菜が笑うたび、俺は嬉しかった。
それと同時に胸の奥に小さな痛みがあった。
この時間を覚えておかなきゃいけない。
そんな気がしていた。
祭りの終わりが近づく頃、陽菜が空を見上げた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「ちょっと歩かない?」
「どこまで?」
「丘」
俺は少し驚いた。
「大丈夫?」
「今日は大丈夫」
「無理するなよ」
「してないよー!」
陽菜は笑った。
祭りの明かりから離れると、道は急に静かになった。
昼間に熱を溜め込んだアスファルトが、まだ足元から熱を返している。
蝉の声はもう聞こえない。
代わりに、遠くで祭りの音だけが響いていた。
しばらく歩くと丘に着いた。
町の明かりが下に広がっている。
空には星がいくつか見えていた。
「綺麗」
「ああ」
「今日、来られてよかった」
「俺も」
陽菜がベンチに座る。
俺も隣に座った。
しばらく二人で黙っていた。
「悠真」
「ん?」
「私ね」
「うん」
「このまま、時間が止まればいいのにって思ってる」
「……俺も」
陽菜は少し笑った。
「じゃあさ」
「うん」
「このまま二人で天国まで行けたらいいのにね」
俺は陽菜を見る。
その言葉の意味を、深く考えたくなかった。
「……じゃあ」
俺は笑った。
「俺が連れてってやるよ」
「ほんと?」
「ああ」
「約束?」
「約束」
陽菜が小指を差し出した。
俺も小指を絡める。
「絶対だからね」
「絶対」
陽菜が俺の肩に頭を預けた。
長い髪が俺の腕に触れる。
夜風が吹いた。
その髪が揺れて頬に触れた。
「くすぐったい」
「ごめん」
陽菜が長い髪を耳にかける。
「切れば?」
「嫌!
「まだ伸ばすの?」
「うん」
「何で?」
「秘密」
陽菜は笑った。
やがて顔を上げた。
目が合う。
何も言わなかった。
ただ、少しずつ距離が近づいて。
唇が触れた。
一瞬だった。
でも、俺にはそれで十分だった。
「……恥ずかしい」
陽菜が顔を赤くして俯く。
「俺も」
「嘘」
「ほんとだって」
「じゃあ、もう一回してみる?」
「……それは無理」
「ふふ」
陽菜が笑う。
帰り道。
陽菜が言った。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「来世でも、また会えるかな」
「会えるよ」
「どうして?」
「俺が見つけるから」
「私、見つけやすいかな」
「長い髪ならすぐ分かる」
「そっか」
陽菜は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、同じ場所で待ってる」
「ああ」
「絶対、来てね」
「絶対行く」
その夜。
俺たちは何度も同じ約束をした。
夏の夜は思っていたより短かった。
帰り道のアスファルトは、昼間ほど熱くなかった。
それでも陽菜の手は、俺の手の中にあった。
俺は、その手を離さなかった。
この先もずっと。
そう思っていた。




