第24話 実行委員会
スピスピ、スヤスヤ。
フカフカのベッドの上で、可愛らしい寝顔をした五歳児が眠っていた。
将来はさぞかしイケメンになるだろうと思わせるような、端整な顔つきをしている。
穏やかな朝の光の中、その寝顔はまるで絵本から抜け出したみたいで、起こすのが惜しいくらいだった。
だが、そんな感傷を抱く者は、今ここにはいなかった。
勢い良く扉が開いたかと思うと、一人の少女が躊躇なく部屋に飛び込んでくる。
寝ている人物の傍らに膝をつくと、容赦なく肩を掴んで揺さぶり始めた。
「ミト、ミトッ、起きてってばっ」
シュトラは寝ているミットリオを叩き起こすべく、思い切り体を揺さぶった。
その甲斐あってか、ミットリオはゆっくりと瞼を持ち上げ、とろんとした眼差しで姉の顔を見上げる。
「……姉さん? どうしたの……?」
「どうしたのじゃないわよ。もうとっくに朝食の時間になっているわよ」
「えっ?」
シュトラの言うとおり、日はすっかり上がっており、食堂からはほのかに料理の匂いまで漂ってきている始末だった。
いつまで経っても降りてこないミットリオを心配して、シュトラが直々に起こしに来たのだ。
「……嘘」
今まで一度も寝坊などしたことのなかったミットリオは、跳ね起きると慌てて着替えを始めた。
「待っているからね」
それだけ言い残して、シュトラはさっさと部屋を出て行く。
ミットリオは袖に腕を通しながら、昨日の疲れが体の奥底にまだじんわりと残っているのを感じた。
……全部、あの村人達のせいだ。
そう思いながらも、引きずり回したのは自分の口が原因だとも分かっているので、恨み言は心の中だけに留めておいた。
遅れること数分。ミットリオは小走りで食堂へと向かうのだった。
「おはようミットリオ」
「……おはよう、父さん」
食堂の扉を開けると、朝の陽光が窓から差し込んでいた。
長机の上には食事の皿が並び、食後の紅茶の湯気がゆったりと漂っている。
アウドールとシトレアは既に食べ終えているらしく、向かいの席でゆったりとカップを傾けていた。
チェルスはまだ食事の最中で、いつものように丁寧に、一口ずつ綺麗に食べ進めている。
シュトラはといえば先に食べ終えたのか、はちみつ入りの紅茶を口に運ぼうとしているところだった。
「おはようミットリオ。あなたが朝食の時間に起きてこないなんて、珍しいこともあるのね」
「……おはよう、母さん。疲れが溜まってたんだよ」
「そうなの?」
シトレアが柔らかく微笑みながら言う。その表情の端にニヤニヤとした色が混じっているのは、ミットリオも気付いていた。
席に着くと、デフィーがスープの入った皿を静かに差し出してくれる。
湯気の立つそれを受け取りながら、ミットリオはスプーンを手に取った。
「アウドールから聞いたわよ? 何やら面白いことが起きてるみたいね」
「……何にも面白くないやい」
シトレアがニヤニヤと顔を覗き込んでくるが、当の本人にはそんな余裕はない。
やけくそ気味に、朝食のオムレツをほおばった。
とろりとした黄身の甘みが口に広がるが、今日ばかりはあまり味がしない気がした。
「まあ、ほとんどミットリオの自業自得だからね。責任を持ってやるしかないよね」
昨日その場に居合わせたアウドールも、面白い見世物を見たかのように、目を細めながら言ってくる。
そう、ミットリオが村の祭りを「ショボい」と言い放ったせいで村人達は騒然となり、さらに見たこともないような祭りの案を次々と提示してしまったせいで、夢を見た村人達がミットリオを一日中引きずり回したのだ。
五歳児の体というのは正直なもので、翌朝まで疲れを引きずってしまったわけである。
「……少しよろしいでしょうか?」
と、そこへ普段は朝食の時間には滅多に姿を見せないターブツが、遠慮がちに食堂の扉を叩いた。
「? 何かあったのかい」
普段とは違う動きに、アウドールも怪訝そうに聞き返す。
「……あの、村の方々がミットリオ坊ちゃんをお訪ねになっておりまして……。その旨をお伝えに参りました」
「えっ」
「なにっ!」
ターブツの言葉を受けて、アウドールは困惑し、ミットリオは勢い良く顔を上げた。
