第30話 食べ過ぎで遅刻
夏の朝の空気が開け放たれた窓から入ってくる。
カーテンがふわりと揺れて、床に落ちた光の帯がゆらゆらと形を変える。
朝になれば小鳥たちがけたたましく、ヒャッハッーしているさえずりが聞こえてくる。
まるで祭りの支度に浮かれているのは人間だけじゃないと言わんばかりの、騒がしくも呑気な合唱だった。
ベッドに寝ているミットリオはと言うと、その音にすら気付かないくらい、深い睡眠に入っていた。
小さな口からは時折「ん……むふ……」という寝言とも呼べない呻きが漏れる。
行儀の欠片もない寝相だったが、それがまたこの家の末っ子らしいと言えばらしかった。
連日、夏祭りの準備やら、夏祭りで出す食べ物やらのせいで忙しくなって、誰にも邪魔されない静かな睡眠を取っていた。
そこに、誰かが扉を開けて部屋の中に入ってきて、ミットリオの肩を優しく揺さぶった。
差し込む朝日を背にしたその人影は、目を細めて眠る我が子を見下ろしている。
「ミットリオ、朝だよ。今日は花火の打ち合わせがあるじゃないか」
父親のアウドールだ。
今日は夏祭りの目玉になる(ミットリオ談)花火とやらの、催し物の打ち合わせをする日になっており、そのためにとミットリオを起こしに来たのだった。
「う~ん……」
しかしミットリオは、折角の睡眠を邪魔されたくないと寝返りを打って、アウドールとは逆の方向を向いてしまう。
もぞもぞと枕に顔を埋め直し、これで会話は終了だと言わんばかりの態度である。
(……あと五分……いや、三分でいいから……、昨日遅くまで頑張ったんだから……、今日は昼まで眠るって決めたんだ……。それにまだ子供なんだから……、もう少し眠っても許されるよね……)
夢うつつにそんなことを考えながら、頭の中で言い訳をするミットリオ。
都合のいい理屈をこねるのだけは、昔から得意だった。
しかし考えているだけでは、相手には伝わらない。
そんなミットリオを見かねてアウドールは一瞬黙ると。
「シュトラに頼もうかな」
と恐ろしいことを口にした。
その言葉で、ミットリオの頭は急激に覚醒し、アウドールが言った言葉の意味を飲み込んだ。
アウドールが踵を返し、シュトラを呼びに行こうとする気配を察知したミットリオは、飛び起きて父親を呼び止めた。
ぼさぼさの髪のまま、寝ぼけ眼を大きく見開いての抗議だった。
「姉さんを使うのは卑怯じゃないっ?」
「ミットリオを起こすにはこれが一番良いと思って」
「だとしても起こし方が最悪なんだけど……」
「じゃあすぐに起きてくれると助かるかな」
「ええっ……」
露骨に苦い顔をするミットリオ。頬を思い切りふくらませて、これ以上ない不満顔を作ってみせる。
「ミットリオが言ったんじゃないか。花火の打ち合わせをするって」
「それはそうだけど……」
自分で決めたことなのに、どこか納得がいかず腑に落ちない様子のミットリオ。
そんな理屈は通じないと分かっていながらも、口を尖らせずにはいられない。
「顔を洗って、朝ご飯を食べてくるといいよ」
「……父さん達はもう食べたの?」
「そうだね。デフィーを待たせるのも良くないから、早く朝食を食べた方がいい」
「デフィーを待たせるのは良くないね」
朝食、という単語を聞いた途端、ミットリオの声色がころりと変わった。
さっきまでの不満顔はどこへやら、目がぱっちりと開き、寝起きとは思えない身のこなしで布団を捲るとベッドから降りる。
軽くベッドメイクをして、てくてくと寝ぼけ足を洗面台へと運ぶ。
「僕は外で待っているから、朝食を食べ終えたらおいで」
「は~い」
その言葉を聞いてミットリオは、ぱぱっと顔を洗い適当に髪を整えてから食堂へと向かう。
冷たい水が頬を伝う感触に、ようやく本格的に頭が動き始めた気がした。
廊下を歩くたび、どこからか焼きたてのパンの匂いが漂ってきて、ミットリオの小さなお腹がきゅうと小さく鳴る。
食堂に着くと、デフィーと母親のシトレアがいて、朝食後の紅茶を飲んでゆっくりとしていた。
湯気の立つカップから、ふわりと柑橘系の香りが立ち上っている。
「おはようミットリオ」
「おはよう母さん。デフィー」
「おはようございます、ミットリオ様」
ミットリオが席につくと、デフィーが朝食を運んできてくれる。
並べられていく皿を眺めるミットリオの目は、わかりやすいくらいにきらきらと輝いていた。
今日の朝食は、ニカラお手製のベリーのジャムを塗った焼きたてのパン。
香草バターを乗せたオムレツ。野菜のスープ。
取れたて夏野菜のトマトと瓜のサラダ。
