第29話 甘い物は特別
「ではメインディッシュをお持ちします」
デフィーとニカラが恭しく一礼し、皿の上に載せられたお好み焼きととん平焼きを運んでくる。
皆の満腹具合を考えて、前世の日本でのサイズよりも、一回り小さく作ってあった。
オムレツくらいのサイズのお好み焼きととん平焼きが、湯気を立てながら、白いテーブルクロスの上に静かに着地する。
「……これは、何だか今まで嗅いだことない匂いだね」
「本当ね、初めて嗅いだ匂いだわ」
アウドールとシトレアが、初めて嗅いだ粉物とソースの匂いに、鼻をひくつかせながら敏感に反応していた。
貴族という生き物は、未知の匂いにすらいちいち品よくリアクションするものらしい。
「何か癖になる匂いだね」
「早く食べたいわっ!」
チェルスとシュトラの子供組は、そんな品評など知ったことかとばかりに、ソースの匂いだけで既に瞳をキラキラさせていた。
(……う~ん、こうして改めて見ると、お好み焼きをナイフとフォークで食べるのはなんか違和感があるな……。それにこんなお上品な空間にお好み焼きが鎮座しているのも、控えめに言ってシュールだ……)
ミットリオは、銀食器と白いテーブルクロスの隣にお好み焼きが並ぶ光景を見て、微妙な違和感に思わず笑いがこみ上げてくる。
「美味しいっ! 私このお好み焼きが好きだわっ」
真っ先に頬張ったシュトラが、頬をソースで少し汚しながら、目を輝かせてそう言った。
(早速顔が汚れてるじゃん、……まあ、予想通りだけどさ)
「僕はこっちの豚肉が入ったとん平焼きが好きかな」
チェルスは、とん平焼きの方をすっかり気に入ったようだ。
とろりとした半熟の卵に絡む豚肉を、行儀よく少しずつ切り分けている辺りが、いかにも彼らしい。
「うん。とても美味しいわね」
「そうだね。皆の言うとおりとても美味しいけど、ちょっと味が濃いかな……」
アウドールとシトレアは、美味しいとは言ったものの、大人の舌には少し味が濃すぎたようで、子供たちほどにははしゃいでいない。
フォークとナイフでお好み焼きを切り分ける手つきだけは、やけに様になっていた。
「えっ? とても美味しいと思うけどな」
「私も美味しいと思ったわ」
どうやら子供組の方が、お好み焼きをより美味しく感じるらしい。
ソースの濃さに慣れているかどうかの差だろうか。
(まあ不味いとは言われていないし、夏祭りの屋台で売る分には、これで十分及第点だろう)
ミットリオは誰にも気付かれないように、小さく頷いた。
(……ソースはもうちょっと改良が必要かもな。それにマヨネーズを忘れていたよ。お好み焼きはソースだけでも美味しいけど、マヨネーズがないとやっぱり片手落ちだよな。……やっぱりいつかケチャップと一緒に、あらかた必要な調味料を、ニカラと一緒に作ってみるか)
ミットリオはお好み焼きをもきゅもきゅと頬張りながら、そんなことを一人静かに決意する。
何故かミットリオの頭の中では、ニカラが勘定に入っていた。。
子供組の食べる勢いに気圧されたのか、アウドールとシトレアが早々に自分の分をシュトラとチェルスへ分け与え、やがてテーブルの上からお好み焼きが姿を消すと、いよいよ本日の主役、締めのデザートの出番だ。
「こちら、綿飴、かき氷、果物飴、ベビーカステラになります」
デフィーとニカラが、テーブルの上に四種類のデザートをずらりと並べていく。
「わあっ」
「凄い凄いっ! 見て見てっ! 雲みたいなのがあるっ!」
「これは見た目も凄いね……」
初めて見る夏祭りのお菓子の数々に、シトレア以外の三人が目を輝かせて食いついていた。
銀のカトラリーの隣に綿飴がふわりと鎮座している光景は、先ほどのお好み焼き以上にシュールだったが、もう誰も気にしていないようだった。
(みんな、いい反応してくれるなあ)
四種類とも自分の手で作り上げたミットリオは、期待以上の反応を見せてくれた三人を見て、嬉しくて自然と笑顔がこぼれる。
横を見ると、一緒にお菓子作りを手伝ったニカラも、三人の反応を見てニコニコとしている。