スープのスプーンが皿の縁に当たって、小さくチンと鳴る。
「……取り敢えず、少し待ってもらえるかな? 後で必ずミットリオが顔を見せるから」
アウドールが穏やかに言った。
「……分かりました。そのようにお伝えいたします」
ターブツは一礼すると、踵を返して食堂から出て行った。
扉が静かに閉まる。
「うぐぐ……っ、二度寝の時間すらないのか……っ」
いつもは朝食の後に二度寝をするのがミットリオの習慣だった。
その大切な時間が音もなく消えていくのを感じ、ミットリオは悔しさで唇を噛む。
「……まあ、これもミットリオの身から出た錆と思うしかないんじゃないかしら?」
「……まさか逃げようとしてるんじゃないよね?」
「…………」
シトレアとアウドールに二方向から刺されて、一瞬浮かびかけた、
「裏口からそっと抜け出す」
という選択肢が、静かに消えた。
「駄目だからね。最後まできちんとやり遂げなきゃ」
「この際、シュトラにしっかり監視してもらうのが一番かも」
「任せてっ、母さんっ! あたしがミットリオをしっかり見張っているわっ!」
唐突な提案に、シュトラの目が輝く。
「ひどいっ!!」
三人がかりで逃げ道を塞がれ、ミットリオは非難の声を上げた。
(……俺の安息の時間が、根こそぎ奪われていく)
ミットリオは暗い顔で残りの朝食をかき込むように食べ終えた。
オムレツの甘みは、やっぱり今日は感じられなかった。
「ようっ! 坊ちゃんっ! おはようっ!」
「今日もよろしく頼むぜっ!」
「…………」
屋敷の門を出た途端、陽気な声の波が押し寄せてきた。
昨日に引き続き、村人達は朝から元気いっぱいである。
ミットリオはつまらなそうな顔のまま、無言で軽く手を上げた。
「……何か今日の坊ちゃん、いつもより暗くね?」
「あからさまに不機嫌オーラが出てるしな。何かあったん
じゃね?」
遠巻きに話し出す村人達の声が耳に届く。
(あんた達のせいだよっ!)
と叫びたかったが口には出せない。
彼らを焚き付けたのは自分だし、こうなったのも自業自得だと頭では分かっているから、なおさら性質が悪かった。
「……それで? 今日は具体的に何を準備するの?」
ミットリオは不貞腐れながらも、仕切り直すように村人達に問いかける。
「提灯っ!」
「射的っ!」
「くじ引きっ!」
「門の改装っ!」
「甘いお菓子っ!」
「花火って何ですか?」
「酒が飲みたいっ!」
七者七様の声が一斉に弾け、一瞬の沈黙の後、今度は互いを向いてせめぎ合いが始まった。
「まずは村の飾り付けからだろうが。提灯を先に飾るのが筋ってもんだろう?」
「馬鹿がっ、時間のかかる屋台を先に仕込むのが常識だろうがよっ。目玉になる屋台が揃ってこそ祭りじゃないか」
「それが通るならくじ引きの屋台だって文句ないよな?」
「待て待てっ、最初に手を付けるのは門の装飾だろう? この村を訪れた人が最初に目にするのが門なんだから、そこを整えるのが先決だ」
「いや何よりも食べ物が先だ。匂いと味で人を惹き付けてこそ、祭りというもんじゃないか」
「……俺は坊ちゃんが言ってた、夜空に上がる花火ってやつを見てみたい」
「……美味しい酒が飲みたい……」
話は完全に平行線を辿る。
「分かったっ、分かったっ。一旦落ち着いてっ!」
ミットリオが声を張ると、どうにか喧騒が収まった。彼は隣に立つアウドールを見上げる。
「……父さん、皆を集めて会議を開こうと思うんだけど、いいかな?」
「いいと思うよ」
アウドールがにっこりと笑って頷いた。
気付けば、村外れの広場に人が集まっていた。
日差しはまだ穏やかで、広場の大きな木が心地よい木陰を作っている。
その木陰の下に村人達が車座になり、中心にミットリオが立って棒を一本手に持っていた。
さながら小さな领主が軍議を開いているような光景で、ミットリオ自身が一番そのおかしさを感じていた。
出席者はミットリオ、アウドール、チェルス、シュトラ。
村人側からはアシュロ、リーゼ、大工、木工職人、鍛冶職人、生地屋、酒屋、パン屋、農家、商人と、ありとあらゆる職種の人間が腰を据えて座っている。
(……何で?)