それと昨日のフランクフルト。
紅茶とオレンジジュースになっていた。
「いた~だきま~す」
いつも彩り豊かな朝食に、さっきまでの不機嫌も吹き飛び、ミットリオはご機嫌な様子で手を合わせる。
ジャムの甘い匂い。バターの香ばしさ。トマトの青い匂い。湯気立つスープの匂い。それらが混ざり合って、鼻先をくすぐってくる。
「うまうまっ」
とても美味しい朝食にゆっくりと味わいながら食べ進めていく。
頬張ったパンの端からジャムがはみ出しそうになって、慌てて口元を押さえる仕草はどこか幼く、年相応の可愛らしさがあった。
「デフィー、このジャムのパン、いつもより甘い気がする!」
「ふふ、今朝焼いた分は蜂蜜を少し多めに使ったと、ニカラが申しておりました」
「やっぱり! なら明日もこれがいいってニカラに伝えといて」
「かしこまりました」
ミットリオの言葉に、デフィーは綺麗な所作でお辞儀をする。
「チェルスとシュトラは、朝食を食べ終えたら颯爽と祭りの準備へと向かったけども、ミットリオは今日は何をする予定なの?」
朝食を食べ終えて紅茶を堪能していると、シトレアが今日の予定を聞いてきた。
「ん~、今日はね夏祭りでやる花火の打ち合わせを父さんとするかな」
「そうなの。それで? アウドールはどうしたの?」
「外で俺が朝食を食べ終わるのを待っているよ」
「……ミットリオ、貴方アウドールを外に待たせてそんなにゆっくりとしていたの?」
「うん。食後はすぐに動くのは良くないからね」
「……今頃、アウドールは貴方の事を待っているわね」
「父さんだから、きっと待ってくれるよ」
「……貴方のマイペース具合は凄いわね」
シトレアが、我が息子を見て苦い顔をする。
呆れながらも、どこか諦めが滲んだ慣れた表情だった。
「最近は忙しかったから、これくらいは許されるんじゃないかな」
対してミットリオは、急がずもせずにゆっくりと紅茶に口をつけて、ずずっと啜っていた。
悪びれる様子は欠片もなく、堂々としたものである。
「あ、そう言えば。母さんに聞きたいことがあったんだけど」
紅茶を飲みながら、大事な事を思い出したミットリオは、シトレアの顔を見る。
「……何か嫌な予感がするわね」
シトレアは、ミットリオの顔と言葉から、良くない事を感じ取ったのか渋い顔をした。
流石母親。これだけで何かを感じとれるのは流石としか言いようがない。
「い、いや、別にそんな変な事じゃないよ。ただ屋台の人手が足りないから相談しようかなって思っただけだよ」
「……人手が足りない?」
「うん。ニカラとデフィーだけじゃ当日の屋台は回せないことに気付いてさ。俺も出るんだけどそれでも足りないからどうしたらいいのかなと思って」
「……さりげなくニカラとデフィーが、頭数にいれられているのは構わないのね」
「ニカラからは許可をもらっているし、デフィーも一応出来ると思う。……許可はこれからだけど」
「私は大丈夫ですよ、ミットリオ様。屋台のお手伝い、楽しみにしております」
「デフィー! やっぱり頼りになる!」
「……デフィー、あまりミットリオの頼み事を簡単に受けては駄目よ。それに一応雇い主はアウドールなんですし、アウドールにも確認を取らないといけないでしょ?」
「……うん。そうだね。ちゃんととうさんにも聞いてからにするよ」
シトレアに窘められて、ミットリオはしゅんと肩を落とす。だがその表情も長くは続かず、すぐにまた期待に満ちた顔でシトレアを見つめ直した。
「人手不足ね……。……一応当てがないわけではないけどね」
「そうなの? てっきり何も無いと思っていたから、父さんにも聞く気でいたんだけど……」
「一応アウドールにも話はした方がいいわね。まあその件については、私の方でも考えとくわね」
「おおっ!」
ミットリオはぱっと顔を輝かせて、椅子の上で小さく体を弾ませた。
「……あまり期待はしないでよね」
「助かるよ、母さん」
母の言葉に、思わず頬が緩む。当てがあるならないよりずっといい。
単純な性格をしているミットリオにとって、それだけで今日一日は上機嫌で過ごせそうだった。
「じゃあそろそろ父さんのところに行くかな?」
それから十分程経ってから、ミットリオはゆっくりと立ち上がって、父親のアウドールのところへと向かい始める。
外はすでに夏の日差しが本格的に照りつけ始めていて、庭の木々からは蝉の声がぽつぽつと聞こえてくる。
屋敷の正面玄関では、村民達とターブツさんが提灯や幟を運ぶ姿がちらほらと見える。