唯一、調理場で作る様子をつぶさに見ていたシトレアだけは驚いた素振りも見せず、微笑んだ顔でじっとミットリオを見つめていた。
(母さんも、嬉しそうだな)
我が子たちの喜ぶ姿を見て嬉しいのだろう。
ミットリオはそう解釈した。
この解釈がいかに甘かったかを思い知るのは、この直後のことである。
「私っ! これっ! この雲みたいなお菓子を食べてみたいっ!」
「待って待って姉さんっ、ちゃんと皆の分を用意しているから」
シュトラが我先にと綿飴に飛びついたので、慌ててミットリオが割って入る。
「僕はこの果物飴がいいかな」
「う~ん、じゃあ僕はかき氷にしようかな」
三人がそれぞれ違うお菓子に手を伸ばす中、ただ一人まだ何も手にしないシトレアの姿があった。
その微笑みは崩れない。
崩れないのだが、心なしかテーブルの温度が二度ほど下がった気がする。
デフィーとニカラの給仕の手が、ほんの一瞬止まった。
「母さん食べないの? もしかして具合悪くて食べられない?」
空気を読まない。
というより、まだ何も気づいていないミットリオの言葉に、お菓子を食べようとしていた皆の手がぴたりと止まり、一斉にシトレアへと視線が集まる。
「……ミットリオ」
「なに?」
「足りないわ」
「へぁ?」
「これじゃ全然足りないわ」
「…………」
にっこりとした、いっそ神々しいほどの笑顔を向けながら、じわじわとミットリオに無言の圧力をかけてくるシトレア。
その柔らかな笑顔の裏からにじみ出るただならぬオーラに、テーブルの上の燭台の炎さえ、心なしか揺らいで見えた。
それは気のせいだと思いたい。
ミットリオはたじろぎ、思わず一歩後ずさりそうになるのを、テーブルの下で必死に堪える。
「……えっ、でも母さん具合悪いんじゃ……」
「確かに体調はよくないけど、それでもお菓子を食べられない程ではないわよ」
シトレアはチラリと細めた目でミットリオを見ると、心なしかさらにオーラを強めた気がした。
アウドールとチェルスとシュトラは、賢明にも視線を逸らし、無言でお菓子を口に運ぶことに専念し始めていた。
この場に巻き込まれてはいけないと、本能が告げているらしい。
「かき氷は、体を冷やすから少なくしていいけども、果物飴と綿飴はもっと追加してほしいわね。それとベビーカステラももう少し持ってきてくれるかしら?」
「…………ええっ」
何故か、デフィーやニカラに直接頼むのではなく、わざわざミットリオに向かって要望を伝えてくる。
まるでそれが当然の作法であるかのように。
困り果てたミットリオがチラリとデフィーの顔をうかがうと、デフィーは全てを察したとばかりに小さく頷き、一礼だけしてそのまま奥の調理場へと足早に消えていった。
心なしか、少しデフィーが焦っているように見えた。
やがて、かき氷だけ小盛りになった追加のお菓子が、山盛りになって運ばれてくる。
その量は、見ているだけでこちらの胸が焼けそうなほどだった。
「……シトレア、それを全部食べるのかい?」
流石に心配になったのか、アウドールが苦笑いを浮かべながら尋ねた。
「そうよ。ミットリオがこのお菓子を作っている間、ずっと見ているだけだったんだから」
「……でも一口母さんに食べさせたよね」
「あれがいけなかったのよっ」
シトレアが少し語気を強めて言い返してくる。
「……ええっ」
ミットリオはちょっと呆れてしまった。
呆れながらも、テーブルの下でこっそりデフィーに目配せし、追加のベビーカステラの生地を仕込んでおくよう頼んでおく。
この判断力が出来る自分を、我ながら褒めてやりたい。
「一口だけ食べさせられたら、もっと食べたくなるに決まってるじゃないっ。変に与えられたせいで、ずっと我慢してたんだからっ」
「…………」
思いがけないシトレアの本音の噴出に、残りの四人は反応に困り、汗をかきながら黙り込んでしまう。シュトラでさえ、この時ばかりは口を挟まなかった。
(……そういえば、お預けを食らったときの母さんの表情は、凄かったな……)