さながら领主会議のような様相に、ミットリオは内心でひとり呆気に取られた。
「うんっ、それでは新たにこの村の夏祭りをリニューアルするための会議を始めたいと思う。それでは議長殿、一言どうぞ」
「議長じゃないから」
アウドールの悪乗りに、ミットリオは間髪入れずにツッコミを入れる。
しかし周囲を見渡せばどの顔も真剣そのもの。
その視線を一手に集めて、ミットリオは小さく息をついた。
「え~っと……まずは」
そこら辺に落ちていた棒を拾い上げ、地面にガリガリと線を描き始める。
「ここにいる人達を、今年の夏祭りの実行委員に決めようと思う」
ガリガリと、簡単な人の絵を何人分か描く。
「基本的にここにいる人達で祭りを回す。何かあったらまずは各自で対処して、それでも駄目なら父さんに連絡して」
「……僕なんだね」
「予算についてはここで細かくは決めないけど、父さんとチェルス兄さんに全部任せる」
「……そこも僕なんだね」
「だって、俺には予算の管理なんか出来ないもの」
「そうなるよね……。チェルス、一緒に頑張ろうね」
「はい」
チェルスが静かに頷く。
「次にテーマ。これは昨日話したから繰り返さないけど」
「涼しい夏祭りを作る、だったわよね」
「そう。……姉さんが覚えてるなんて意外だね」
「……ちょっと待ちなさい。意外とは何よ……」
シュトラの手がスルリとミットリオの頭に伸びてくる。
「ちょっ! 今は駄目だからっ! あとにして、あとに!」
「……覚えてなさいよ」
シュトラは空気を読んでしぶしぶ引き下がった事で、ミットリオはほっと胸を撫で下ろす。
「……ふぅ。それで、昨日言ったとおり『納涼祭』なんだから、涼しさをもっと全面に打ち出す」
「具体的には?」
チェルスが静かに聞いた。
「水を使う、涼しい格好をする、肝が冷えるような体験をする。大まかにはそういう方向で考えてる」
「……でも、あまり詰め込み過ぎると、あと数日で開催するのは無理じゃない?」
大人達に紛れて座っていたリーゼが、真っ当な意見を挟んでくる。
ミットリオは頷いた。
「そう、だから今年はある程度のところに留める。できない分は来年に回して、その時に時間と予算をかけてじっくりやればいい」
「じゃあ今年はどんなことをするの?」
リーゼの問いに、ミットリオの目が光った。
「まず、門から手を付けようと思う」
「どんな風に?」
「祭りは入口で決まると俺は思ってるから、きっちり飾り付ける。涼しそうな色の旗や布、それと同じ色調の花を飾る」
「涼しい色って、どんな色のことだい?」
「姉さん、どんな色が涼しいと感じる?」
「う~ん……青とか白とか?」
「そう。そういう色の旗や布を門に飾る。それに合わせて同じ色の花も一緒に。後は水を張った桶に花を浮かべてもいいかな。見た目からして涼しくなるだろうから」
木工職人と生地屋と農家がそれぞれメモを走らせる。
「次に提灯。竹と紙とろうそくがあれば作れるはず」
ミットリオは棒で地面にそれらしいイメージ図を描き始めた。丸い外枠、骨組みの線、揺れる炎の形。
「詳しくは書けないけど、大体こんな構造だと思う。できそうかな?」
「……なるほど、構造は飲み込んだ。少し時間はかかるかもしれないが、何とか間に合わせてみせるぜっ」
「ありがとね」
木工職人と大工が力強く頷く。
「それと、屋台の遊びについてだけど……射的は時間的にも技術的にも今年は無理だ」
「そんなぁ……」
楽しみにしていたらしい村人が、目に見えて落ち込んだ。
「でも代わりになりそうなものはある」
「ほんとですかいっ! 坊ちゃん!」
「うん。輪投げと水風船なんてどう?」