積まれた提灯。丸められた幟。木箱に詰められた飾り付け道具。
祭りはもうすぐそこまで来ているのだと実感させられる光景だった。
「遅かったね」
玄関から外に出ると、やはり待たせすぎたのかアウドールが口に出して言ってきた。
「ちょっと食べ過ぎちゃって……」
「ふ~んそうなのかい、僕はてっきり朝食食べてから動きたくないとかいう理由で遅れたと思っていたけどね」
あらかじめ用意しておいた言い訳を言うが、アウドールはそれを信じ切っていない様子で、その上ミットリオが遅れた理由まで看破し、目を細めてミットリオの事を見てくる。
(……ば、ばれてる)
流石ミットリオの父親をしているだけあり、言い訳もその理由も分かっている様子だった。
ミットリオは少し慌てた表情になると、アウドールはニッコリと笑う。
「まあ連日忙しかったからね。少しは許そうかな」
アウドールがそう言ってくれたのでミットリオは取り敢えずホッとする。
そのまま二人は屋敷の裏庭へと向かう。
夏草の匂いと、乾いた土の匂いが入り混じった、いかにも夏らしい匂いが鼻をくすぐった。
「さてミットリオが言うには、花火とやらを作りたいんだろう?」
「う、うん。そうだね……」
「生憎、僕はそんな魔法も文化も知らないんだけど、それはどんなものなんだい?」
「あ~、えっとね……」
アウドールに言われたので、ミットリオは小さな体を使って、身振り手振りで花火について説明をする。
両手を大きく広げて、はじけるような仕草をしてみせるあたり、なかなかに堂に入ったものだった。
例えばこんな花火があった~とか、手に持つ花火があった~とか、夏の夜に見るのが一番綺麗だ~とか。
「光の花が空いっぱいに咲く感じ、っていうのかな。ドーンって音がして、みんなで『わあっ』てなるんだ」
「ドーン、かい」
アウドールが胡乱げな顔で復唱するのに、ミットリオはこくこくと頷いてみせる。
(取り敢えず、夏祭りで見る花火をイメージして説明してるけど、それで大丈夫だよね?)
言いながら、ミットリオはそう考えてしまった。
(というか……)
ミットリオは、説明していてある大事な事が気になった。
「夜空に火薬を撃つのかい? それは何の意味があるんだい? それに危なくはないのかい?」
(……やっぱり……)
ミットリオが思った通り、アウドールがその事について聞いてきた。
この世界にも火薬は存在している。
しかしそれらは主に工業用に使われている。
鉱山で岩を砕いたり、魔力の少ない者が魔獣を撃退するために使ったり、信号弾のために使ったり。
火薬は工業用に使われているので、娯楽のために使う必要がないし、そう言う考えを持ち合わせていないのだ。
(……失敗したら、洒落にならないよね……。でも……)
「大丈夫……だと思う」
ミットリオは、少し躊躇いがちに頷いた。
「……本当かい?」
それを聞いて深刻な顔つきになるアウドール。
「……そこら辺はかなり慎重にやるよ。火薬と火魔法を一緒に使うんだから細心の注意は払うつもりだし。それに今回は最初の花火だから、回数はそこまでやるつもりはないしね」
ミットリオはそこら辺に落ちていた、木の棒を拾ってくるくると回しながら説明を続ける。
落ち着かない時に何かを手に取ってしまうのは、前世からのミットリオの癖のひとつだった。
「ただ、何が起きるか分からないし、火を扱うからしっかりと注意はするつもり。だから父さんに相談したんだしね」
「……本当に大丈夫かい? 火薬を扱う以上危険なことには変わりないし、そこに魔法を組み合わせるとなると、どんな危険があるか分からないよ?」
「そこで父さんの出番だよ。父さんがいれば何とかしてくれるでしょ?」
「……はあ、危険なことは全部僕に丸投げかい?」
「それは父さんを信頼してるってことだよ」
「はあ……」
溜め息をつくアウドールをよそに、ミットリオは持っていた木の棒で、地面にガリガリと花火の簡略な絵を描く。
丸い頭を寄せて、真剣な顔で地面を見つめるその横顔は、いつもの飄々とした様子とは少し違って見えた。
「えっとね、花火で大事なのは最初と最後だと思うんだ」
「最初と最後の花火?」
アウドールの返答にミットリオはニヤリとしただけだった。
朝の生ぬるい風が二人の間を通り抜けていく。
蝉にも似た虫の鳴き声が裏庭いっぱいに響いている。
そして小さな企みを抱えた少年の目だけが、やけに楽しそうに輝いていた。
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