一口味見をさせた後の、あの残念そうな顔を、ミットリオはまざまざと思い出していた。
あれは、もっと早く警戒しておくべき前兆だったのかもしれない。
「……まあ、沢山あるからどんどん食べてよ」
「そうするわ」
シトレアは満足げに髪をかき上げると、真っ先に果物飴を頬張った。
「~~~っっ!!」
食べた瞬間のシトレアの表情は、まるで少女のように眩しく輝いており、それはもう先ほどの圧が嘘だったかのようにキラキラと弾けていた。
その変わり身の早さに、家族全員がほっと胸を撫で下ろす。
緊張から解放された空気が、テーブルの上にじんわりと広がっていく。
その後、黙々と食べ進めるシトレアに釣られるようにして、他の三人も恐る恐るお菓子を口に運び始めた。
それぞれが、
「美味しいっ」
「美味しいっ」
と口々に言う中、シトレアが誰よりも表情豊かで、次から次へとめまぐるしいほど色んな顔を見せていた。
あれほど威圧感のあった人物が、綿飴一つでここまで表情を変えるのだから、ミットリオとしては毒気を抜かれる思いだった。
やがて皆がデザートを食べ終え、そろそろ夕食もお開きかというところで、シトレアがまだ食べたいと言い出したので、ミットリオは収納魔法からベビーカステラを数個取り出してあげた。
丁寧に布でベビーカステラを包んでいく様子を、ミットリオとチェルスとシュトラは不思議そうに見ていたが、何故かアウドールだけが、優しい笑みを浮かべてその様子をじっと見つめていた。
その笑みの意味を、ミットリオが知るのは、もう少し先のことになる。
夜になり、それぞれが自分の部屋に戻って思い思いの時間を過ごす中、ミットリオは小さな灯りを一つだけ点けて、一人厨房に残っていた。
シトレアにあげた分のベビーカステラを補充しようと、こっそり一人で仕込みを始めていたのだ。
(まったく、あの食べっぷりは一体どこに入っていくんだか……)
生地を型に流し込みながら、まだ興奮冷めやらぬ様子だった母の顔を思い出し、ミットリオは苦笑を漏らす。
開けた窓からは、まだ遅くまで祭りの準備を続けている人々の声が聞こえてくる。
時折、笑い声が混ざっていた。
「……うん。上手い」
ミットリオは出来上がったベビーカステラを一つ試食して、ポツリと呟いた。
コトリ、と厨房の扉が小さく音を立てた。
振り返ると、そこにはアウドールが、寝間着姿のまま気まずそうに立っていた。
「……父さん、どうしたの?」
「……眠れなくてね。少し味見をさせてもらってもいいかな」
アウドールは、少しだけ苦笑いを浮かべていた。
そしてその視線は、明らかにベビーカステラの山に釘付けになっている。
「……父さん、まさかとは思うけど、もっとお菓子食べたかったの?」
「い、いや、これは味見だ。味見だからね」
ミットリオの言葉に、やけに早口で弁解してくるアウドール。
ミットリオが黙って一つ差し出すと、アウドールは待ってましたとばかりに頬張り、そのまま実に幸せそうな顔をした。
先ほど食卓で見せていた「優しい笑み」とは、明らかに種類の違う笑みだった。
「……父さんも、我慢してたクチ?」
「……夕食の場では、一応、父親としての威厳というものがあってね」
目を逸らしながらそう言うアウドールに、ミットリオは全てを察してしまった。
(血は争えないっていうか……この人、母さんのこと笑えないじゃないか)
結局、味見のつもりが二個、三個と伸びていくアウドールの手を見ながら、ミットリオは追加でもう一皿分、生地を型に流し込むことにした。
この調子だと、明後日の夏祭り本番までに、家族全員分の胃袋を計算し直す必要がありそうだ。
「……次からは、母さんの分も最初から多めに焼いておくよ」
「……賢明な判断だと思うよ」
遠くからは、人の声、笑い声、そして木槌の音が絶えず聞こえてくる。
それらの祭りの音を背景にしながら、ミットリオは苦笑い交じりに、残りのベビーカステラを黙々と作り続けた。
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