「ほう、それはどんな代物ですかい?」
「輪投げは地面に立てた杭に輪を投げて点数を競う遊び。景品も付けると盛り上がる。水風船は、魔獣の皮か何かに装飾を施して水を詰めたやつだね。投げたり持ったりするとひんやりして面白いと思う」
「輪投げは分かりましたが……水風船は正直、面白いイメージが湧かないんですが……」
「やってみれば分かるさ」
「……そうですかい」
「来年なんかは金魚すくいをやっても面白いかもね」
「……また新しいことを思い付く」
ボソッと口から出たミットリオの横で、シュトラが呆れたように肩をすくめた。
「それと食べ物。甘いお菓子や美味しいものを出す」
「「おおっ!!」」
「これは俺が屋敷に籠もってデフィーと一緒に仕込む!」
「「おおっ!」」
「あと花火だけど、これは夜に俺と父さんで秘密裏に試みる予定だ。だから今は詳しい話はできない」
「そうなのか~……」
期待を持ち上げておいて静かに落とすミットリオの言葉に、村人達の声が一段しぼむ。
「さあっ! やることは大体決まった! ここからは時間との勝負だ! それぞれが自分の仕事をして、最高の納涼祭を作り上げようっ!」
「「おおっ!」」
「祭りまで後四日。正直厳しいかもしれないけれど、皆で頑張ろうね」
「よっしゃ! よっしゃ! よっしゃ!」
「やるぜ! やるぜ! やるぜ!」
「なんか漲ってきたぞっ!」
「ここでやらなきゃ男が廃るってもんだろうがっ!」
「……お酒は……?」
「それでは各自業務に当たってくれっ!」
「「「了解っ!」」」
一人が駆け出すと、十人、百人と続いていく。
広場に満ちていた熱気が、そのまま村全体へと流れ込んでいった。
木を切る音、布を染める色、花の匂い、木材を削る職人の掛け声、酒樽を転がす重い音。大人達が働き始めるのを見て、子供達もはしゃぎながら運搬の手伝いを始める。
普段は穏やかなローレンス村が、まるで蜂の巣を突いたような大騒ぎに変わっていた。
「……じゃあ俺は、屋敷でゆっくりとお菓子と食べ物でも仕込むかな~っと」
ざわめきに紛れて、村人達の目を盗み、こっそりと屋敷の方へ足を向けかけたミットリオの襟首を、誰かがむんずと掴んだ。
「逃がさないわよ」
「……ね、姉さん」
シュトラが腕を組んで立っていた。
その顔には、どこか楽しそうな色すら浮かんでいる。
「あんたのことは、きっちり見ておくようにって母さんと父さんから言われてるの」
「で……でも俺は屋敷に戻って食べ物の準備をしないと……」
「駄目よ。そう言って皆が働いている間、一人で屋敷にぬくぬく籠もるつもりでしょう?」
「……そんなこと」
「僕もそう思うな」
「父さんまでっ!?」
いつの間にか背後に立っていたアウドールが、穏やかな笑顔で追い打ちをかけてくる。
「食べ物の準備は明日と明後日に回せばいいじゃないか。今日は議長兼現場監督として、この場に残ってもらわないと」
「……ははっ、何を言ってるんですか……。僕は五歳児ですよ? そんな過労死寸前みたいなことは無理ですよ……」
労働基準法が存在したとしたら真っ青になるような話に、ミットリオの顔色が青くなる。
「大丈夫。僕もしっかりフォローするから」
「……それ、全然救いになってないんですけど?」
「私もチェルス兄もいるから安心していいわよ?」
「だから、フォローになってないからっ!?」
「はい、行きましょう」
「何でだーっ!!」
シュトラにしっかりと腕を掴まれたまま、ミットリオは工事現場と化した村へと引きずり出されるのだった。
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